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映画17_3.ライオンは再び吠えるか?──瀕死のMGMにたかるハイエナたち

 日本企業のハリウッド映画会社買収には、自社生産のハードウエアの販路拡張という長期戦略があった。しかし逆にソニー映画などの日本企業買収の映画会社には、日本人企業家の顔はまるで見えてこない。一方タイム=ウォーナーのスティーヴン・ロスやMGMの元オーナー、カーク・カーコリアン、前オーナー、ジアンカーロ・パレッティなどには、長期戦略などなく、「アメリカの文化的前庭」であるハリウッドに君臨したいという個人的野望しかない。その分だけ企業家の顔はいやになるほど見せつけられるのである。

 日本型か、アメリカ型か、いずれも一長一短あり、しかもどちらが映画製作の母体としての映画会社そのものに有益かというと、にわかに判定がつかない。しかしひたすらいい映画製作の母体としてのMGMを護持しようと、カーコリアンとパレッティという二人のエゴの塊と闘ったアラン・ラッドJRが、非常に清々しく見えるのは間違いない。

〔「カークはちょっとした不滅性を買収した気分だった」〕

テレビ台頭の一九六九年までには、映画館は戦後世代の観客の半分を奪われ、ハリウッド映画七社のうち五社が赤字、MGMの看板であるライオンは映画では吠えても、現実には吠える元気もなくなっていた。借金八千五百万ドル。四千五百万ドルの資産償却すら考えなければならなかった。

 義務教育八年以外に学歴のないカーコリアンは、ハーヴァード出の経営管理修士など歯牙にもかけず、この悲惨な数字を気にとめなかった。十九世紀末トルコの弾圧を逃れてカリフォルニアのサンノーキン・ヴァリーに移住したアルメニア人の三代目である彼は、飛行機販売で財をなし、さらに自分の飛行機で賭博客をラスベガスへ運んで儲けた。そうなる前には、MGMで時給四十セントの不定期労働者として働いたのも、因縁というしかない。その資金で小さな航空会社の株30%を取得、さらには前記フラミンゴなどのカジノ買収と新設に手を出す。それらの資産を担保に借りた資金で、すでにタイム社やゼロックス社が手をひいたMGMに買収の手をのばした。国内の銀行からの融資が限界にくると、ギリシャの船舶王オナシス、あるいはアラブ・マニーなども借りまくって、ついに一九六九年九月半ば一億ドルでMGMの株四〇%を取得、支配権を掌握したのである。

 カーコリアンは狂喜したという。彼の側近で弁護士のグレグスン・バウツァーは、「カークはちょっとした不滅性を買収した気分だった」といっている。MGMがアメリカの企業家にどうみえていたか、よく窺える話である。しかし彼は、同時に「滅亡性」も買収したのだ。

 とにかくカーコリアンは「おもちゃ」を手に入れた。映画会社のことなど何も知らない。だから連れてきた社長も、CBS社長の椅子を追われた「笑うコブラ」ことジム・オーブリーで、この男はテレビは分かるが、映画は見たこともないという人物だった。ただしオーブリーは金持ちの息子でプリンストン出、父親が文盲だったカーコリアンとは天地の違いだ。ただしあだ名の通り、オーブリーは猛獣の正体を隠すべきソフトタッチの仮面をかぶる点では、カーコリアンにそっくりだった。ちなみに給与は二十万八千ドル。CBS時代が二十二万四千ドルだから、今日の映画会社社長の年収の四ないし八分の一だった。 オーブリーは『風と共に去りぬ』などが撮影されたカルヴァ・シティのスタジオを売却、二時間も遠いコネホ・ヴァリーに新スタジオを作るなど、借金減らしを断行、さらに予算を食う大型映画の製作を停止、低予算の映画ばかりに切り換えた。ちなみに『ライアンの娘』、『タイパン』、『人間の運命』、この三本合計で六千万ドルかかるはずだったというから、今日の大型企画の半分ないし三分の一だったことになる。とにかくオーブリーがこれらの映画の監督をばっさばっさと切っていくやり口は、到底映画に愛着などない、まさに「笑うコブラ」の面目躍如たるものがあった。これで何千万ドルもうかせた功績を、カーコリアンは高く評価した。それでも足りずと、オーブリーは一九七〇年初頭の株主総会で三千五百万ドルの赤字を計上、社員半数の削減を公表した。それでも赤字は買収前の半分以下に切り詰めたのである。

 カーコリアン=オーブリー・ラインの激烈な資産売却に絶望した製作担当者の一人が、オーブリー他の幹部をスタジオ・ツアーにひっぱりだし、ターザン映画のジャングル、『大地』の中国街路、『イースター・パレイド』の五番街、エスター・ウィリアムズの泳いだプールなどを見せてMGMの伝統護持を訴えた。しかしラスベガスへ賭博客を運んだ当時カーコリアンの仲間だった元パイロットの重役などは、白けた顔で、「このセットは何回使ったんだ? ただの場所塞ぎじゃないか」とうそぶいた。オーブリーも、「昔のMGMなんてくそくらえだ。そんなものは死んだ」といい切っている。

〔『シェーン』のアラン・ラッドの遺児、製作部門を任される〕

ウォール・ストリートは、カーコリアンが本気でMGMを再建する気はなく、資産のはぎとりを策しているとしか思わなかった。カーコリアン自身の性格も、その疑念をかきたてた。彼は極度にスポットライトを浴びるのを嫌ったので、社交界にくりだしてその疑念を修正することもしなかったのだ。またフラミンゴ買収では、バグジー・シーゲルの親分で、やはりユダヤ系のメイヤー・ランスキーによる三千六百万ドルの利益隠しがばれるなど、組織犯罪から煮え湯を呑まされた。

 しかし『ロッキー』シリーズなどがヒットした。一九八二年封切りの『ロッキーIII』は一億八千万ドルの興収をもたらした。ちなみにカーコリアンは、非常に小柄だが、アマチュア・ボクサーの経験もあった。ただし三十三戦中勝ったのは四回にすぎない。ともかく騎虎の勢いでカーコリアンは、一九八一年ユナイティッド・アーティスツ社を買収、社名をMGM/UAとした。

 カーコリアンはオーナーにはなりたがったが、日々の経営には関心がなかった。株主総会や記者会見にすら姿を見せない。ハリウッドのパーティは大嫌いなくせに、ケアリー・グラントやロジャー・ムアらのスターとは会いたがった。行列に並んで巷の映画館でポップコーンをかじりながら映画を見るのが好きだった。また他人に好印象を与えることに腐心した。厳しい商談で日夜はりあった相手すら、カーコリアンを「これまで会った中でも最高にナイスな人間だった」といっている。

 一九八四年カーコリアンはウォルト・ディズニー社に、乗っ取り屋ソール・スタインバーグと乗っ取りをかけたが、スタインバーグがディズニー社と手を組んだので、しくじる。しかも同年MGM/UAは、『グリニッジ・ヴィリッジの法王』など数本の新作が失敗、建て直しのためにカーコリアンは四十八歳のアラン・ラッドJRを雇った。『シェーン』で有名なアラン・ラッドの息子である。ただしカーコリアンから全権を委任される番頭役ではない。これまでカーコリアンが雇った番頭役は、オーブリー他五人もいたが、業績不振と見るとカーコリアンは容赦なく彼らの首をはねてきた。五人目のフランク・ヤブランズの場合は、一応彼にMGM、ラッドにUAを担当させることにしてから、ヤブランズをいびりだす手のこみようだった。一九八五年春から、ラッドがMGMを担当した。

 ともかくいずれ劣らぬあくの強い番頭役が続いた後では、ラッドの控えめな態度がカーコリアンには救いだった。「サンキュー」と「プリーズ」を連発するラッドのような人間は、がさつなハリウッドでは極めて珍しい存在だった。しかし寡黙で、話すときは小声だから、相手は身を乗り出さないと聞きとれない。気が乗らない相談を受けると、一言も発さず、最後に一言「ノー」というだけだった。カンヌでロバート・デニーロとリムジンに同乗したとき、双方にらみあったまま三十分も口をきかず、ついにたまりかねてデニーロが「ちょっとトイレに」といったという。こういうラッドだけに、はったりだらけで投資銀行関係にうろんな目で見られてきたハリウッド事業家の中では、その態度ゆえに銀行筋から強い信用を得ていた。またプロデューサーたちの間でも信頼が厚かった。

 ラッドは仲間から「ラディ」と愛称されていたが、二十世紀フォックス製作部門を率いていたとき『スター・ウォーズ』を製作させ、後に独立してラッド社を主宰、『ライト・スタッフ』や『ポリス・アカデミー』を製作、ウォーナー・ブラザーズ経由で配給した実績があった。

 しかしウォール・ストリートでは、カーコリアンがまたMGM/UAの買い手探しを始めたという噂が流れた。買い手はアラブかオランダの複合企業か日本企業らしいという噂だった。再建にとり組むラッドには、足元を救われる話だった。ついに噂の中からCNNのテッド・ターナーが浮上してきた。

〔テッド・ターナーの「MGM七十四日天下」〕

 日本の実業家の間でも一頃徳川家康ら歴史上の人物をモデルにすることが流行したが、当時四十八歳のターナーのモデルはあの「海賊貴族」、サー・フランシス・ドレイクと大航海者マゼランだった。「おれはビジネスマンじゃない、冒険者なんだ」。彼はそううそぶき、「おれは今こそ土俵際ってときが一番ハッピーなんだ」とのたもうた。それを単なる大言壮語と受けとらせないために、ターナーはCBS乗っ取りを初め、幾つかの無謀な行動に出始めた。CBS乗っ取りは失敗を承知の上でぶちかましたはったりだったが、彼の本命はMGM、それもそこの映画ライブラリー(自社作品、旧RKO作品、一九五〇年以前のウォーナー・ブラザーズ作品を合わせて三千五百本)だった。これにはターナーお気に入りの『風と共に去りぬ』も含まれている(CNNの本拠はこの映画の舞台アトランタだ)。

 一九八五年初頭ターナーは、大手の映画配給会社がCNNへの配給を拒否し始めたと断定、「さあ、ここでドレイクならどう出るか?」と首をひねった。彼はCBS乗っ取り挫折のわずか一週間後、鯨を狙う鮫のように徘徊を始めた。CNNの資産は三億五千四百万ドル、MGM/UAは十億余だったのである。カーコリアンは「十五億ドルでなら売ろう」と答えた。ターナーは、当時実勢九ドルだったMGM株一株につき二十八ドルを提示した。ターナー周辺は、「CNNとMGM/UAの収益合計がせいぜい年間二億ドル、しかし買収で背負い込む借金はその三倍、老練なカーコリアンに手玉にとられるだけだ」と諌めた。しかしターナーには秘策があった。交渉開始から二週間後、彼は六百もの書類に署名していった。それからカーコリアンに「商談が早すぎて書類が見られないから、二、三人専門家を送るがいいか?」と訊き、了承を得ると直ちに四十名の会計士と弁護士の一団を送り込んだ。その調査の結果、MGM/UAの映画がCNNの局で放映できなくなっているなどの重大欠陥を摘発した。

 結果的に、CNNがMGM/UAを十五億ドルで買収、さらに同社の借金も肩代わりする代わりに、カーコリアンがUAだけ四億八千万ドルで買い戻すことになった。これがターナーの秘策だったのだ。買収より、単なる短期間のリースである。商談成立後、ターナーは早くもMGMの映画製作部門の半分とビデオ部門を二億二千五百万ドルで売りに出したのだ。MGM/UAの製作部門の健全化を願うラッドJRにとって、これは黙示できない事態だった。彼はカーコリアンとターナー双方に直訴した。二人は協議した結果、カーコリアンがMGMの社名買い戻しにさらに三億ドル支払い、MGM/UAの社名だけは護持できることになった。ターナーにしてみれば、映画ライブラリーが標的だったから、これだけ確保できれば満足だったのだが、『風と共に去りぬ』が撮影された有名なカルヴァ・シティの「四十四エーカー・スタジオ」まで入手できた。しかし彼は大好きな『風と共に去りぬ』にすら拘泥せず、たちまち「四十四エーカー」を一億九千万ドルでロリマー=テレピクチャーズに売却した。

 MGMのオーナーになるというターナーの夢は、七十四日の天下に終わり、映画製作の夢も消えた。しかし彼は、かろうじて『クロコダイル・ダンディー』の配給にオーケーは出したのだ。ラッドもこの作品は気に入っていた。しかしオーストラリア側のプロデューサーがMGMの混乱に恐れをなし、条件の悪いパラマウントに乗り換えた。『ダンディー』一本とっていれば、その興収だけでターナーはMGMをものにできたのだ。映画に愛着を持たない企業家のエゴにふり回されてきたMGMからは、完全につきが落ちていたわけである。おまけにターナーは、今回の商談でこしらえた莫大な借金のために、本拠の「ターナー放送」でも専決権を失い、合議制に屈するはめになった。 カーコリアンも十五億で売却、借金返済に当て、ホテルやカジノ部門を二億八千万ドルで売却してターナーからのUA本体及びMGM社名買い戻しに七億八千万ドルを支払った結果、持っていた映画会社は脱け殻になった。しかし窮余の一策で新規に発売したUA株その他で、彼は結局濡れ手で泡の六億ドル(即換金可能)を掴むのである。だがあれだけ他人に好印象を与えたがったカーコリアンだったが、映画を愛する人々の目には伝統あるMGMを解体しようとしているとしかみえない今回の取引で、すっかり評判をさげ、「善玉」から「悪役」にされてしまった。

〔非ユダヤ系のラッドJR、「彷徨えるユダヤ人」となる〕

 しかしカーコリアンは、資金繰りのためとはいえ、ラッドJRには無断で暗躍をやめなかった。今度は四十九歳のユダヤ系映画人、ジェリー・ウエイントローブをUAの「パートナー」に指名したのである。『カラテ・キッド』の製作で当て、ブッシュ大統領と別荘が隣同士というだけで「親友」呼ばわりをするはったり屋の彼は、根っからのハリウッド人種だった。ウエイントローブは自己資金三千万ドルを投資するだけで、UAのボスになれるというのだ。彼はベヴァリー・ヒルズに豪華なオフィスを構え、「王朝」を開いた。「おれがUAだ!」と豪語したのだ。しかし彼は、会社経営などはなにも知らなかった。そして「一晩で傑作を作ってみせる」といきまいた。ちなみに今日では昔と違って、ユダヤ系の資本面でのハリウッド支配は五%にすぎない。マネジメント面では相変わらずユダヤ系が支配的だ。しかし彼らのはったりの強さは、資本支配の低下に起因する強がりかもしれない。これは日本資本系のハリウッド映画会社のハリウッド関与には重要なポイントではあるまいか。

 ウエイントローブ自身から通告を受けたラッドJRは、以後相手のはでなやり方を横目に、ジョン・ゴールドウィン(MGM創立者の一人サミュエル・ゴールドウィンの孫)などの腹心を集め、慎重に勢力扶植を続けた。ラッドは最初UA社長として雇われ、ついでMGM/UA社長に直り、「ターナー放送」に回され、またMGM/UAに戻されたのに、今やUAが彼からもぎとられたのだ。まさに「彷徨えるユダヤ人」だった。皮肉にもラッドは、ユダヤ系だらけのハリウッド製作部門の幹部の中では珍しい非ユダヤ系だったのだ。毎朝どっちのオフィスにいけばいいのか迷うほどだったのである。この間彼は有名なサルバーグ館向かいに建つ南米型ピラミッドに似た建物に拠を構えていた。ウエイントローブの豪華なオフィスと比べれば天地の違いだ。「ラディは墓に葬られている」。これが業界のジョークになった。この彷徨の最中にラッドが慰められたことといえば、映画好きのターナーが好んで彼と映画の話に興じたことくらいだ。しかしターナーはあっさり「映画製作に出せる金はない」とつっぱねた。それでも彼は、『ヤングブラッド』など、低予算の映画を製作、着実に力をつけてきていた。

 ウエイントローブは試写で好評だった『ヤングブラッド』の手直しを要求、その後の試写が不評で手をひくような不手際ぶりを発揮した。カーコリアンはいいかげんな人間に権限を与えるが、同時にお目付け役もつけておく。ヒット作も作れないくせに恩義のあるプロデューサーを年収百万ドルという破格の給与で独断で雇ったウエイントローブには、カーコリアンも癇癪玉を破裂させた。ウエイントローブは、「五か月天下」の間に一本も映画を製作できなかった。テッド・ターナーは「七十四日天下」で、、MGMの映画ライブラリーと「四十四エーカー・スタジオ」その他を手に入れた。役者があまりに違いすぎたのである。

 ラッドJRはMGMの会長職につけられ、製作部門の全権を与えられた。「迅速な製作を可能にするには、棚あげされていた脚本から掘り出し物を見つけることだ」。ラッドは果断に決意すると、腹心のゴールドウィンとともに『ムーングロウ』という棚あげ脚本を見つけだし、『ムーンストラック』と改題、シェール主演で最初のヒットをとばした。またジョン・チーズから『ウォンダという魚』の筋を聞いただけで、脚本ができてもいないのに百万ドル出すと約束する大胆なところも見せた。MGM/UAはついに興収ではコロンビア、ユニヴァーサル、オライアンを抜いた。

 しかしカーコリアンは性懲りもなくMGM/UAの買い手探しを続けた。ソニーも話題に上ったが、ついに一九八八年に、『レインマン』で当てたプロデューサー、ピーター・グーバーとジョン・ピーターズに売却すると、ローマにいたラッドJRに知らせてきた。この二人は現在ソニー映画の社長である(『映画宝島』第一巻・拙稿「日本企業はハリウッドに君臨できるか?」参照)。急遽帰国したラッドは、二人と会見する。九十分遅れて姿を見せた二人は、高圧的な態度でラッドに接したが、「新会社の組織図は?」と迫る彼の質問ははぐらかした。

 翌朝ラッドは友人の一人から、グーバーがMGM会長、ピーターズが社長になり、ラッドはおろされたことを知らされた。憤然としたラッドはUAビルに車を乗りつけた。エレヴェーターにとびこむと、他ならぬカーコリアンが乗っている。ラッドは挨拶もせず、相手もポーカーフェースを返した。会見を迫るラッドに、「いい子ちゃん」ぶりたいカーコリアンはおどおどと自室へ案内した。低い声ながらびしびしと詰問するラッドに、相手はついに具体的なことはなにももらさなかった。

 実態はこうだった。グーバーらが一億ドル用意し、カーコリアンが二億ドル用意、グーバーをMGM会長、ピーターズを社長にする他に、彼らに二五%の株を持たせる。二人は四〇%を要求したが、カーコリアンは拒否した。若いピーターズがラッドらの業績をくさす発言をしたとき、カーコリアンは厳しい口調で「彼らはベストをつくした」とたしなめた。さすが貫祿の違いで、ピーターズは黙ったという。ラッドにはせめてもの慰めだったろう。MGM/UAが一億ドルで転がり込んでくるとのぼせあがった二人も、結局それだけ出してカーコリアンの雇い人になるだけだとわかって、さすがに我に返った。しかも支離滅裂な会社内容をひき継がねばならない。彼らはおりた。

〔「あんたからMGMを買い戻す資金を集めてみせる」〕

 しかしカーコリアンは、新番頭役スティーヴン・シルバートを使って契約していたプロデューサーの首切りを強行した。「金曜日夜の虐殺」と呼ばれるこの事件では、リチャード・ザナックも首になった。ラッドは親しい彼に詫びたが、ザナックはカーコリアンの仕打ちには怒りながらも、「おれは親父に首にされたぐらいだから、なれっこだよ」と笑ってみせた。実父のダリル・F・ザナックが、二十世紀フォックス製作部門の長だった息子リチャードの首を切っていたのだ。そしてリチャードはラッドに、「おれの契約書には不可抗力条項が入っていないはずだから、その条項を基におれを首にしようってのなら、こいつは無効だよ」と教えた。その通りで、ラッドに迫られたシルバートはザナックに復職を持ちかけたが、彼は「その気はない」とつっぱねた。どことなく一昔前の映画人の気風が伝わってくる話ではないか。それにしても、二代目であるラッドは、ゴールドウィンやザナックら二代目にいい友人を持っているらしい。

 典型的な「虐殺」は、『ロッキー』シリーズの共同プロデューサーだったアーウィン・ウィンクラーの場合だ。彼は首にはならなかったのに、シルバートは製作中の映画への出費を拒否したのだ。すでに主演のドナルド・サザランドを六十万ドルで契約ずみだから、製作中止でMGM/UA自体四百六十万ドルのロスになる。この会社は自らも「虐殺」したのである。ウィンクラーは自分が二百万ドル出資するからと泣きついたが、シルバートは譲らなかった。

 さらにスタジオ職員二百名が首を切られた。ラッドもついに去る決心をした。温厚なラッドがカーコリアンに、「あんたからMGMを買い戻す資金を集めてみせる」と啖呵を切った。よくよくのことだったろう。彼は直ちにメリル・リンチ重役に打診を始めた。

 数週間のうちにMGM/UA帝国は、急激に収縮した。膨大だった映画ライブラリーには、ターナー買収以後は数えるほどしかなく、最上のものはラッド自身が製作を指揮した『ムーンストラック』と『ウォンダという魚』きりだった。重役の独断でMGMの社名までフロリダのディズニー・ワールドに使われるはめになり、珍しくカーコリアンが重役会議でどなり声をあげたが後の祭りだった。例によって経営を任せる新番頭役探しでは、ラッドが打診中のメリル・リンチ重役ジェフリー・バーバコウに白羽の矢を立てる没義道ぶりだった。

 カーコリアンは行列に並んで巷の映画館でポップコーンをかじりながら映画を見るのが好きだった。要するにハリウッドの外側の人間だったのだ。いつまでも内側のリズムやニュアンスがわからなかった。産業や商売は周期的なものだが、特に映画産業はそうだ。従って番頭役や製作部門の長には、長期政権を与えないと、この周期をヒットできない。あれだけ頻繁に番頭役をとっ変えると、その度にラッドのような優秀な製作部門の長も去っていく。MGM/UAは、みごとにこの周期に乗り遅れた。この会社が片手をかけながらみすみす他社に奪われたヒット作品には、『ジョーズ』、『スティング』、『ラスト・タンゴ・イン・パリス』、『クロコダイル・ダンディー』と枚挙に暇がない。

〔新会長室に四百ポンドの本物のライオンを放ってMGM/UA獲得を祝ったパレッティ〕

 一九九〇年初頭ころ、イタリア人資本家ジアンカーロ・パレッティ(当時四十九歳)が登場、十三億ドルでMGM/UA買収を持ちかけてきた。結局九〇年十一月一日、カーコリアンは九億九千万ドルでMGM/UAを手放し、二十一年間の支配に終止符を打った(パレッティ側が支払った総額は、十三億三千六百万ドル)。カーコリアンの訣別の辞は、印象的である。「ソニー映画などとは競合できなかった。今日ではハードウエアを押さえないとだめだよ。衛星放送、ホームビデオ・カセットの製造、映画館チェーンの支配、これがないとどうにもならん」。カーコリアンは、自己所有の航空会社にMGMのロゴを残した。せめてもの記念というところだろう。

 東芝・伊藤忠はまだウォーナー株一二%買収をやっていなかったので、パレッティの買収は「三つ目の映画大会社、外国資本の手に!」と騒がれた。ともかく八か月の商談中、あらぬ噂を立てられ続けたパレッティは、新しい会長室に四百ポンドの本物のライオンを放ってMGM/UA獲得を祝った。同社は以後MGMパテ社となる。買収資金は結果的に十四億ドルに及び、そのうち八億八千八百万ドルは、フランス国立銀行クレディ・リオネ銀行のオランダ支店から借りた。しかしその年度のMGM/UA興収は、アメリカ映画会社興収の一・四%にすぎず、九〇年五月締めでは三千二百万ドルの赤字だった。しかも記述のように、資産の大部分ははぎとられていた。しかし新たな借金支払いのために、パレッティも資産切り売りを始めることになる。まずターナー放送とタイム・ウォーナー社(ウォーナー・ブラザーズ)その他に、映画権を売却した。

 パレッティは、映画館でポップコーンをかじながら映画を見るのが好きだったカーコリアンに比べれば、もっと悪質な企業家だった。映画などろくに見たことがないのである。カーコリアンはスターに会うのは好きだったが、パレッティにはその趣味はまるでない。有名な話だが、カンヌ・フェスティヴァルで「クリント・イーストウッドさん、あなたのお仕事には敬服しております」と挨拶した相手が、イーストウッドの隣にいた彼のエージェントだったという。

 ウンブリア地方のオリーヴ商の息子に生まれたパレッティは、ウエイターから身を起こし、ヨーロッパ各地で破産寸前の会社を売買して資産を築いたという。税金その他の規制が緩やかなルクセンブルグに本社を置く持ち株会社「コンフィナンスSA」を通じて、十五の企業を支配している。買収の主体はロスの「パテ・コミュニケーションズ社」で、一九八八年に二億ドルで買収したキャノン映画などメディア関係企業を傘下に収めている。このキャノン買収が、ハリウッド進入のきっかけだった。イタリア系の独立映画製作者ディノ・デ・ラウレンティスの紹介で、ハリウッド人脈を広げつつある。二千万ドルの専用ジェット機を乗り回し、二十万ドルのロールス・ロイス、ベヴァリー・ヒルズには十四室の邸宅(八百八十万ドル)、自己所有のロスのクラブで客をもてなし、ディスコを踊る。MGM/UA買収に固執する彼を、知人はこういっている。「キャンディ・ストアのショーウィンドーに鼻面おしつけてる子供みたいだ」。ただし一九八九年十二月の申告では、現金六百六十万ドルに対して借金一億八千万ドルを計上している。

〔ラッドJR、MGMへ捲土重来〕

 パレッティはアラン・ラッドJR(当時五十三歳)を、製作部門の長に年収七十五万ドル(プラス、パテ社収入の一〇%、及び製作映画一本につき二十五万ドル)という前代未聞、破格の待遇で雇った。ラッドはカーコリアンに切った啖呵を実現したわけだ。しかも製作映画のラッドの歩合最低保証は、二百万ドルに達する。ラッド雇用は、全くハリウッドではよそ者にすぎないパレッティの信用の基礎になった。しかもラッドは、製作に関しては全権を握り、パレッティは発言権を放棄した。ラッドは一定予算内(年間二億五千万ドル)で、年間十二本の映画を製作する約束である。

 しかしカーコリアンにいいようにあしらわれたラッドを、「これまであれほどダイナミックでない人間に会ったことがない」という者もいる。また「彼は古いハリウッド時代の遺物だ」とまでいう者もいる。しかし彼の忠誠度の高さにほれこむ者も多く、彼についてきた重役の中には、「ラッドのためには命も要らぬとまではいわないが、彼のためなら人殺しぐらいはやってのけるよ」という者すらいる。これはハリウッドを支配してきたユダヤ系の気風とはかなり違うものを感じさせる。

 ラッドはカーコリアンとの確執を否定したが、記者たちから問い詰められて、カーコリアン支配の二十一年間が「非常に有害で、MGMの衰退を座視するのは心をねじりあげられるような気がした」と述懐した。「普通の人々にとってより、このスタジオは私にとって大事なんだね。ここで育ったんだから」。  しかしラッドJRは父親が離婚したため、ホームビー・ヒルズにあった父親の家に住むようになったのは十代になってからだった。すでに父親はエージェントのスー・キャロルと再婚していたので、ラッドJRは家族の写真に一緒に写らなくなった。彼の弟の話では、「スターである父親に前の結婚での子供がいると世間に知れてはまずいと思ったからだ」という。「あれほどダイナミックでない人間」といわれた基本は、この辺の異様な気の遣い方にあるようだ。未だにラッドJRは、父親のことが話題になると、居心地悪そうな顔になる。ラッドSRは、一九六四年に死んだ。息子は幾分用心しながら、「父はすごくいい人間だった」といいはするが、家族の写真があふれているオフィスには俳優アラン・ラッドの写真は一枚も飾られていないのだ。

 ラッドJRは空軍を除隊後の一九六三年、タレント・エージェントに登録、俳優をめざしたこともあるから、父親がけむたかったのかもしれない。母親の再婚相手、つまり義父の不動産業にも短期間携わり、ロバート・レッドフォードやジュディ・ガーランドが顧客だった。六〇年代はロンドンで映画製作にも手を染めている。一九七三年二十世紀フォックスの製作部門副社長に就任、無名の監督ジョージ・ルーカスを見出し、史上空前の興収をあげた『スター・ウォーズ』を作らせ、早くも不動の地位を築いた。「スターはゼロ、制作費一千万ドル、全部ラディが球を投げた。反対するやつらばかりだったけど、それを押しのけてね」、フォックスで直接の上司だった人物がそういってくれるのは、ラッドの人徳だろう。続く『エーリアン』がまた大ヒットした。しかし彼は娯楽映画だけでなく、『ジュリア』や『未婚の女』などの高級作品も目利きができた。

 一九七九年、フォックスの会長のひきとめをふり切って、独立プロ「ラッド社」を作り、ウォーナー・ブラザーズと契約した。秘蔵っ子に逃げられて、会長は怒り狂ったという。ラッド社では『ポリス・アカデミー』を大ヒットさせた。『ライト・スタッフ』はポトマック川上空にジェット編隊をとばせ、映画に登場する宇宙飛行士らを招待して一大プロモーションを展開、ジョン・グレンはホワイトハウスまでめざしたが、映画自体はヒットしなかった。このため一億五千万ドルの借金ができ、一九八三年にはラッド社は出血を起こした。その後カーコリアンに雇われたのである。

 ラッドは映画の知識は百科事典的な該博さで、映画関係以外の本はめったに読まないという。映画メモラビリアのコレクターで、既婚のスペンサー・トレーシーがキャサリン・ヘッバーンに色目を使っている未公開写真などが秘蔵の品である。この写真を見て、ルイス・B・メイヤーが顔をしかめたことも、ラッドJRにはこたえられない古きよき時代のMGMの姿を代表するものなのだ。確かに「MGMの衰退を座視するのは心をねじりあげられるような」辛さだっただろう。ラッドJRもまた離婚したが、非常に家庭的らしい。先妻との間に娘三人、二度目の妻との間に三歳の娘が一人いる。

 パレッティがMGM買収にかかりきっていた八か月、ラッドはカーコリアン時代のMGM/UA側の製作中止に憤ったプロデューサーその他の債権者らの訴訟を、得意のハリウッド人脈を駆使してとりさげるよう説得した。同時に彼は、スタッフを動員して、『ロッキーV』、ジョン・ルカレのスパイ小説を映画化した『ロシア・ハウス』など十三本の映画を企画した。しかしこれらがぽしゃる。九一年度にはジーン・ハックマン主演のCIAもの『コンパニー・ビジネス』、『セルマとルイーズ』など十三本をリストアップした。〔パレッティ追放さる〕しかしラッドJRは、またしても不運に遭遇する。パレッティがクレディ・リオネ銀行オランダ支店その他への債務を履行できず、一九九一年四月十七日同支店によってMGMパテ社を追放されたのだ。同支店が、フランスの本行のパレッティ融資に対する追求に慌てた結果である。パレッティは、会長及びCEOの椅子奪われた。その時点で彼は、MGMの親会社パテ社の株九〇%を所有していたにもかかわらずだ。同支店はラッドJRをトップに据えた。この点は彼には幸運だったが、同支店の融資の大半が、MGMパテ社の借金返済に回され、十三本の映画製作費にはわずか七千五百万ドルしか回せない状態になっていた点は不運というしかない。同支店は、仕方なくMGMパテ社に一億四千五百万ドルの緊急融資を約束した。

 パレッティは俄然反撃に出た。MGMが会社申請したデラウエアのエクィティー裁判所で進行中の裁判ではラッドは、パレッティが資金を回さないので製作はおろか、撮影所の経費支払いも滞る惨状を法廷で訴え、彼の下ではMGMが沈没の運命にあったことを証言、パレッティの時代を「殺人的」と非難した。しかしラッドが製作に携わった十三本のうち、六本は興収四十万ドル以下、最低では四万一千ドルというのまであった。『タイム』の拍子に出たヒット作『セルマとルイーズ』(制作費千七百万ドル)ですら、興収は四千四百万ドルに及ばない。「一九九一年三月に封切られていれば、『羊たちの沈黙』しかライバルはなかった。それが資金不足で製作が遅れ、夏の封切りになってしまった。『ターミネーター2』や『ロビン・フッド』などライバルが目白押しの激戦地に突っ込んだのが不運だった」。ラッドは歯ぎしりしている。なお今日の映画制作費は、平均一千万ドルないし一千五百万ドルだが、資金不足のMGMは、二割ないし三割低い予算で製作しているという。一九九一年第一四半期は赤字一億ドルだった。それでもラッドは、『ドライヴィング・ミス・デイジー』でアカデミー賞をとったリチャード・ザナック夫妻と三年契約が結べたのは、彼の人脈だろう。しかしMGMは、『ヤングライダーズ』や『サーティサムシング』で健闘してきたテレビ部門以外、惨憺たる状態に落ちた。立ち直りには五億ドル必要である。

 だが瀕死のライオンにたかるハイエナのように、五、六人の買収希望者が登場している。さらにコロンビアやディズニーによるスタッフ引き抜きも盛んになった。キャロルコ映画のピーター・ホフマンが、再建の指揮をとるという噂も出たが、キャロルコ自体が財政問題を抱えている。

 一九九一年十二月、デラウエア・エクィティ裁判所の裁定で、パレッティがMGMパテ社での投票権を剥奪された。クレディ・リオネ銀行は、財政責任者としてハリウッドの古参重役デニス・C・スタンフィルをMGMの副会長に据えた。ラッドは製作責任者として彼と同格である。しかし株は保有しているパレッティは、「銀行側が勝ったんだから、これからはあそこがMGMに融資しなきゃならんわけだ」とうそぶいている。銀行は彼に十億ドル、彼の追放後はMGMに三億ドル投入している。パレッティはパリ郊外にあったMGMパテ者の土地二十エーカーを妻にわずか一万八千ドルで売却したり、ジェット・チャーター便には自己所有の航空会社に相場より五千ドル高い時間八千ドル、ロス〜パリ間だと相場より二千ドル高い一万ドル支払うなど、ずさんな経理が明るみに出された。

 ラッドは九二年度は十四本以上の新作製作を打ち出している。
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