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デルフォイ神域

越智道雄 向山さんへの呼びかけ

向山さんとは広島で学問仲間というより小説の同人だったので、おたがい肩書抜きで呼びかけることにしませんか?

 で、おたがい2008年前半から、覇権国家アメリカの衰退をアテナイとローマという古代の覇権国家の盛衰と照応させる手だてを考え始めましたね。内輪のやりとりだとついつい身辺雑記が入ってしまうので、ブログで再開ということになりました。

 覇権国家の意義は、世界史共通で、敵をなくして平和を招来したいという衝動、その希望が実現すれば、覇権が続くかぎり傘下の国々とその人民も、覇権国家からの差別と収奪にはさらされても戦争は小競り合い程度に納まる点にありますね。覇権国家が帝国内のもめごとに直ちに軍隊を派遣する警察行動に出るためです。

 ところで、覇権に民主主義が絡んだ最初がアテナイと言い切れるのかどうか不明ですが、覇権が権力の集大成とすれば、たとえ覇権国家内の自由民男性3万名に限定されたにもせよ、アテナイが周辺都市国家などに覇権を唱える上で、民主主義がどれだけ役立ったのか? つまり、覇権と民主主義という必ずしもすんなり合致しない二つの要素がアテナイにおいて合致した具体的なポイントから入りたいのですが。向山さんの、国際的に認知されたお説では、(1)上流層しか買えない高価な青銅甲冑から平民でも買える安価な皮革甲冑に代わって歩兵が増大、ファランクスが組めるようになったこと、(2)膨大な漕ぎ手が要る軍船、三段かい船(トライレース)による平民の戦闘参加増大、特にこの2点が覇権獲得と民主主義の拡大に貢献した、これについて話して頂けませんか?

 ちなみに、お答えと連動させたいのが、インターネットがアテナイの直接民主主義への復帰をある程度可能にしつつあるという説です。これと覇権を連結するなら、「われわれは誰もが統治できるのか?」ということになります。それならば、パックス・ロマーナ、パックス・ブリタニカ、パックス・アメリカーナは、極論すればパックス・プブリカへと無限拡大を遂げます。ところが、ネットには流言飛語が渦巻き、グーグルのトップ、エリック・シュミットですら、「信頼できるジャーナリズムは死んだ」と断定し、ネットは悪質情報の「掃き溜め」だと言う始末です。アテナイにもこの弊害は共存したと思います。つまりデモクラシーからモボクラシー(暴民政治)への瓦解です。

 以上が、最初の問い掛けとなります。私たちの問い掛けと回答は、古代史の「断片」を意味するステレと呼び、それに番号をつけて整理できればと思います。では、向山さん、最初のステレを投げてよこして下さい(09・9・24/木)。

向山宏(09/9/29)

 有名なマラトンの戦い(紀元前490年の対ペルシア戦争)でアテネの密集隊(ファランクス)は眼下の湿地海岸に上陸したペルシア軍に向けてマラトンの丘から駆け下ります。<走る重装歩>兵とか<疾駆戦法>とか呼ばれています。従来の重装歩兵は装備が重くて走れません。もし走るとすれば従来の装備を決定的に軽量化する必要があります。つまり、貴族や富裕者の青銅製装備に統一するのではなく、劣悪な装備のほうに統一する。こうすれば民衆を取り込んで一挙にファランクスは拡大でき、同時に装備も劣悪なりに統一される。当然、密集隊の戦闘能力は落ちるが、それを補うために走る。走ってぶっつかる衝撃力で相手のファランクスを突き崩します。マラトンではアテナイの戦死者わずか百数十名、ほぼアテナイのみで圧倒的な数のペルシア軍を撃退しました。

 この<走る重装歩兵>がマラトンの戦いで突然に発明され使用されたとは考えにくい。こ の変革はむしろ17年前のクレイステネス改革時の状況に相応しい。つまり、アテナイの民衆が内政干渉するスパルタ王の軍隊に蜂起し、これを国外に追い出したとき、民衆が不揃いで劣悪な装備で駆けつけてきて、ペロポネソス同盟軍を率いるスパルタ軍の再来襲に備えたときの状況です。越智さんの言われる、アメリカ独立戦争に自前のロングライフルを携えて参戦したミリシアと心情的には似ているかもしれません。結果は、この玉石混交の装備でアテナイはスパルタ同盟軍を西の国境で阻止し、伝統的装備を誇る北からのボイオチア軍と東からのカルキス軍を同日の戦争で撃退することに成功しました。(これが17年後にマラトンの戦いで洗練された<走る重装歩兵>に完成されるに至ったと考えるわけです)。これまで平凡な都市国家であったアテナイが、なぜかくも急速に強力な国家になりえたのか(ヘロドトス)。新体制の下で<おのれのためにあろうとする>民衆の意気高揚のせいではないかとヘロドトスは考えます。このときクレイステネスが「従来は歯牙にもかけなかった民衆をいまや味方に引き入れることに成功した」(ヘロドトス)のは、劣悪な装備で駆けつけてきて密集隊に参加した民衆に、当然のことながら正式の重装歩兵資格を与え、民衆評議会としての<500人評議会>への道を開いたためかもしれません。この改革で<重装歩兵民主政>がスタートします。

 三段櫂船は対波性に弱いが水深の浅い快速船で、170名の漕ぎ手が上段中段下段に分かれて漕ぎ、船長以下20人の操船員、10−15名ほどの海兵隊員が乗り込みます(1隻に合計200名)。海兵による船上白兵戦はしだいに減少し、高い操船能力を必要とする衝角戦法に移行します。船のスピードをあげつつ巧みな操船で敵船団を取り囲み,船首の衝角で相手の船腹に穴を開けて沈没させる戦法です。操船員と上段漕手(一番長い櫂を操るトリニテス)を中心に、<海の大衆>と呼ばれる最下級財産資格の市民たち(市民3万人のうち重装歩兵6千ー8千人を除く残り2万数千人)が、デロス同盟の盟主としてのアテナイの地位を背景に、海上覇権を実質的に維持する役割を演じつつ政治的にも進出し、穏健な重装歩兵民主政を急進民主政に変質させていきます。

 民主政が海上帝国としての覇権や平和と緊密に結びついた稀有(唯一)の事例といえます。
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