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映画16_4.ボビー、そしてヒラリー『ボビー』

▲なぜアメリカ人が大統領を必要とするのか?▲

 本作品は、ロスのクラシック・ホテルを舞台とする<アンサンブル映画>、つまり22名もの共演者のドラマが合唱曲のように交錯する非常に作りにくい映画である。ロスを舞台にした『クラッシュ』もこのタイプの映画だったが、人数は12名程度だった。

 なぜエステヴェス監督はあえてこの至難の構成を選んだのか?

 彼の狙いは、<なぜアメリカ人が大統領を必要とするのか?>、その構造を提示することにあったからだ。来るべき新大統領は、各自の行き詰まった人生が切望する結節点である。22名はボビーという太陽の周りをめぐる惑星群なのだ。

 議院内閣制における多数党の議員による首相の選出に比べて、国民の直接選挙による大統領の選出ほど厄介なものはない。私は大統領選を「4年毎の王選び」と呼んできた。従って、この22名はアメリカ国民、このホテルは合衆国そのものの、象徴なのである。

 しかし、22名の期待は初めのうちは無意識なもので、各自が自分の人生に囚われている。だが、カリフォルニア予備選に勝ったロバート・ケネディ候補のホテル帰着時点で、いきなり期待は爆発する。ところが、そのとたんに彼は暗殺されてしまうのだ。

 実在の暗殺者はパレスティナ人青年だが、古来、世界には自分たちが選んだ王を殺す習慣もあった。大騒ぎして王を選び、最後は共同体総がかりで殺してしまうのだ。これは一種の厄落しで、「贋王」と呼ばれた。長らくアイルランド系カトリックは差別されてきたが、この系統では史上唯一の大統領ジョン・ケネディは、WASP中心のアメリカ社会に殺された贋王だったとも言える。映画の題名は、例えば日本首相を「純ちゃん」と呼ぶようなもので、お気楽なアメリカとはいえ、「ボビーちゃん」は贋王くさい響きがある。もっとも、ボビーは贋王にすらなれないうちに生贄にされてしまったわけだが。

▲多民族格差社会としてのホテルとボビー▲

 アンバサダー・ホテルは上流層や映画俳優らがたむろした実在の有名ホテルで、アカデミー賞授与式も何度かここで行われたが、これがアメリカ社会の象徴として描かれる以上、厨房で働くヒスパニックやアフリカ系はアメリカ社会の底辺である。

 ボビーが厨房を通過しようとしたのはホテルの祝勝パーティ会場から引き上げる途中、群衆回避のためだったが、映画の主題だと彼がつねづね示してきた有色人種への配慮を象徴している。一瞬ながら、ボビーがヒスパニックの農場労働者を組織化したセザール・チャベスと話す実写映像が入るし、新米皿洗いのホセが倒れたボビーを抱え、握りしめた彼の手から何かを引き抜くのは、一種のバトンタッチを象徴する。ホセの手には、大統領になれなかった、最も期待された候補者の血がついているが、これも何らかの継承を表すだろう。暗殺者以外では、ホセ(本名ホアン・ロメロ)はこの映画では唯一の実在の人物だった。2006年10月17日、アメリカ総人口は3億を越えたが、その原動力はヒスパニックだ。今世紀半ばには、アメリカ人4人に1人がヒスパニックになると試算されている。監督自身、ヒスパニックなのである。

 また、ボビーが倒れてすぐ、2カ月前のキング師暗殺に対する彼の追悼演説が挿入されるのも、アフリカ系への彼の強い配慮を表現する狙いだった。

 そのボビーを殺したのが有色人種のパレスティナ人だったことは悲惨の極みである。

 若い白人選挙班員の2人が売人とトリップの頂点で、ホテルの部屋の扉が開いてベトナムの戦場の幻影を見るのは、アメリカ社会にとりついて離れなかった戦争コンプレックスの切開である。そして、徴兵逃れに偽装結婚をした白人青年はベトナムへ行かなくても、自国の社会で殺されたのだ。

 ボビー以外にも犯人の銃弾を浴びた者たちは、この青年も含めて全員が虚構の人物群だが、若い妻との結婚で自分自身を見失いかけた金持ち男性と彼の妻、ヒスパニックを差別した厨房支配人、例の選挙班員らがいる。実際の巻き添え組とは別人の虚構の人物たち(現実にも女性が1人撃たれた)をエステヴェス監督があえて登場させたのは、<国内のベトナム>を描出したかったのか?

 しかし、ボビーの生贄によって人生の閉塞状況を離脱できそうな人物は、ホテルのマネジャーである。彼は厨房支配人をホセたちヒスパニック厨房員に対する差別ゆえに馘首するが、報復にホテルの電話交換手との情事を同じくホテルで働く美容師の妻に密告され、支配人を殴り倒す。しかし、マネジャーは撃たれた支配人を介抱し、ボビーを乗せて走り去る救急車を見送るとき、妻と和解に達するのである。

▲別のアメリカとなるはずだったボビーのアメリカ▲

 ボビーの兄も、後継大統領ジョンスンも、ベトナム関与の罪を犯したが、ボビーはこの戦争からの離脱を選挙公約に掲げた。ジョンスンなどは、最強の公民権法に署名、アフリカ系からは崇拝された大統領だったが、冷戦構造の罠に落ちてベトナムで挫折した。

 ボビーが大統領に選ばれていたら、少なくともこの1968年の大統領選でのニクスンの勝利はなく、アメリカ社会の潮流は1960年代のカウンターカルチャーの成熟を基盤とする自制的な帝国主義路線を方向づけていたかもしれない。そうすれば、1970年代の石油危機以降のアウトソーシング(資本の海外逃亡)による産業の空洞化、中流層の陥没、行き場を失った彼らの憤懣から増殖した<キリスト教右翼>、それらを背景に登場したレーガン、ブッシュ父子らの共和党政権の、トップ層5%に全米の富の60%を集中させ、中流層を見捨てた<非愛国主義的資本主義路線>、その非愛国性を糊塗すべく断行されたブッシュ息子政権の<テロとの戦争>やイラク侵攻という<疑似愛国主義路線>への大崩落は、防げたかもしれない。だからこそ、映画の登場人物の1人が、「ボビーはわれわれの最後の頼みの綱だ」と呟くのだ。

 ベトナム戦争とイラク侵攻──もはやこの映画が今日の状況の陰画であることは明らかである。ならば、同じニューヨーク基盤の上院議員同士、ボビーとヒラリーとのアナロジーも明白で、2008年のヒラリー暗殺の不気味な予告でもある。ボビーは42歳になる前に撃たれたが、なおも「みんな大丈夫か?」と巻き添え組と群衆への気遣いをしつつ、狙撃20分後に息を引き取った。

 解体されたアンバサダー・ホテルは、ボビーの未亡人エセル(暗殺現場にいた)の願いで、夫の氏名を冠した学校になるという。彼女は何とエステヴェス監督の父親、自己喪失に悩み、若い妻ととともに巻き添えで撃たれる金持ちを演じたマーティン・シーンに、ホテル跡の学校化支援を要請した。後にシーンは、わが子がホテルを舞台にこの映画を撮る計画を知り、解体前の1週間で内部を撮影する段取りをつけてやり、息子はホテル解体後の一部の復元のデータにできたのである。この因縁話には、さらに監督が6歳のとき起きたこの暗殺をテレビで見て、長年のケネディ支持者だった父親を起こしに走ったこと、すぐに父親が彼を現場に連れていき、しっかと手を握ってホテル内を歩き回ったことなど、遠い過去の因縁が絡む。少しほっとする話ではあるまいか?
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