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映画10_19.妻の死後に始まる覚醒への旅『ナイロビの蜂』

 この映画は、ジョン・ルカレの原作『こまめな庭いじり男』を、ブラジルが舞台の『シティ・オヴ・ゴッド』の監督フェルナンド・メイレレスが手がけたものである。

 主人公の英国外交官ジャスティンは、外交活動の戦略性が分からず、庭いじりに精を出す鈍感な男として登場する。映画は、彼がその「戦略性」ゆえに妻を暗殺され、自分たち夫婦が閉じ込められてきた現実にめざめていくドラマである。妻の死がなければ訪れることがなかった覚醒──この痛切な覚醒がこの映画で私たちにさしつけられた教訓なのだ。

 世界中の陸地の半分を植民地にした大英帝国の外交は、表面は優雅に、裏では収奪という原則に則ってきた。さらに、外交と諜報活動は上流階級が担ってきた。大資産家たちだから国家の悪事その他の機密を漏洩しないという前提からだ。映画だと、サーの称号を持つ英外務省の局長がロンドンで主人公と会見する排他的な上流の社交クラブにその情景が凝縮されている。

 欧州の先進諸国は、昔からアフリカの収奪を続け、もはや奪うものときたら「安価な人命」だけになってしまった。映画で紹介されるナイロビの巨大スラム、キベラのすさまじい貧困はその象徴だ。キベラは「森」の意味だが、森をスラムに変えたのは先進諸国の植民活動だった。しかし、外交官は収奪し尽くした任地先でも、その利用価値を引き出せなければ失格である。そこで映画の外交官らは、近未来で地球規模に復活が予測される結核の特効薬を開発する巨大製薬会社に、ケニヤ人のエイズ患者に対して人体実験を行う悪事を黙過する。知らぬは主人公だけである。彼の妻は知り、告発して殺された。

 ちなみに、製薬会社は世界中どこでも特権獲得のために自国政府に対して猛烈にロビー活動を展開する。「特権」の中には、本国では実験を認められない「危険な新薬」を、途上国でなら黙過してもらうことも入る。現実には、米の製薬会社ファイザーが無許可薬をナイジェリアで使った例がある。

 さらに、人体実験以外に、アフリカは兵器産業の最大の得意先だ。アフリカ人同士殺し合わせれば、兵器産業、傭兵産業はうけに入り、子供まで殺戮に参加してくれる。

 さて、右の構造を熟知して贖罪に尽くす白人も少数ながら存在する。主人公の妻テッサはその一人で、アムネスティ・インターナショナルに属し、同志のケニヤ人医師と人体実験の調査と告発に邁進した結果、暗殺される。しかも、英外交当局は主人公に、妻が情事相手のケニヤ人医師に殺されたと告げる。

 ここから主人公の「痛切な覚醒」への旅が始まる。それは二つの「裏切り」を暴く旅だとも言える。「妻の裏切り」はすぐに虚偽と判明するが、主人公は「国家の裏切り」という巨大な壁にぶち当たる。英国政府の裏切りは、製薬会社を通してナイロビのエイズ患者に対して、英国民に対して、世界に対してなされたわけだが、「英国女王の外交官」としての自分に対してもなされたことになる。そして、何よりも妻を殺害された。

 「外交の戦略性」への覚醒は二の次で、自分自身の人間性の未熟さへの覚醒が映画の主題である。テッサは生前、「あなた、私を分かってくれるはずよ(ユー・クッド・ラーン・ミー)」と彼に告げた。これに苦笑するだけだった彼は、この言葉の重みを今こそ思い知るのである。しかし、それを知ったとき、彼の運命も尽きることになるのだ。
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