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オリュンピア

越智道雄

 なるほど、二重底の民主政が<走る重装歩兵>と漕ぎ手たちとの機能と活躍の状況の違いに起因したこと、無境界の海洋に乗り出すことが当時の覇権国家への道だったlことは、陸封国家より、海洋国家だったイスパニアや大英帝国の覇権と重なりますね。ただ、どちらかというと陸封国家風のスパルタが最後に海洋国家のアテナイをペロポネソス戦争で破る背景など、他日、伺いたいものです。

 さて、足踏みしましたが、次の課題に進みましょう。

 向山さんは、ステレ2で、クレイステネスの「部族改革」に言及されましたね。血縁の4部族制を地縁の10部族に再編したわけですが、これとアテナイ民主政との関連を展開して頂けませんか?

 人類は、血縁のくびきを逃れ、地縁へと拡大しますが、その地縁にも窒息感を覚えました。ヨーロッパでは、教区(パリッシュ)が最小限の地縁体でしたね。世俗の権力者である領主の館、精神的権力の主である教会、そこのピュー(家族席)は事実上の戸籍でした。また、教会の墓地も強力な共同体意識の膠でした。後は住民の集落と農地、薪や家畜の飼料を得る入会地という構成です。ロビンスン・クルーソーは、船乗りになるべく親を残して教区を脱出するとき、「何か邪悪なものに突き動かされて」と軽い罪意識を抱きました。

 この教区を破壊したのは農地囲い込みの動きでしたが、これは蒸気機関、次いで内燃機関という、それまでは風力、水力、火力、家畜力、人力しか動力(パワー)を持たなかった人類が初めて魔力的パワーを入手、工場が乱立、そちらへ構成員を吸い取られ始めたからです。もはや、クルーソーのような罪意識もなく、人々は教区を離れていきました。しかし、彼らは集団的無意識の中では「何か邪悪なものに突き動かされて」いたわけですね。これが近代化という「欲望の大解放」でした。

 それはさておき、個人を血縁から地縁へと解放するダイナミズムは、当時の内燃機関に相当したかと思われます。これがどう民主政と結びつき、ひいてはアテナイの覇権へと繋がっていったのか?

 実はこれに響き合う合衆国側の地縁性があるのです。最初にヴァージニアへ入植したアングリカンたちは、主にイングランド南部から来たアングロサクスンでした。南部にはサセックスとかウェセックスなどの地名がありますが、これは南のサクスン、西のサクスンという意味です。この地域は最も遅くまで奴隷がいました。その彼らが、アメリカ南部に黒人奴隷を擁する大農園を造り、大西洋岸からメキシコ湾岸をテキサスまで展開、「沿岸南部」という地域文化圏を構成します。次にマサチューセッツに入植したピューリタンたちは、アングリカンへの造反分子で、主にイーストアングリアから来たデイン人でした。北欧人種ですね。このイーストアングリアの知的センターはケンブリッジでした。彼らは入植先で悲惨な魔女狩りから瘧が落ちたように目覚めると、アメリカの民主的理念を高々とかかげ、黒人奴隷制や女性差別との戦い、公民権運動、反戦運動、文化多元主義運動などに邁進していきます。彼らはほぼ同緯度で西進、サンフランシスコ以北まで展開しました。これを「北部帯地域文化圏」と呼びます。

 このようにイギリス本土のどこから入植したかで、文化はかなり違い、後3つ主な地域文化があります。そして大西洋側からの移民の上陸地点ニューヨーク、太平洋側の相似物ロサンジェルスを加えて、ざっと7つの地域文化圏があるという説があるのです。

 もっと驚くべきことは、例えばヨーロッパからの移民、ルーマニアからとしますか、彼らが北部帯に入植すれば、極めて理念的な文化に染まり、沿岸南部に入れば差別的な文化に染まり、ルーマニアの痕跡をそれらのイギリス始発の地域文化が凌駕してしまう傾向が強いことです。

 そして何よりも、西へと突き進んだ点では、どの文化圏も同じでした。このダイナミズムこそ、覇権国家へのドライヴ、すなわち「明白な運命」でした。ジョン・ギャストという画家の絵、「アメリカン・プログレス」では、白いヒマシオン(古代ギリシャの女性のドレス)を翻した巨大な女神が、小さな幌馬車隊や騎馬の西進者たちとともに歩んでいきます。この女神が、ニューヨークで移民たちを出迎える自由の女神の妹でないと誰が言い切れるでしょうか?

 むろん、この地域文化圏の傾向とクレイステネスの部族改革とはまるで異質かと思いますが、多少の照応は見られるかもしれません。その前提でたいへんお説の展開に興味を抱いております。ではどうかよろしく。(09/11/11)

向山宏

 覇権国家はイスパニアやイギリスのように「海洋国家」が多いのに、「陸封国家」風のスパルタがなぜ海洋国家のアテナイをペロポネソス戦争で下したのか?この質問にお答えしておきますと、まずペロポネソス同盟軍の中にはコリントスやアイギナのような有力な海洋国家が含まれていました。またさらに、陸封国家風のスパルタはペルシア帝国の資金援助でこれらの国の軍船や乗組員を増強し、最終的にはアテナイを海戦でも破ったわけです。

 さて、ステレ2に書いたクレイステネスの部族改革(紀元前508/7年)とその結果として成立する民主政との関係について説明しますが、その前に簡単にアテナイの部族制度について説明しておきます。改革までのアテナイでは血縁の一族である氏族が住民の基本単位としてあって、幾つかの氏族でフラトリアが作られ(12フラトリア)、3つのフラトリアで1部族が作られていました(4部族)。擬制ですが、「血縁4部族」と呼ばれています。こうしたフラトリアや部族に勢力を扶植してポリスの政治を左右したのが有力氏族である貴族門閥でした。これに対してクレイステネスは既存の村落を区(デモス)とし、住民の基本単位に改めます。この大小さまざまな区を「都市地区」「海岸地区」「内陸地区」ごとに10トリッチュス(三分の一部族)、合計30トリッチュスに編成し、3地区からの各1トリッチュスで1つの部族を作りました。これが「地縁10部族」と呼ばれるものです。私やP.ジーベルトはこの改革を軍事改革ではないかと考えていますので、まず軍事編成の面からこの新10部族を述べてみることにします。

 重装歩兵は集合するのに時間がかかります。いったんはアゴラ(都市広場)に集結するので、いちばん遠いマラトンの丘やスニオン岬から駆けつけると一日かかります。

 使者が知らせに行き(早馬や狼煙を使うにせよ)村々に触れ廻る時間も要ります。なにしろアテナイは越智さんが触れた「6日戦争」の主役で四国ぐらいのイスラエルより狭い領土(佐賀県ほどの面積)でしたからね。モタモタしていると国境を越えた侵入軍は都心部を占領してしまいかねません。

 そこでクレイステネスはアテナイの領土を3分割し、都心部に近い周辺を「都市地区」として10個の三分の一部族(トリッチュス)を作ります。とりあえず各部族の3分の1の重装歩兵部隊をすばやく集結させて敵軍に対応させたのです。残りの「内陸地区」と「海岸地区」の重装歩兵は主要な道路沿いの一番端から出発し、途中の部隊を合流させつつ隊伍を整え、都市に着くころには残り3分の2の部族部隊が整うように両地区に10個ずつ、計20個のトリッチュスを配置しました(P.ジーベルト)。この体制で、既に戦っている「都市地区」の先発隊に合流させます。ばらばらに駆けつけると編成に手間取り、途中で襲われる危険もあります。密集隊は小隊単位では、訓練で気心の知れた者同士で隊伍を組みますし、とくに改革時に民衆参加で密集隊が膨れ上がって、スパルタの大軍を迎え撃とうとする状況では、この措置は必須でした。

 こうして新10部族の軍隊は都市周辺、海岸部、内陸部という異地域の住民を含み、貴族や平民という異なった階層を含み、これらの要素を「融合」(アナミクシス)させ、対等な立場を与えて結束を促しました。この「融合」と「対等」が民主政の基盤になります。たとえば10部族はほぼ同数の重装歩兵からなり、「名誉ある右翼」の部署も10部族で順番に交代させ、最右翼は指揮官の位置ですが、当該部族の将軍を当てて交代させました。この公平さが民主政にとって重要で、この部族改革の結果、次のステレ6で述べるような経緯で、改革直後に(紀元前508/7年)西、東、北から侵入したスパルタとペロポネソス同盟の大軍をアテナイは奇跡的に撃退することができました。

 さて、この軍事編成は裏返せばそのまま行政区や選挙区になります。クレイステネスはアテナイ全域にわたって、貴族や平民の住む大小さまざまな139の村落をそのまま「区」(デモス)とします。ここでは区民会による自治、市民権の認定、官職候補の選出などが行われ、この区が都市国家の基本単位になります。(区ではその規模により16名程度の重装歩兵の小隊が一つ又はいくつか編成されます。小隊は普通8名の縦列が2列、16名からなり、その中から一人の民衆評議会員(合計500人)が選出されるので、16人×500人=8000人規模の重装歩兵が想定されます)。この区をいくつか纏めて、3地区それぞれ10個ずつ合計30個の、前に述べたようなトリッチュス(三分の一部族)が構成されます。重装歩兵数ではトリッチュスは同規模でしたので、3つのトリッチュスからなる部族も同規模になりました。民主政を支えるシステムがここにはあります。このようにクレイステネスの部族改革は地域と住民の「融合」、「公平」、「市民的結束」(この段階では全市民より全重装歩兵の、ですが)を生み出した、軍事強化と民主政が表裏一体になった改革であると言えましょう。(09/11/22)
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