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映画13_3.『FUCK』から見えてくるアメリカ社会

●大統領や政権側がファックと口走るとき●

 「善悪境界往復型人間」は・・・典型である。〔この二人の輝きは善悪の境界の往復運動が発散するエロスなのだ。〕やすしは西川きよしとの・・・欺瞞の世界へ去ると、〔エロスと〕バランスを失して・・・・・・パット・ブーンは、その偽善性によって自らアメリカ社会の活力〔とエロス的輝き〕を削ぐ側に・・・

ところが映画でも分かるように、政権という最高の権力機構の中枢にいるブッシュやチェーニーが自らファックと口走るから、この政権はトリックスター度を高め、その勢いに乗ってイラクへ侵攻したとも言える(映画ではブッシュの発言、「ファック〔・〕サダム、われわれはあいつを始末するぞ」を収録)。チェーニーは上院議員の一人を「ゴー・ファック・ユアセルフ!」と罵ったのだが、〔政権支持の〕パット・ブーンなどは〔味方が禁句を使ってしまったことに〕懊悩し、「副大統領は相手の議員に、『議場を出られるとき、ご自身を妊娠させられては?」と言うべきでした」とのたもう。「ゴー・ファック・ユアセルフ」のブーン製偽善表現である。

●FUCKから見えてくるアメリカの帝国度●

 つまり、<FUCKから見えてくるアメリカ社会>は、二重〔構造〕になっている。〔まず最初の構造は、こうだ。〕ブーンのような「言論の自由抑制派」の本質は、映画制作者ケヴィン・スミスの発言、「この国の根っこが保守であるかぎり、Fボムは威力を発揮する」によって要約される。〔抑制派〕は、新語の増殖を担うのは反権力側、いや、権力から疎外された若者や被差別層だということをついに理解できない。例えば「クール」という言葉は、白人になぶられてもがまんし抜いた黒人に対して、仲間の黒人たちが「よくぞクールさ(ポーカーフェース)を貫けたな!」と讃えたことから、今日の「イカス、カッコいい」の意味に転化、黒人以外でも使われる普通の表現に変わり、英語はそれだけ〔エロス度が増した。〕しかも一般化してしまったクールを嫌った黒人たちは、今度は同じ意味をチル(chill)というより激しい言葉に託したのである。こういう新語の誕生には、「オノマトペとしてのファック」という、原初的な言語生産力が関与している。それを理解できないブーンらは、新語造成のダイナミズム、そのダイナミズムの欠落が社会〔からエロスの輝きを奪い老化させてしまうこと〕をついに理解できない。

 <FUCKから見えてくるもう一つのアメリカ社会>〔の構造は、こうである。そこでは、〕ファックを使う政権中枢が、偽善性より悪の実態をむき出す方向へと変容した。〔つまり、偽善・欺瞞で独裁の実態を偽装する段階から、あられもない権力奪取の段階に突入したのである。なぜか? かつてのように民族国家の支柱としての中流層をアメリカ国内で養うメリットはグローバル化で消滅した。自国資本を多国籍企業化して、海外の(1)労賃が安い膨大な労働市場、(2)ハイテク設備、(3)膨大な消費市場、この経済的活性化の三拍子が揃った地域(例えば一九八○〜九○年代のアジア)へ激しく資本投下させ続ければ、アメリカ総人口三億人の五%の上流層千五百万人が国富の六○%を占有、残る二億八千五百万人が上流に奉仕して国富の四○%で辛うじて暮らしていける構造、流行語となった「格差社会」が成立したからである。もはや偽装は不要なのだ。しかも国民の大半は、貧困ぼけしてこの実態に気づかない。アメリカは帝国型の第三世界へと逆行してしまったのである。〕

 〔思えば、〕『スターウォーズ』の宇宙共和国連邦が、その議長ペルパティーン自身の裏切りによって彼を皇帝ダース・シディアスとする「帝国」へと逆行したのは、まさに合衆国の帝国化の予兆だった。時あたかも、ブッシュ暗殺でチェーニーが大統領になる映画『大統領暗殺』が日本でも封切られようとしている。歴史でも、ローマ共和制はシーザーの甥アウグストスが皇帝となることによって帝政へと逆行した。

 映画では、「ファック・ユー!」とやじられたときのクリントン大統領とチェーニー副大統領の反応がみごとに比較される。虚を突かれたクリントンの表情〔にあふれるエロス〕、〔逆手を突いて〕その罵言をほめるみごとな切り返し。それに対して、顔を歪め、苦笑し、ぐどぐど言い訳するチェーニー。二つの政権の違いがこれほど浮き彫りにされたワン・ショットは珍しい。

 そう、国際協調主義や民主主義や人道主義は「〔切実な〕虚構」なのだ。つまり、組織員の悪を是正する市民という切実な一人二役の虚構なのである。その切実さ〔を演じきれるトリックスターには善悪の境界を往復できるエロスが前提となる。その切実さとエロスを〕、この映画は「あなたには同意しかねるが、あなたがそのご意見を口にする自由だけは私は死守します」というヴォルテールの言葉に要約している。この切実さ〔とエロス〕を失ったとき、一人二役の緊張〔、それを維持する潤滑油が失われ〕、民主主義の墜落が始まるのである。

 「ファック・ユー!」とやじられたときの表情から見ても、クリントンはその切実さ〔とエロス〕を体現していた。今の政権に比べて彼の政権がなつかしく思えるのはそのためなのだ。〔ファック・ユー!とやじっても逆にエロスを発散して応えてくれる大統領は、「オノマトペとしてのファック」の根源的生命力の具現で、その意味で彼の不倫すら自由の象徴に見えてくるではないか〕。ヒラリーはそのなつかしさを再びアメリカ社会に回復できるだろうか? できたとして、彼女が「ファック・ユー!」と罵られたとき、夫以上の〔エロス発散で国民に応えられる〕だろうか? それこそがアメリカ社会の自由度のバロメーターとなるだろう。
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