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映画12_2.『ボウリング・フォア・コロンバイン』

コロンバイン高校銃乱射事件、ユニラテラリズム、「9.11」の因果関係『ボウリング・フォア・コロンバイン』

 一九九九年四月二十日、クリントン政権によるコソボ空爆、その一時間後、デンヴァ郊外リトルトンのコロンバイン高校で男子生徒二名が学友十二名と教師一名を射殺した。この相関関係を基軸にして、映画『ボウリング・フォア・コロンバイン』は、回転する。

 例えばこんな具合だ。リトルトンにあるロッキード社では生徒の親たちも働いているが、ここはコソボどころか、あらゆる戦争の空爆に使われてきた爆撃機のメーカーである。強烈かつおかしみのある質問で画面を引っ張る製作者兼狂言回しのマイケル・ムアは、犯人の男子生徒とロッキードの共犯性を同社幹部にあてこする。映画の最後で彼は、犯人に銃弾を見舞われた元生徒(一人はその後車椅子暮らし)と一緒に、犯人が弾丸を買ったKマートに談じ込み、銃弾販売を止めさせる。

 この相関関係は、自らの海外爆撃への因果応報としてアメリカがさらされた「九.一一」とリンクされずにはいない。私は、アリゾナ州ツーソン南のメキシコ山中、自閉症治療の目的共同体で「九.一一」報道を見た。一日だけ封鎖された国境を越えて戻ったアメリカでは、星条旗が乱立していた。自国政府が発動した他国への暴力、その報復として同胞が大量に殺害されたとき、国民はコロンバイン事件ほどは悩まずにすんだわけだ。

 そのまま北上、コロンバイン高校に寄ったが、夏休みで閉鎖。近所の公園に群れる人々に声をかけたが、ある老夫婦以外、誰もが私を避けた。事件から二年半近くたっていたが、「九.一一」によって事件の傷口がまた開いたらしい。老婆のほうが「あれはヘクティックだった!」と言って絶句した。これは肺結核に伴う異常な発熱を指す形容詞である。「あれ」はコロンバイン事件を指すと同時に「九.一一」もダブっていたのだろう。

 その後訪ねたデンヴァ郊外、ボウルダーのネイローパ大学で会った学長秘書の女性は、「九.一一」の話題の最中に絶句、目に涙がにじんた。右傾化したアメリカを拒否、チベット仏教に入信したほどの女性だけに、双方ともにアメリカの悲劇としてダブっていたと思われる。映画でも、防犯装置の宣伝マンが、マイケル・ムアとコロンバインを話題にする最中、ふいに絶句する場面がある。

 アメリカでは合法的な銃が二億数千万挺あるので、銃器殺人は以前は年間三万件を越えた。しかし銃規制の努力で近年は一万台に減った。それでも隣国カナダは、人口比率的にはアメリカに負けないだけの銃器が出回りながら、銃器殺人は年間一六五件にすぎない。

 政府自体が「世界の警察官」、「九.一一」以降では「ユニラテラリズム(米一国主義」)と逸りたつ。だからハリウッドやメディアも旧ソ連、中国、中東などの国外の仮想敵ばかりか、黒人を始めとする有色人種や「アメリカン・サイコ」たち国内の仮想敵の映像を拡大する。そこで国民も一人で何挺もの銃器を購入するわけだ(ユタ州には全町民に銃器保有を義務づける町まで登場)。カナダには銃器があふれていても、この攻撃性と恐怖の悪循環がないのだと、映画は教える。

 全米ライフル協会(NRA)会長の俳優チャールトン・ヘストンは、コロンバイン事件後すぐデンヴァで講演する無神経さだった。マイケル・ムアは自身NRA会員だが、ヘストンのハリウッドの邸宅に押しかけ、相手をつるし上げる。振り切って逃げたヘストンの邸宅に、ムアが六歳の男子(黒人)に射殺された同年の女子(白人)の写真を残して去っていく最後の場面は印象的だ。
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