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映画17_2.ハンズ・オフからハンズ・オンへ

 ハリウッドの映画会社を買収したソニーとマツシタは、後者が持ち株の八〇%をシーグラムに売却、製作から撤退したことで明暗を分けた。もっとも二〇%の投資額は巨額なので、マツシタは現在もユニヴァーサル・シティに社員を常駐させてはいる。

 二社の買収にはアイダホの行楽地サン・ヴァリーに毎年集まるメディア王たちの一部が関与したが、ソニーもマツシタもそこへ社員が招待されたとは聞いていない。マツシタのシーグラムへの売却は一九九五年四月九日だったが、前年の夏、サン・ヴァリーではマイクル・オーヴィッツがシーグラムの御曹司エドガー・ブロンフマン二世をメディア王らに紹介しているのだ。オーヴィッツこそ、ソニーとマツシタに映画会社を取り持った、アメリカ最大のエージェンシーCAAのトップだった(現在は引退)。その彼が、MCA、今日のユニヴァーサルをマツシタからシーグラムに売却する仲立ちもしたのだ。サン・ヴァリーでのブロンフマン紹介は、その序曲だったとしか思えない。繰り返すが、その席にマツシタの関係者は影も形もなかったのである。

 このサン・シティ会合はメディア王たちの親睦会なのだが、そこで重要な商談もいとも気軽にメディア王たちの口にのぼるのだ。

 売却前のMCAは、ハリウッドの重鎮ルー・ワッサマンとシドニー・シャインバーグが仕切っていた。二人はニューメディア時代に取り残されまいと大阪に飛来、マツシタのトップに途方もない新規投資を強要した。しかしバブルが弾け、やりくりに苦しむマツシタにその余裕はなく、ワッサーマンらの強引なやり口に閉口したトップは、MCAの処分をオーヴィッツに委ねたのだ。

 以上でお分かりのように、マツシタはMCAに対してほぼ完全なハンズ・オフ(無干渉)方式だった。ソニーもその点では大差ないらしい。

 一方、九〇年MGMを買収したイタリア人実業家ジアンカーロ・パレッティはクリント・イーストウッドも知らないほど映画界に無知だったが、果敢にこの世界に自分の顔を晒した(もっとも借金で首が回らなくなり、三日天下に終わる)。

 七四年パラマウントを買収したチャールズ・ブルードーンというオースリア系アメリカ人の実業家(実はユダヤ系らしい)は、自社ガルフ・ウェスタンの社名をパラマウントに変えるほど映画界に深入りし、あらゆるパーティに顔を出し、製作にまで口を出した(つまりハンズ・オン方式である)。

 この違いはどこからくるのだろうか? 英語の問題?ソニーやマツシタなら、英語屋さんは一杯いるだろう。そのうち才覚のある者を幹部に引き上げ、ハリウッド担当にさせればすむことではないか。いや、いっそ練達の同時通訳を数名引き連れ、交替で通訳させれば、英語などできなくてもパーティに出られる。当意即妙なジョークを飛ばし、日本式企業文化を講釈してはそれを同時通訳させれば、へたな英語屋より面白がられるし、同時通訳部隊を引き連れた日本の重役として、かえって人気者 になるだろう。なぜこれをやらないのか?

 ソニーやマツシタは映画だけで飯を食うわけではないから、トップがハリウッドにかかり切りになるのはむりだろう。しかし企業内での出世しか眼中にない幹部より、映画界で死んでも構わないという社外の日本人に全権を委任し、予算の厳しい枠をはめればハンズ・オンになれるではないか。

 確かにハリウッドは特殊な社会で、その流儀に通じるのは簡単ではない。ユダヤ系のビジネスはかなり多国籍化し、普遍化しているが、ハリウッドだけは華僑の世界に近い。もっとも出身地閥や家族閥で固まる華僑よりは普遍化し、映画関係者が他者を排除するマフィア的特殊性の段階までは脱皮を遂げている。

 しかし華僑も新世代に変わる毎に、出身地閥や家族閥本位の前近代性を克服せざるをえなくなりつつある。私はこれを機会に、日本青年も今後は華僑の世界に参入する努力をしてみるべきだと思っている。彼らの懐に飛び込まなければ、環太平洋どころか東アジア経済圏のEU化すら思いもよらない。

 ハリウッドの映画会社も今日では旧映画資本で持ち堪えているものは皆無で、全て異種企業が買収するか、資本投下して、何とか機能させてきたのだ。この傾向自体が、映画界の華僑性打破の兆しなのである。だからこそ、日本青年は華僑の世界やハリウッドにも鋭意参画の努力をすべきだと考える。

 もっともアメリカに進出した日本企業が、かつてアメリカ人社員と日本社員との橋渡し役として日系アメリカ人を雇用したとき、日系人社員たちがひどい目に遇った。彼らはアメリカ人社員と日本人社員の双方からスパイ扱いされたのである。イソップ童話の獣と鳥の戦争でコウモリが辿った運命を地でいったわけだ。

 さらに日本人社員は、自分の英語力の拙さを白人社員に嘲笑われるのはがまんできても、顔や姿が自分らと大差ない日系人社員に笑われる気がして、よけい彼らに辛く当たったのである。

 日系人は、日本人が国際的に非難を浴びる度に、じかに一部の心ないアメリカ人たちからの差別的攻撃にさらされてきた。この気の毒な因果関係を思えば、日本人の日系人への姑息極まる冷淡さは、国際的活動における日本人の姑息さに通底している。ハリウッドへのより深い参入に、英語が巧みな日系人とスクラムを組んで、何を恥じなければならないのか。幸い、近年、アメリカの大学の映画学科を出た日本青年をNHKなどがディレクターとして雇用し始めた。日系人の映画学科出も、日本語を習得して橋渡し役で活躍してほしい。
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