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映画11_6.なぜ今この映画が作られたのか?『キンゼイ』

●「性の暗黒大陸」解明に乗り出したキンゼイ●

 この映画が世に問われた文化的背景は、深く政治と連動している。

 今のブッシュ政権はキリスト教右翼が手足、ネオコンが頭脳、米系多国籍企業が心臓と胴体、軍産複合体が腕力という異種縫合のフランケンシュタインである。

 この映画は、政権の手足に対して撃ち放たれた弾丸だった。従来、ハリウッドは、『最後の誘惑』(●●)のように、イエスのセックス・ライフを描く形でキリスト教右翼と対決してきたのだが、今回はもろに性科学のヒーローの生涯を主題にしたのである。

 この映画でも描かれる1950年代、「赤狩り」の犠牲になったハリウッドは、以後、それへの反発から圧倒的に左派の集団になった。以前は左右両派が均等に存在していたのだが、赤狩り政治家を引き込んだ右派を映画共同体の裏切り者として忌避したのである。しかし、チャールトン・ヘストン、アーノルド・シュワルツネガー、トム・セレックなど少しは右派もいる。ちなみに、『パッション』(●●)は、ハリウッドでは数少ないキリスト教右翼のメル・ギブスンが「聖書のイエス」を描くだけではもの足りず、アラム語やラテン語までしゃべらせて「歴史のイエス」の復元を図った、『最後の誘惑』とは正反対のヴェクトルを持つ映画だった。『最後の誘惑』をボイコットしたキリスト教右翼は、『パッション』にはご機嫌だったのである。

 『キンゼイ報告』(1948、51)は日本にも衝撃を与えたが、こちこちのキリスト教国アメリカに及ぼした驚愕は計り知れないものがあった。

 フロイトらによる意識下の世界の発見は新大陸アメリカの発見に匹敵したが、キンゼイらによる「性の暗黒大陸」の発見もまたそれに劣らなかったろう(新聞の見出しでは、『キンゼイ報告』は原子爆弾と並置される)。なにしろ、聖母マリアの処女懐胎一つとっても、「聖霊によって身ごもった」(マタイ1─18)マリアは処女膜は破れず、何と出産後も破れなかったと教会側は強弁した(ほとんど猥褻ではないか)。それほど処女性に固執すれば、性を最も動物的行為として忌避するのは目に見えている。なにしろ、教会側は、他の動物と違って人間だけが「神の似姿」として造られたと主張してきたのである。

 オラル・セックスやアナル・セックスは、少なくとも1981年までは、ジョージアで終身刑、コネティカットで懲役30年、フロリダ、マサチューセッツ、ミネソタ、ネブラスカ、ニューヨークで懲役20年、キンゼイの大学があるインディアナでは21歳以下のマスターベーションが懲役14年だった。映画では頑迷なメソディスト牧師であるキンゼイの父親が10歳当時、拘束衣までつけてマスターベーションを回避した故事は、この硬直した性道徳が彼らの父子関係に及ぼした影響の悲惨さを雄弁に物語っていた。この歴史的風土から、キリスト教右翼が生まれてきたのだ。

 キンゼイは、「結婚生活と婚外セックス、正反対の欲求の均衡をどうとるか、それが問題だ」とスピーチしている。それはあらゆる人間の問題なのだが、彼とその研究ティームは婚外セックスの感覚を体験すべく、ティーム内での婚外セックスにまで突き進む。

 これはみなさんも閉口する場面だろう。しかし、私には、このティームが戦闘集団に見えた。アメリカはかつて日本を「エコノミック・アニマル」と非難したが、アメリカ企業の幹部は日本人など目ではないほど「エコノミック猛獣」である。戦闘集団の士気と団結を高めるため、幹部クラスがそろってホモ行為を行っていた例さえ報告されている。

●「性を外側から捉えた男」を内側から描き出す●

 フリーセックスは、過酷な性道徳への反動としてキンゼイ以前、例えばオナイダ共同体(1848〜80)が果敢に実行したが、性的乱脈を統制し切れず瓦解した。キンゼイ・ティームでも、瓦解の危機が未然に食い止められる様子が描かれる。オナイダは今日、生業の銀食器製造部門だけ生き残っている。オナイダ銀器はブランド商品なのだ。

 キンゼイたちの激しい闘志は、全米を覆うキリスト教右翼の無知蒙昧な性道徳の圧力に対する身構えなのである。この圧力は、映画だと、キンゼイの父親が「ジッパーは悪魔が造った」と言う箇所に具体的映像を結ぶ。<ジッパーで性器が出し易くなったから性道徳が乱れた>とする見方はいやに具体的で、マリアの処女膜同様、ほとんど猥褻である。そう、キリスト教右翼の性道徳は自分たちがそういう妄想の虜になっているからこそ湧き出てくるから猥褻なのだ(10歳の少年時代、キンゼイの父親が拘束衣をつけたことを息子に認めれば猥褻さから哀切さに変わるのだが、それを隠すためお説教を繰り広げるから猥褻さは募るばかりなのである)。たださえ葛藤だらけの父と息子は、こういう性道徳によって一層激しく引き裂かれ、もはや内的な解決は不可能となる。従って、キンゼイは性を内側からではなく、外側、つまり最初はクマバチの生殖行為、次いで膨大なアメリカ人被検者の体験談から把握していこうとする。キンゼイの伝記作者ジョナサン・ギャソーン=ハーディは、「キンゼイはセックスを生理学的側面だけに絞って研究した。まず道徳的側面、次いで感情的側面を切り捨てた」と書いている。

 逆に、この映画は性を外側から捉えていった人物を内側から描き出し、それによってレーガンに始まるキリスト教右翼的な歴代共和党政権がアメリカの性風土にもたらした惨害を捉えようとしたのである。妻にティームの男性とのホモ行為を告げ、彼女の辛さを推し量れず、妻にその男性と関係を持てばあいこだと勧めるキンゼイの単純さ(だからこそ、性にも「外側」からアプローチするしかない)、同時に自分たちこそ性の暗黒大陸に光を当てるのだという強烈な使命感──これはほとんどキリスト教右翼の単純さと呼応しているのが最大の皮肉であり、怖さでもある。

 さて、この性道徳の圧力が圧倒的であればあるほど、反動も激烈になる。従って、キンゼイの報告、ウィリアム・マスターズらの『人間の性的反応』(1963)、シア・ハイトの『ハイト・レポート』(1976〜87)などの性調査報告が一層「性の暗黒大陸」に光を当ててくるにつれて、男性よりも性道徳に抑圧されてきた女性の側からウーマンリブとなって爆発したのは道理と言えた。特に中絶禁止によって惨憺たる人生を送らされてきた彼女らには、1973年の最高裁による中絶是認の裁定は女性解放史の重要な一里塚となったが、逆にキリスト教右翼側からはこれの撤回が最大の目標となっている。

 キンゼイの発見で見落とされがちなのは、クマバチにすら同一固体はないようにヒトもすべて異なるという多様性の発見が膨大な調査の結果なされたことで、性解放が個人の自由の唱導と連携している点だろう。双方セックスは初めてという最初の性交が不首尾で新妻がしょげるのを、キンゼイが「解決できない問題はない」と励まし、性科学の医師に相談、長すぎる性器ゆえと判明、それをカバーできる体位を開発する微笑ましい努力もまた、多様性への信念が夫婦生活を救った一例だった。

 また、あくまで息子を否定する父親を新妻から笑われ、キンゼイが自分も笑いながら泣き顔になっていくショットはことに感動的で、後年、ついに父親に性的調査を承諾させ、前述の拘束衣の話を聞き出す過程とこの泣き笑いは連動している。

●「性の暗黒大陸」の再度の閉鎖を示す性意識調査●

 「アメリカのセックス」の調査は地域が広大だが、「性の暗黒大陸」はそれよりはるかに広く深い。キンゼイ・ティームが軍資金をロックフェラー財団から得たのは、この財団が早くも20世紀初頭から性調査機関を設立してきた背景ゆえだった。しかし、赤狩りと連動させて性調査を槍玉にあげる右翼やキリスト教右翼の前に、財団が屈する場面は意味深長である。なぜなら、キリスト教右翼はロックフェラーら上流WASPが「ユダヤ国際資本」とグルになって世界支配の陰謀を企んでいるとする「陰謀史観」に毒されており、 性道徳の紊乱も陰謀の一環と見なしていたからである(拙著『秘密結社──アメリカのエリート結社と陰謀史観の相剋』ビジネス社B選書参照)。これらの財団は相当開明的で、先端的な研究調査に率先して助成金を出してきた。財団の屈伏は、キリスト教右翼の蒙昧さがいかに深刻かを際立たせる。

 公民権運動、カウンターカルチャー、ヴェトナム反戦運動、ウーマンリブなど1960年代の激しい左傾化への反動は、ニクスン、レーガン、ブッシュ父子の各共和党政権が担当した。1980年代、エイズの蔓延は、キリスト教右翼から見れば天が性革命に対して下した天罰だった。勢いづいた彼らは民主党のクリントンをセックス・スキャンダルで攻めたて、1960年代の余韻を残した彼に止めを刺し、「家族の価値」を高々と掲げて結婚生活を称揚、「ゲイの結婚」や婚外性交の封じ込めを図ったのも、性を再び暗黒大陸に閉じ込める動きだった。保革の戦いは南北戦争以来の分裂として「文化戦争(カルチャー・ウォー)」と呼ばれているが、性はその最大の戦場の一つである。

 性の暗黒大陸への封じ込めが奏功したらしいことは、ロバート・T・マイケルらによる1994年の膨大な性調査報告『セックス・イン・アメリカ』に如実に表れた。3千人に各自90分ずつインタヴューしたこの調査では、キリスト教右翼がご機嫌になるような結果が出ていたのだ。万事が通常通りのセックスが圧倒的多数を占め、8割余が一夫一婦制、ホモの比率たるや3%以下、ただし女性は特に性の喜びに乏しく、夫婦生活に満足していないと出た。再び暗黒大陸に閉じ込められた以上、当然の結果だった。そしてキンゼイ、マスターズ、ハイトらの調査は、1950年代のビート世代、60年代のヒッピー世代の風潮に惑わされた結果だと切って棄てたのである。

 ではマイケルらのこの調査が政権やキリスト教右翼におもねったのかというと、エイズ予防の戦略として始められたこの調査への政府助成を議会が否決、仕方なく財団の助成でやっと完成したのだった。おもねってなどいなかったのだ。このことは、キリスト教右翼の支配するアメリカで、国民の性意識がいかに逼塞したかを物語っている。
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