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映画10_4.人間としてのサムライ、観念としてのサムライ『ラストサムライ』1

〔ギャトリング・ガン、御雇外人、士族反乱〕

 この映画のキーワードは、(1)ギャトリング・ガン、(2)御雇外人、(3)士族反乱である。(1)と(2)は、武士道と騎士道を破壊する近代化、特に軍事面の近代化を象徴する。(3)においては、武士道と騎士道が東西の壁を越えて合体する。

 ギャトリング・ガンは、この映画で北軍将校オルグレンが南軍と日本帝国軍に突撃して敗れる契機となる。南部人リチャード・J・ギャトリングがこの初期の機関銃を発明したのは、南北戦争中だった。「一丁1500ドルのこの機関銃で維持費が5万ドルかかる一個連隊分の兵力に匹敵する」と言われたから、いわば当時の「核兵器」だった。ところが、この機関銃による「屠殺」は戦争の美学をも粉砕するとして、軍自体が導入に消極的だった。オルグレンの実弟の死体は、顔半分が吹き飛ばされている。死体と判定されたオルグレンは他の死体と一緒に車に積み上げられ、蘇生して顔を粉砕された弟の下に積まれて、至近距離からその顔を見てしまうのだ。

 御雇外人は、西欧が100年かかった産業革命を30年でしてのけた日本の場合、軍事面より工業面のほうが多く、人数は工業面では英、軍事面は独がトップだった。

 ペリーが開国の糸口をつけた割りには、米は工業・軍事両面で、御雇外人は少ないほうだった。日本民話のラフカディオ・ハーン、日本美術のE・F・フェノロサ(共に東大)、農業のW・S・クラーク(札幌農学校)らが有名だが、日露戦争後のポーツマス条約で小村寿太郎外相らを助けて活躍したH・W・デニスン(外務省顧問)は重要だ。

 この映画では、米政府が大村財閥と結託、日本との兵器その他の通商独占を画策、オルグレン大尉が御雇外人として新生日本軍の訓練に当たる。しかし、財閥の長で明治政府の実力者、大村は、世界列強を競り合わさせて米側を焦らす。その過程で、統制的なドイツ方式が天皇制の日本には向いていたので軍事 教官を独士官らに任せ、独兵器を採用する。

 映画では鉄道敷設が近代化の象徴とされ、それが敷設される吉野を拠点に、旧来の武士道を破壊から守るべく士族らが反乱を起こす。吉野は桜の名所なので、武士道の両面価値、「桜と刀」に合致するわけだが、この地方では現実の士族反乱はなかった。反乱の指導者モリ・カツモトが明治新帝の指南役で廟堂に席を持つ参議(今日の閣僚)なので、西郷隆盛(西南戦争)や江藤新平(佐賀の乱)を連想させる。事実、映画の士族反乱は西南戦争と同じ1877年に設定されている。

 また、大村には、岩崎彌太郎(三菱)と大久保利通のイメージがダブらされている。

〔明治新帝による武士道エネルギーの転用〕

 カツモトは西郷と似ていないが、西郷の人生訓、「天地自然の道」を体現してはいる。「人を相手とせず、天を相手として力を尽くし、人を咎めず、自分の誠が足りないことをいつも反省しなければならない」。これは新渡戸稲造の『武士道』、「名誉」の章に出てくる言葉なので、ウェスト・ポイントの騎士道精神が教えた軍人としての「名誉」をギャトリング・ガンによって粉砕されたオルグレンは、カツモトが体現する日本側の「名誉」と合体することで救われようとするのだ。

 自国では、反乱軍の南軍が鎮圧軍であるオルグレンの北軍に対してギャトリング・ガンを使用した。ところがオルグレンは日本では、御雇外人の立場を棄てて反乱士族に身を投じ、しかもこの反乱軍は近代兵器を一切拒否、刀と弓矢だけで鎮圧軍である日本帝国軍部隊に突撃し玉砕する。帝国軍が駆使するギャトリング・ガンは、オルグレン部隊が壊滅させられた南軍のそれが一秒間に60発だったのに比べて、200発まで高性能化している。日米二つの反乱の入れ違い現象は、この映画がオルグレンの「名誉」回復の物語であることを示す。絶望的な突撃を前に、彼は母国で下賜された名誉の勲章を帯びるのだ。

 他方、この「天」は、カツモトにとっては現世では明治天皇が体現しているのだが、オルグレンにはピンとこない。それでも、切腹して果てたカツモトの刀をオルグレンが届けたとき、新帝はアメリカ一国との通商条約を破棄、世界の列強との通商に転換、吉野への鉄道敷設を禁じ、大村を流罪に処すことで、 オルグレンにとっても「天」に近づく。

 これは同時に、士族反乱のエネルギーと文明開化エネルギーの均衡をとれる機能は天皇にしかないことを示してもいる。均衡機能は、士族反乱のエネルギー源となった武士道概念を中和、それを天皇の軍隊のエネルギー源に移し変えることだった。この処分の後で、新帝はオルグレンに「サムライはもはや人で はない。サムライは観念だ」と告げるのだ。

 そのとき天皇が「カツモトの死にざまを語れ」と命じるのに対して、オルグレンは「彼の生きざまを語りましょう」と切り返す。「死にざま」は名誉の護持には肝要だが、失われた名誉を回復するには「生きざま」こそ大事となるからだ。南北戦争で「生きる価値」を喪失したオルグレンは、遠い日本でカツモトの馬側を駆けたことでそれを回復できた。

 大村が私利私欲を満たすのは別として、彼がカツモトを「自国を過去の罠にかけ続ける輩」と非難、自らを「国民を未来へと導く者」と規定するのはその通りである。その大村に「それは名誉のない未来だ」と切り返すカツモトも、彼の哲学では正しい。

 しかし大村が築いた日本の進路は天皇が彼を流罪に処しても、途絶えはしない。以後、日本は士族反乱から移しかえた武士道エネルギーをにわかに近代化した政治、産業、軍隊その他、社会のあらゆる側面のカンフル剤に活用、日露戦争、対中戦争、二度の世界大戦、戦後の貿易戦争へと突っ走る。だが、カツモトの武士道は消え去ろうとしている。何事も消える寸前にその価値はいや増すのだ。元イギリス外交官グレアムは、絶滅寸前の武士道を写真や記録に残そうと、戦士でもないのにカツモトやオルグレンと死線を潜り、後者の日本体験記(日誌)を託され、母国で『ラスト・サムライ』を著し、講演活動で消え去った日本を講義する(この題名では現実にマーク・ラヴィーナの著書が出たばかりで、これは西郷隆盛の生涯を描いている)。

〔乃木=マッカーサー、カツモト=オルグレン〕

 戦争の美学という点では、最後の戦闘におもむくカツモト麾下の騎馬武者らはまさにその象徴である。彼らの一人一人が、未来を幻影と見なし、現在に生きる、いや一呼吸毎に生きる、「すべての呼吸に生きる。それが武士道だ」という心掛けで日夜修行に励んできた。日本刀は二種類の鋼を貼り合わせて鍛えるので刃紋が出るのだが、彼らはこの二種類を人格の柔軟性と攻撃性の比喩とし、刀を自分の魂の具現物と見なしてきたのである。

 そんな彼らにとって、戦闘とは殺す相手の目を見据えての荒技なのに、遠距離の敵を倒せる銃は殺す勇気すら要らない。ギャトリング・ガンなどの近代兵器は武士道を粉砕してしまった。カツモトは、勇士らが顔の見分けもつかない死体になりはてた光景を悲しみ、オルグレンの絶望にここで追いつく。

 大村に監禁された姫路城で死ぬ覚悟だったカツモトがオルグレンに救出され、500名の武士団と最後の突撃を敢行することになったとき、カツモトはオルグレンに対して、「なぜ貴殿がわが人生に送り込まれてきたのか?」といぶかる。

 ペリーはよくマッカーサーと対比される。マッカーサーは、降伏文書調印が行われたミズーリ艦上にペリーの提督旗を掲げていた。他方、マッカーサーは二十代の将校時代に来日、乃木将軍ら日露戦争の英雄と会見、日本の武士道にいたく感銘を受けており、また渾身、近代化された騎士道を体現していた。マッカーサーは東条ら同世代の日本の将軍らを断罪する立場にいたので、彼らから武士道を学ぶ機会はなかったが、乃木らとは年齢が合わない形でオルグレンとカツモトの関係を体験していたのである。だから、映画の二人は、初めて日米の武士道と騎士道の幸せな合体を同世代同士で体験してみせた例となった。

 他方、オルグレンは「反乱軍(南軍)と戦うべく訓練されたくせに今は自分が日本で反乱軍になった皮肉」を生きることで、実弟を含めた麾下部隊の壊滅、絶望の底でウィンチェスター銃器製造会社の宣伝屋に落ちぶれ、さらには自国兵器メーカーの対日取引の先兵としての御雇外人の境涯からの「再生」、騎士道精神の回復の機会を掴む。

 しかも日本を愛するグレアムの願望の中では、オルグレンは桜満開の吉野の里で自分が政府軍側で戦ったとき倒した武士の未亡人タカと、平和に暮らしているのだ。

 危険に満ちた世界で日米安保条約の傘の下で核武装もせずに存続していられる現在の日本とはあまりにかけ離れた物語だが、グレアムのみならず、このような対等の関係での日米関係はわれわれの願望でもあるだろう。
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