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映画18_1.ケアリー・グラントがバイセクシュアルだった

 ハリウッドはスキャンダラスである。ハリウッドを創出したユダヤ系が、初期には自分らの出自を隠して、自らとは似ても似つかない「典型的なアメリカ人」を演じて、ワスプなど主流派アメリカ人の観客にすら「アメリカ人」の模範を提供したという二重性自体が、えもいわれずスキャンダラスだった。そして映画に出演する俳優自身が、自分以外の役や人生を演じて、堅気の人間には想像もつかないアイデンティティの危機に陥り、支離滅裂な人生を送って一層スキャンダラスさに拍車をかけてきた。一般のアメリカ人も、俳優たちには自分らの狭い人生の間尺からはみだしてほしいという期待があり、俳優らのスキャンダルを貪婪に求め、『コンフィデンシャル』や『ハシュ=ハシュ』のようなスキャンダル雑誌の隆盛を促した。

 こうなると、スキャンダルと無縁な俳優は逆に稀少価値が生じる。特に大統領選の度に候補者の女性問題が候補失格の最重要基準になるアメリカでは、他人の人生を演じる、堅気とは無縁の俳優たりとも、円満な家庭生活を保持する者に好意が寄せられるのである。多数の側室を抱えた独裁専制君主の記憶が生々しいヨーロッパでは、政治家の女性問題はアメリカほど重要ではない。しかしいきなり民主主義から国を始めたアメリカでは、政治家にも堅気の自分たちと同じ小市民的家庭生活を要求する度合いが桁外れに強いのである。アメリカ人のスキャンダル好きは、この病的なピューリタニズムの裏返しでもあるのだ。(逆にクリントンがこの問題を首尾よく回避できたのは、不況のアメリカが元来政治能力と無関係な貞節さなどにかまっていられなくなったことを明示している)。

 ともかくジューン・アリスンとディック・パウエル夫妻の貞節さなどは、当時のハリウッドでは一服の清涼剤だった〔町山さん、このカップルも最後には別れたんでしたっけ?〕。ケアリー・グラントは、数少ないスキャンダルレス俳優の代表だった。しかも彼が本名アーチバルド・リーチというイギリス系だっただけに、ワスプのファンのみならず他の民族集団のファンも、彼の身持ちのよさを漠然とワスプの道義性の象徴と受けとっていた傾向がある。ちなみにグラントは本名の縮小辞「アーチー」が仲間内の呼び名だった。

 そのグラントがバイセクシャルで、エクセントリックな大富豪ハワード・ヒューズや、B級西部劇で寡黙なヒーローを演じ続けたランドルフ・スコットらと性的関係にあったと暴露されたのである(チャールズ・ハイアム『ケアリー・グラント──ローンリー・ハート』)。著者のハイアムは元オーストラリア人新聞記者で、同じ元オーストラリア人のエロール・フリンがナチのスパイだったという暴露的伝記を書いて名をあげた人物である。具体的にはフリンが一九四〇年初冬ドイツ人スパイのメキシコ逃亡を助けたとしている。これが政府記録の改竄だという非難が、別なライターから提起されるなど、ハイアム自身がスキャンダラスなライターなのだ。ただし彼は、著名なアメリカ人のナチ協力者を摘発する作品を多数発表して有名になった人物なので、むげに嘘八百で片づけてしまうわけにはいかない。

 ハイアムは文献渉猟はもとより、百五十名の関係者にインタヴューしている。グラントの最初の妻ヴァージニア・チェリルによれば、「パーティへ行く前に口論になって、彼が私を床に突き倒したので、私は暖炉の鉄製フェンダーで顔を切って、ドレスが血だらけになったわ。彼は見向きもしないで、一人でパーティへいった」。まずこれで円満な家庭像がふっとぶが、こんなのは序の口である。

 ハイアムは一九六五年マレーネ・ディートリッヒから、グラントの「両刀遣い」について聞いたのが最初で、この噂は映画界では周知の事実だったという。ディートリッヒはハイアムにとっては映画界では唯一の親友で、その彼女が「アーチーとは情事はむりよ。だってホモなんだから」といったらしい。ただグラントは何度かの恋愛沙汰と結婚で明らかなようにヘテロ主体だったが、幾つかホモ関係があったという。

 ハワード・ヒューズとの短いホモ関係については、ヒューズ側近ノア・ディートリッヒ他四人の証言を提示している。ランドルフ・スコットの場合は、一九七〇年代、二人がベヴァリー・ヒルクレスト・ホテルのレストランへ深夜現れ、他の客たちが帰った後も奥の席で密かに手を握りあっていたという。グラントは六十代、スコットもいい年で、この年齢のホモには哀切感が漂うではないか。情報源の給仕頭は、匿名希望である。ただし一九七〇年代の四年間グラントと同棲していたモリーン・ドナルドスンによれば、絶対にスコットとの情事はありえないという。露顕すれば、ダイアン・キャノンとの間にできた娘ジェニファーへの訪問権を失う恐れがあったというのが理由である。ただしドナルドスンはグラントのホモ嗜好自体は否定していない(『情事の思い出──ケアリー・グラントとの生活』)。ドナルドスンの指摘で面白いのは、グラントが彼女が電球を盗んだと咎めたこと、彼がイギリスでの家族背景を語らなかったこと、室内に鉢植えをいれると酸素を盗まれると信じていたことなどである。

 またフレッド・アステア未亡人ロビン・スミスは、夫とスコットは親友だったが、その彼がホモだったなど言語道断のでたらめだと非難している。ただしスミスはグラントについては、「たぶんゲイだったんでしょう。だれもがそういってるもの」と答えている。

 またグラントは、俳優になる前はニューヨークで金持ちの女性相手のジゴロだったという。しかしこれまた噂なのだ。

 グラントはLSD常用者だった。これはグラント自身が認めている。おかしいのは、冷蔵庫の、自分用の牛乳瓶に名前を記入したという。ハイアムはこれをグラントの吝嗇の理由にあげているが、たぶん衛生上の問題ではないか。妻や子といえども、自分の牛乳瓶に口をつけるのにがまんがならなかったとすれば、彼に一種の厭人癖があったことの証拠になる。この傾向の強い人間には、キスも不潔として忌避する者がいる。ましてや性器へのキスなどはもっての他である。これと両刀遣いとの関係は不明だが。

 傑作なのは、チャールズ・マンスンの部下たちがシャロン・テイトら五名を殺害したとき、グラントが敷地内にいたという指摘である。残念ながらこれは詳述されていない。

 ハイアムがグラントに関心を持ったのは、実際の彼がスクリーンの彼とがらりと違って仮面のような顔をしており、まるで腹話術師の人形を思わせるほど内面の動きを覗かせない人物だったためであるという。「スクリーンの屈託のない優雅な彼とは万事対照的だった」、ハイアムは書いている。

 ハイアムやドナルドスンの暴露本には、二、三のライターが対抗的にグラントの「屈託のない優雅さ」の側面を強調した伝記を書きつつあるという。ハイアムらの「グラント汚し」は、低迷期に入ったアメリカ、その主軸を支えてきたワスプの低迷を示すものなのか、フリンやグラントのような「非アメリカ人俳優」をハイアムのような「非アメリカ人ライター」が同士打ち的に叩く内輪揉めにすぎないのか。
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