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映画10_2.格差社会、社会主義の見直しを迫られる時期にカストロ映画をどうぞ『コマンダンテ』

 オリヴァ・ストーンの2002年2月のカストロ面談を軸にアメリカにとってキューバがどんな存在なのかを解読してみせた逸品。

 アメリカにとってのキューバは、例えばかつての日本の反体制派にとっての中ソと北朝鮮と等価だったと言える。ソ連の崩壊と中国と北朝鮮の直接的な挑戦に直面した今日の日本では、左派といえども今やこの両国に親近感を抱ける者は激減した。

 一つの国において、極右と極左はともに現政権に批判的である。しかし、極右が大和魂などのナショナリズムを振りかざすのに比べて、極左は往々にして理念に頼り、その理念を体現していたと思われた中ソその他をお手本にしてきた。そのために、極右はおろか、中間派からさえ彼らは裏切者視された。

 ここで声を大にして言っておかなければならないのは、左派も愛国主義者だということである。現政権に対する批判は大切であり、より広い人道的視野に立つ批判こそ不可欠だ。ただ、社会主義の理念と中ソや北朝鮮などはまるで異質な存在だということを、私たちは刮目して警告し続けなければならない。マルクスの資本論は再び読まれるべきである。グローバリズムが生み出した激烈な格差社会を見れば、新しい反体制としての社会主義の復活は焦眉の急だと言えよう。

 ただ、歴史上実在した社会主義は、秘密警察によって維持してきた一党独裁制ゆえに現政権批判が封じられ、平和裡の政権交代ができず墓穴を掘った。カストロは、いかに魅力的とはいえ、その意味では前世紀の遺物だ。

 それを認めた上で、「アメリカの中の第三世界」、つまりマイノリティ貧困層、さらにはアメリカ帝国主義の犠牲になってきた中南米の人々にとっては、カストロは新たに反米のスターとして台頭してきたベネズエラのウーゴ・チャベス大統領に先立つ英雄としての価値を失ってはいない。

 米ソの対立を中和すべく、22のアジア諸国、7つのアフリカ諸国が結束、インドネシアのバンドンで「非同盟諸国連合」を形成したのは、キューバ革命が成功した1955年だった。今や、アメリカの一極支配に対して異議を唱えられるのは「非同盟諸国」ではなく、カストロとチャベスら中南米諸国に限定されてきた。とはいえ、昨年、第14回非同盟諸国会議は、何と9月11日(9/11)、ハバナで開催された。

 私の脳裏に焼きついているのは、かつて、米州機構会議のパーティ会場でブッシュ父大統領と戦闘服姿カストロ首相が会釈なくすれ違う映像である。ブッシュ父は息子より巨漢なのだが、カストロのほうが上背があった。しかし、国家としての規模で言えば、カストロはブッシュ父の親指の大きさもない。だが、会場では彼がブッシュを凌駕してみえたのである。私にすらそうみえたのだから、この映画で車で外出したカストロに本心から出た満面の笑顔で国民が群がり、頬をちょっとつつかれたキューバ娘が、まるでイエスに触られたような恍惚の表情になる。ラテンアメリカ医科大学訪問の場面も印象的だ。ソ連崩壊後、物資が欠乏、この大学も設備不十分、車も国民はおろかカストロですら1950年代のアメ車を部品を取り替えひっ変え使う耐乏生活の最中でさえ、国民の間にカストロ敬愛の念は濃厚なのである。

 海外でも古い世代ばかりか、若い世代間でも未だにカストロ人気が続いてる。その証拠に、この映画で「イラクに侵攻し、イランにまで侵攻しかねないブッシュ息子はキューバ侵攻をやりかねないが」と聞かれて、カストロが「なあに、来たらこってりかわいがってやるさ」と大見得を切る場面で観客の多数を占めたイギリス学生は一斉に拍手した。

 キューバの大学は、海外からの留学生にも無料である(映画ではニューヨークのヒスパニック留学生が登場)。カストロたちが倒したバティスタ政権時代、キューバの学生数は4万人、それが今では70万人、しかもバティスタ時代10万人いた娼婦も、今日では大学に来ていると、カストロは笑わせる。

 映画ではカストロは警句を連発するが、どうもたがいに深い友情を抱き合っていたヘミングウエイの口調に似ているのだ。これは映画ではないが、米人記者に娼婦の実在を突っ込まれたカストロは、それを認め、「少なくとも娼婦としてはベストだ」と切り返した。また、日常生活を聞かれて、「政治には最小限度の時間、残り時間の大半は同志とのおしゃべりに使う。そして髭を剃って時間をむだにするな」と答えた。エルツィンとゴルバチョフと酔っぱらって道路工事のパイロンを頭にかぶってのご帰館の話、数多い女性との関係を聞かれたとき、少年のようにはにかんで両腕を振ってみせる仕種(何しろ通訳の女性が目下の愛人)、反米の権化がナイキをはき、ブリジッド・バルドーのファンなのだ。

 ストーンはカストロに「精神分析医の問診を受けたことがあるか?」と唐突に聞くが、カストロは当惑げに、「そんな時間あるかよ。きみら資本主義の走狗はなんであんなものにかからなきゃいけないんだ?」と聞き返す。しかし、これはストーンが投げた変化球だった。キューバに一定の言論統制やゲイ否定の風潮などがあるのは事実である(自身ゲイの詩人アレン・ギンズバーグは、キューバに招待されたとき抗議した)。ゲイ差別、白人と黒人間の差別、果てはベトナムで米軍捕虜の拷問にキューバ尋問官が立ち会ったかどうか、彼がチェ・ゲバラを裏切ったのではないか?などのストーンの質問を、カストロは警句ではぐらかす。なにせ一党独裁、しかも指導者の交代が全くなかった以上、問題は山積だろう。カストロが暗殺の危険に怯えていれば、手短な問題解決策は分析医の問診に頼ることだ。愛人の通訳の英語を信じず、ストーンはカストロのスペイン語に字幕をつけた(微妙なズレが浮き彫りにされ、興味深い)。

 キューバ侵攻(1961)とキューバ危機(62)とで因縁のケネディ大統領については、映画ではカストロはケネディがソ連に利用されたという興味深い説で、また彼の暗殺は絶対に単独犯ではないと言い切る。定説では、彼の暗殺はキューバ侵攻に乗り気でなかったケネディに対する反カストロ派の在米キューバ人の怨恨絡みとされる。キューバ危機で煮え湯を飲まされたケネディに対して、カストロは何だか同情的なのである。

 過去70年、マルコス、イランのシャー、バティスタ、一時はあのノリエガやサダム・フセインなど、アメリカが援助してきた幾多の独裁者に比べて、カストロははるかにましな独裁者だ。アメリカもその反省から、ノリエガやサダムを切り捨てたのではなかったか。社会主義革命の功罪は冒頭に掲げたように現実には罪が多かったが、なぜ革命を起こさなければならなかったか? その原因については、バティスタ政権の悪を見れば誰一人異議を差し挟めまい。

 最初の蜂起に挫折した1953年、カストロは76日、弁護士接見もなく閉じ込められた。これは今日、グアンタナモ基地(キューバの米軍基地)に拘束されたテロリスト容疑者と同じ、人権否定だとカストロは糾弾する。アメリカの劣化は、彼には待望の反撃の機会を提供してくれたわけである。私たちはその多くを共有せざるをえない。
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