本文へジャンプ 越智道雄のページ   文字サイズ コントラスト
トップ
プロフィール
書籍
論文
映画
講演会
ブログ
メイルマガジン
リンク
ブログを見易く表示

ブログを見易く表示 ステレ3

top ステレ1         10

ピレウス港

越智道雄

 アテナイ民主政創出の重要な契機となる、平民の戦闘ぶり、詳細がよく分かりました。

 さて、私のステレ1の最後に、折角アテナイ型の直接民主主義への回帰を可能にしてくれたインターネットが悪質な書き込みの掃きだめになっているというグーグルのトップの発言です。つまり、民主主義のモボクラシー(暴民政治)への瓦解ですね。

  09年10月6日夜出た、NHK/BS1「きょうの世界」で素材に使われたBBCの画像で典型的な場面に出くわしました。ただいまオバマ政権が国民皆保険法案を通過させるた めに共和党のなりふりかまわぬ潰し攻 撃にさらされ、民主党のリベラルや中道派はいらだっています。

 トルーマンとクリントンは、病院・医師会、保険会社、製薬会社の猛反対で国民皆保険制度創出に挫折しました。1994年9月、ヒラリーの獅子奮迅の突撃が葬り去られたことはご記憶かと思います。1965年、ジョンスン大統領は、前年の公民権 法に次いで高齢者加盟のメディケア、低所得層加盟のメディケイドを通過させ、ヴェトナム戦争でしくじらなければ偉大な大統領としてあがめられたはずでした。しかし、上流層、そして働き盛りの中所得層などは高い掛け金を払って民間の保険に加盟 するしかありませんでした。従って、未加盟者は4600万人、このまま放置すれば2019年には未加盟者数が5400万人に達し、結局は国力の減退を加速します。 共和党や右派がなぜ国民皆保険に反対なのかは、それが <大きな政府>を招来するからです。「オバマはすでに倒産に瀕した銀行や証券会社、自動車メーカーなどに国 費をカンフル注射したうえに今度は健保か! 許せん!」 というわけです。そして やれ「政府の保険機構によって民間保険会社は潰される」、やれ「メディケア予算を 削って新保険へ回す(これは事実)から、高齢者は安楽死を選べと言われる(しかし全米最大の高齢者組織AARPはオバマ案に賛成)」、やれ「不法移民の保険コストまで 負担させられる」等々、歪曲した攻撃を繰り返しては国民を、惑わし、連邦下院での 通過を遅らせました。これはモボクラシーです。

 というわけで昨夜のBBC画像で、オバマが下院演説で「不法移民は対象外です」と言ったとたん、共和党のジョー・ウイルスン議員(サウスキャロライナ)がいきなり「ユアラ・ ライアー!」とわめいたのです。
オバマの背後に座ったバイデン副大統領、ナンシー・ペロシ下院議長の笑顔は一瞬にして驚愕の表情に変わり、暴言議員をにらみつけ、 副大統領は顔をしかめてうつむき、首を振りました。
ペロシ議長はまだ相手をにらみ つけたままです。それもそのはず、「ライアー呼ばわり」は、欧米では昔なら決闘に 繋がりました。しかしオバマは、まじめな表情のまま、「イッツ・ノット・トゥルー」とだけ答え ました。これに切れたのが、民主党の重鎮カーター元大統領で、夫人と同席の記者会 見で極めて遺憾と断言、「この国民の一部にはアフリカ系アメリカ人は大統領になってはならないという偏見がしみついた者がいる」と言い切ったのです。巷には、オバマの写真にヒトラーのちょび髯を描き込んだり、彼の顔を白く塗り変えたりしてデモするモボクラシーの輩もいます。

 つまり、オバマは以下のことを心得ていたのです。(1)人種差別がアメリカ史を 断層線として貫いており、何か問題(今回は健保問題)が紛糾する度に断層線に振動が伝わり、何層倍にも増幅されてきたこと、(2)従って共和党や右派は、健保問題をこの断層線に接触させようとあらゆる汚い手口を駆使してきたこと、(3)カーターが無思慮にもみすみすその手に乗ってしまったこと。  共和党は待ってましたとばかり、「大統領の批判をする度に人種差別だと言われちゃめちゃくちゃでござりまするがな」(1994年11月、共和党に40年ぶりの上下両院支配をもたらし、その威力をバックにクリントンを痛めつけすぎて高転びに転んだニュート・ギングリッチ)、もっとモボクラシーの裏の仕組みを露呈したのが、アフリカ系の共和党全国委員長マイクル・スティールの以下の発言、「人種カードを切ってくるとは、民主党は後ろ暗い手を使って健保を処理する魂胆が見え見えだ」でしょう。  多民族社会アメリカでのモボクラシーの極致は、「人種カード」です。これを先に切ったほうが負けになります。だって人種差別発言は<ノンPC>として即刻処罰されますからね。ウイルスン議員の「ライアー」発言は、民主党側に健保を断層線へ接触させる誘いの手でした。カーターのみじめさに比べて、ギングリッチの上記の発言はぐんとしたたかです。これがカーターがうかうかと切った「人種カード」への切り返しで、この応酬のしぶとさこそ、 おバカな差別的白人には強さと映り、票が集まるのです。もっとしたたかなのは、黒人を共和党全国委員長に祭り上げて「人種カードを切るとは民主党は汚い」と言わせることです。スティールは、オバマにはユダに当たるでしょう。

 最後に、オバマは共和党と右派によるモボクラシー的攻撃をどういなしたか? 5つのテレビの日曜番組に出て、健保を差別と切り離し、最後にウイルスン議員をこう切ってすてました。「15分間だけ有名になりたければ、一番簡単な手口は誰かに対して無礼になることですよ」。みごとですねえ! ひょっとして、カーター発言も、 オバマの優秀なスタッフによるやらせで、共和党側の手口の逆手をとる高等戦術で、オバマがみごとに総仕上げをやったのか? 健保は今週にも上院財政委員会を通過、上院本会議ですったもんだのあげく、年内についに通過、法制化される見通しです。だって、民主党上院議員は現在61名、これは共和党による議事妨害演説を禁じる60名を越えているのですから。どうにか不況の拡大を押さえ込み、国民皆保険を成立させただけでもオバマ政権の浮揚力は高まります。モボクラシーに対するデモクラシーの勝利、彼の冷徹な状況判断力の精華です。

 ネットにあふれるモボクラシーもこのように辛抱強く対応し、悪質書き込み者に匿名性の中でも恥と自制の感覚を取り戻してもらうよう誘導するしかないでしょう。

 現在進行形のモボクラシー例なので長くなりました。では、向山さん、アテナイのモボクラシーの例を1つご紹介下さい(09/10/7)。

向山宏

 そうですね。モボクラシー(暴民政治)はギリシアのオクロクラシー(衆愚政治)に当たる言葉で、同じように大衆煽動型の政治を意味します。主に急進民主政下で寡頭派、とくに重装歩兵民主政を念頭に「父祖の国制」や「5000人政体」を理想とする穏健寡頭派から投げつけられた蔑称です。寡頭派にとっては、民衆(デーモス)の政冶(クラトス、権力)自体が蔑称でしたでしょうから。

 もともと民衆は「騙されやすい危うい存在で、かつ利己的で自信過剰」(アリストファネス)でしょうから、甘言や煽動に弱いところがあります。その例を一つ挙げましょう。

 シケリア(シシリー島)遠征で陸海軍の主力を失い、同盟市の離反で敗色濃厚となったアテナイは、紀元前406年に起死回生の海戦に打って出ます。同盟市民のほかに奴隷や居留外国人まで乗り込ませた急造艦隊(150隻)で、120隻のスパルタ艦隊と対戦し、レスボス島沖のアルギヌサイで大勝します(ペロポネソス戦争での最後の勝利)。戦場の後始末を2人の船長に委ね、さらに追撃しますが、突然の嵐で追撃は失敗します。後事を託された二人の船長も破船や海上で漂流する味方の兵の救助に失敗します。これは冬に吹く突風ケイモンが季節はずれの秋に吹いたためで、いわば自然災害でした。市民たちもそのことは承知していました。

 救助に失敗した2人の船長は一足先に帰国すると、民衆の糾弾を恐れて、逆に作戦指揮した8人の将軍を告発する原告団に名を連ねます。船長の一人は穏健寡頭派の頭目テラメネスで、5年前に400人寡頭政を樹立しながらこれを打倒し、仲間を告発しつつ生き延びた人物です。いま一人のトラシュブロスも出費の多い三段櫂船職を引き受けて船長になった富裕者です(戦後に民主政を復活させた同名の立役者とは別人)。二人は将軍たちが一人でも生き延びれば復讐されるだろうと恐れて、一括裁判を求めたと考えられています。

 10人の将軍のうち2人はこの作戦には無関係、2人は国外に逃亡し、帰国した残り6人が一括裁判にかけられて処刑されました。海に放置され「墓なし」にされた戦没兵たちの遺族が激高したこと、民衆が勝利に狂喜しつつも一転して悲劇的結果になったことに落胆したことなどが背景にあります。しかし一括裁判は違法で、一人ひとりを慎重に裁くのが裁判の鉄則でした。

 この処刑に後悔した民衆は、のちに一括裁判を提案した人々を、死刑を意味する違法提案の罪で告発しますが、この事件は以後も民衆の心にトラウマとして残り続けました。ちなみに民会議長団の一人だったソクラテスはただ一人、一括裁判が違法であることを説いて反対しますが、押し切られました。処刑された将軍の中には30代半ばの若い小ペリクレスもいました。大ペリクレスの子供で、母のアスパシアが外国(ミレトス)生まれのため庶子(非市民)でしたが、戦時に2人の嫡子を失ったペリクレスが涙を流して民会に懇願し、アテナイ市民権を得させた人物でした。アスパシアは日本の花魁にあたる人気の高級遊女(へタイラ)で、その機知と教養の深さはソクラテスが師匠と仰いだほどの女性です。

 アスパシアについては、デモクラシーから外されていたアテナイ女性自由民の実態について、ヒラリー・クリントンの民主党予備選での敗退も含めてアメリカの女性運動との関連で触れるとき、後述できればと思います。(09.10.10)
top ステレ1         10

一番上へ
Copyright ©2009-2010 Michio Ochi All Rights Reserved. Valid HTML 4.01! 正当なCSSです!
inserted by FC2 system