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映画11_10.ジョン・ウェインから『スター・ウォーズ』へ

〔ジョン・ウェインから『スター・ウォーズ』へ〕

 今日の私たちにとっての<場所(トポス)>を考えるとき、例えば、西部劇が流行らなくなった経緯がふと頭に浮かんだりするのである。

 中学時代、学校に内緒で見にいったアメリカ映画のほとんどが西部劇だった気がする。終戦後の今治市(焼夷弾爆撃でかなりの部分が焼けた)は安心できるトポスではなかったから、私にとっては現実にいったこともないアメリカ西部が安心できるトポスだった。

 西部劇が流行らなくなったアメリカ側の事情は、一九六○年代、白人によるインディアンの迫害が糾弾されたからだった。当時すでに、私は社会人になっていた。またアメリカでは、白人による開拓が自然破壊として非難もされた。開拓が冒険というジャンルにくくられれば、冒険そのものが白人によるアフリカ、アジア、南北アメリカ両大陸の植民地化の原動力となった人間活動として批判された。そして西部劇の英雄ジョン・ウェインは、六○年代のカウンターカルチャーによって極右の立場に追いやられたのである。彼が右翼だったというより、彼が右翼の範疇に追い込まれたと見るほうが、西部劇を衰退に追い込んだダイナミズムをより正確に捉えられる気がする。

 その後、白人のインディアン暴行を描いた『ソルジャー・ブルー』(70)、第七騎兵隊の英雄カスター将軍を矮小化した『小さな巨人(リトル・ビッグ・マン)』(70)など、<冒険>の暗部を抉りだす西部劇が登場したものの、開拓の栄光を否定されたそれらの作品に白人たちは背を向け、流行にはならなかった。また『黒豹のバラード』(93)のような、黒人が主人公の西部劇は、昔の西部劇では単なる<周辺人>にすぎなかったマイノリティを主人公に仕立てた点では文化多元主義に叶っていたし、歴史的事実としても黒人のカウボーイは結構存在したのだが、やはり流行にはならなかった。

 一方、開拓の罪科がない日本でも、西部劇が流行らなくなった。従って、西部劇の衰退には開拓の罪科を糾弾する風潮とは別な要因も考えなければならない。

 まず西部劇の代替物として、『スター・ウォーズ』(77)や『スター・トレック』(79)のような宇宙ものが登場した。宇宙のさまざまな惑星に生まれ育ったエイリアンたちが、インディアンやアジア人、黒人、白人の異分子などの代替者になった。公民権運動の延長である文化多元主義の風潮が盛んなとき、エイリアンは『E・T』(82)のエイリアン主人公のように人類に対して友好的になり、文化多元主義への反発が強まれば、エイリアンは敵対的になった。もはや敵対的なインディアンを描けない以上、ハリウッドはこうするしかなかったのだ。

〔モデストーと惑星タトゥーインの照応関係〕

 ジョージ・ルーカスはサンフランシスコ南の農産物集積地モデストーで育ち、事務用品店を継がせようとする父親との葛藤で悶々としていた。『スター・ウォーズ』のルーク青年は、タトゥーインという何の変哲もない叔父の農場で不満の日々を送っている。ルークはルーカスに照応するように、タトゥーインはモデストーに照応する。この照応関係の中に、今日、私たちが置かれているトポスの変質が露呈している。

 ルーカスは、高校卒業を前にした若者たちの焦燥を描いた『アメリカン・グラフィティ』(73)では、モデストーそのものを舞台にしていた。そのモデストーが四年後には、別の惑星タトゥーインに一変してしまうのである。

 私は団地住まいの経験がないので、単なる想像なのだが、日本における西部劇の衰退には、六○年代から七○年代、コンクリートの団地で育った若者が増えたことと関係があるような気がする。しおたれた木造家屋に暮らしていた私たちから見れば、団地は宇宙基地だった。他方、団地住まいの感覚から見れば、街路は全て木造、地面は無舗装、原始的な武器しか出てこない西部劇は、到底、憧れの対象にはならなくなっていたのではあるまいか。拳銃やウィンチェスター銃では、コンクリートの団地は貫通できない。コンクリート壁を粉砕するどころか、溶解してしまえるレイガンこそ、<現実的な>武器だったのだ。 団地が古びてくるころには、夢のようなデザインの木造住宅が軒を連ねる郊外住宅地が出現した。地方の小都市でも、昔は母屋の納屋の二階などに住んでいた農家の次男・三男が、町屋の若い夫婦らと同じ洒落た郊外住宅に住むようになった。また市内の高級めかした<マンション>も登場した。コンドミニアムとかユニット・ハウスなどと呼ばれるこれらの建物が、なぜ日本で<邸宅>を意味するマンションという誤称で呼ばれ出したのかは、それだけ日本人が以前の貧困からの離脱を希求するあまり、ルーカスがモデストーからタトゥーインへと飛躍したように、トポス感覚をかなぐり捨てていった焦りを窺わせる。 『スター・ウォーズ』などが製作された七○年代後半までに、日本では首都圏だけで千六百万人が地方から流入、多摩ニュータウンをハイライトとして首都圏周辺全域を巨大な郊外に一変させた。またアメリカでは、一九五○年代に全米に建設された郊外が古びて、新たに中流化したアフリカ系その他のマイノリティが流入してきた七○年代、都心からの距離では古い郊外より遠い郊外に新たな郊外が建設され、白人たちがそこへどっと逃れていった。古い郊外を<内輪郊外>、新郊外を<外輪郊外>と呼ぶ。

〔内輪郊外から外輪郊外への移住〕

 アメリカの場合、マイノリティを逃れると同時に新しい情報産業が外輪郊外に建設され始め、白人中流層がその職場の近くに引っ越したわけだが、日本の場合も、情報産業への参画をめざしての地方からの膨大な労働力移動だった。

 内輪郊外から外輪郊外への移住が『スター・ウォーズ』など宇宙ものの製作年代と一致したのは、従って偶然ではない。モデストーがタトゥーインになったのは、現実の場では、モデストーがサンフランシスコの外輪郊外の一つになることだった。

 インディアンやマイノリティがエイリアンとして描かれたことは、内輪郊外のマイノリティを振り捨て外輪郊外へ逃れてきた後ろめたさを中和し、同時に敵対的エイリアンを自分たちを非難するマイノリティ(例えばブラック・モスレムの指導者ルイス・ファラカーン)に擬し、友好的エイリアンを白人と共存できそうなマイノリティ(例えば湾岸戦争の総指揮をとったコリン・パウエル将軍)に見立てることで、自分らの主導権の確保を妄想し夢見ることができた。

 日本の場合も、マイノリティとの確執は微弱だったものの、西部劇が振り捨てられた<地方>または<郷里>、宇宙ものが情報産業への参画を可能にする新郊外に照応した点では同じだった。
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