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映画10_14.ボラットとアメリカ人と私たちのためのサバイバル喜劇『ボラット』

 この映画は、謎かけ問答だと、イスラム教徒役のユダヤ系俳優によるお笑いアメリカ探訪記──その心は? 三方笑われ損、結局、三方笑い笑われ得。

 現下のイラクvsアメリカ情勢を見れば、イスラム教徒もアメリカ人も、笑い笑われる余裕がない。こういう状況で笑い笑われる余裕は、最強のパワーとなる。またしても、そのパワーがユダヤ系側から発揮された。パレスチナvsイスラエル情勢でにっちもさっちもいかないはずなのにどうして? 悪いことだらけだったユダヤ系は、「どうしていいか分からないときは、とりあえず笑え」が文化的信条になってきたからだ(拙著ビジネス社新刊『新ユダヤ成功の哲学』読んでね)。

 主役俳優サッシャ・バロン・コーエン──この芸名はイスラム名・欧米(キリスト教)名・ユダヤ名が合成され、芸名自体が世界の緊張を笑い笑われで切り裂く戦略なのだ。

 その戦略のダントツは? コーエンが自身演じるボラットに、連れのプロデューサーが航空便を避け、車でのアメリカ横断にしたのは、「ユダヤがまた9/11起こすのがこわいから」と言わせる場面だ。ボラットの母国カザフスタンでは、あの事件はアルカーイダではなく「ユダヤ国際陰謀団」のせいにされ ているお笑い──これで現実の世界情勢がひっくり返され、後はボラットの独壇場となる。残念なのは、なぜかケネディ空港での身体検査場面で笑い笑われシーンがないことだ。

 イラク侵攻の大枠では、ロデオ大会場面が圧巻だ。ボラットがブッシュ政権による残虐性を愛国主義の仮面でほめたたえ、白人ばかりの観客は上機嫌だが、ボラットが「イラク人を皆殺しにして千年間トカゲしか住めない国にしろ」とエスカレートしたため観客が白け出し、米国歌のメロディーでカザフスタン国歌を歌う苦肉の策も歌詞がでたらめ、自国以外はみんなゲイの母国だなど、結局はアメリカ社会の現状を反映させる内容になったため、ついにブーイングの大爆発となる。映画のこの場面で笑われても笑えた<健全な>アメリカ人観客はどれだけいただろうか?

 母国でのユダヤ狩り競技、アメリカのユダヤ系民宿騒動などのユダヤ・ジョークは、逆に高級な差別告発の典型になっている。

 プロデューサーに逃げられ、どん底に落ちたボラットが狂乱の説教で悪名高いペンテコステ派の集会で「救われる」場面も、実は精神的にどん底に落ちた膨大なアメリカ人が「キリスト教右翼」としてこの種の集会で「救われ」、ブッシュ政権を支えてきた現実を、イスラム教徒ボラットを触媒に使って逆照射 に成功した最高傑作シーンである。

 これと対になるのが、住宅ローンブローカーの年次大会で、すっ裸のカザフスタン二人組がくんずほぐれつの抱腹絶倒シーンだ。周知のように今日のアメリカ経済とブッシュ政権は辛うじて住宅ブームに支えられている。そのブームの発生源でのイスラム教徒同士の素裸の乱闘は、何よりもイラクでの同胞相打つテロと掃討の応酬、その背景であるイスラム側の貧困と苦悩のあられもない露呈である。しかも、パーティと信仰集会のアメリカ人は、かなりの部分重なり合っているのだ。

 今から百三十年ほど前、フランス貴族ド・トクヴィルがものした新生国家アメリカの有名な探訪記では、産業革命以降で世界最初の民主主義国家アメリカは、骨格面では病んでいなかったし、この貴族自身、余裕の視点を保持できた。今日のアメリカは屋台骨がざっくり酸化し、イスラム圏の窮地はそれ以上である。双方の窮地を、ユダヤ系のコーエンは笑い笑われ戦略で突破してみせた。笑い笑われる間は、まだ可能性が残っているのだ。大長編小説『モンテクリスト伯』は「待て、而して希望せよ」で終わった。ならば、「笑え、而して希望せよ」で終わろうではないか!
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