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映画10_20.フランスの国家的内部矛盾を象徴したギャング『ジャック・メスリーヌ』

 一九七○年代後半に射殺された悪名高いジャック・メスリーヌ(彼自身はメイリーンが正しい読み方と主張)の生涯を描いた前編・後編二部作である。

 カポネもディリンジャーも、彼らを生んだそれぞれの時代背景があった。この映画のメスリーヌ(発音はメイスリン)の場合、ナチスによる仏占領で去勢されたフランスが、アルジェリア独立運動という旧植民地の造反によっても去勢され、反動的に暴力を発動した時代背景があった。また、過去の一切を放棄して再生しようとした若者の造反(カウンターカルチャー)も、このギャングと周辺で関係していた。また、主人公が、フランスの「セミ植民地」だったカナダのケベックを舞台としたことも興味深い背景である。なにしろ、ケベックにはカナダ連邦からの独立を策す極右だらけで、メスリーヌの反抗との共通項があり、彼も「ケベック解放万歳!」と叫んだりするのである。革命は体制側には一種の犯罪で、メスリーヌの時代は従って犯罪がエロスを持ちえた時代でもあった。

 あのジェラール・ドパルデュが大親分ギドとしてカメオ出演することも魅力だ。

 ただ、メスリーヌは、アルジェリアで上官の命令で独立運動家を拷問し、殺害した以外、上記の歴史的背景のどれとも深くコミットはしない。特に後編では、主人公は「公敵ナンバーワン」(FBIがディリンジャーに対して最初に使った呼称)とか「千の顔を持つ男」(一種の怪人二十面相)などのメディアが造り出した「他者」に自分を合わせて生き抜き、官憲に無残な形で惨殺される(この場面は、前編冒頭と後編の最後でまるでブックエンドのように挿入)。私たちも、人生半ばから世間にささやかに打ち出した自身のイメージという「他者」に合わせて生きるわけで 、その点がこの映画に深みを与えている。

 ただ、上記の時代精神と多少は響き合うと見えた彼の生き方ゆえに、メスリーヌが等身大より大きなギャングとして、カポネなどに迫るフォークヒーローになれた。  ギャング映画としての醍醐味は、主人公が刑事に化けて警察に入り込み、警備体制の手ぬかりを確認してから、カジノを襲い、みごと脱出する場面が秀逸。また、銀行襲撃直後、向かいの銀行も襲う衝動的犯行も魅力。女性弁護士から入手した拳銃を懐に呑んで法廷に出頭、いきなり判事を人質にとるとか、あらかじめトイレの水槽に拳銃を隠しておき、逮捕された時点で便意を訴え、この拳銃で手錠のまま脱出するシーン等々。

 仲間への仁義のためには情婦を棄てるかと思えば、別の折りには情婦を警察の銃火の犠牲にすまいと自分の天敵である警部を度胸試しに包囲された部屋へ単独で入らせ、シャンペンでもてなして逮捕される。40余名の命を奪った男ならではの異様な輝きと言える。
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