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映画1_2.アメリカナイゼーション──その秘密と心の手引き『イン・アメリカーーー三つの小さな願い事』

〔人口二位のアイルランド系と新しい型の移民〕

 普通、他国への移住は食い詰めて断行する。しかし、この映画では、半ば親の不注意で死なせたわが子への痛恨を乗り越えるために、家族がアメリカへ移住する。それも英領連邦のカナダ経由で入国するのだ。『ET』が上映されているころだから、1980年代初頭、新しいタイプの移住である。そのために、この映画では移住という人間行動を意識下で支える要因が、的確に捉えられている。

 俳優のジョニー・サリヴァンは、妻サラと二人の女の子とマンハッタンの貧困地区で暮らし始める。映画のアパートはダブリンのものらしいが、建物は「ダンベル型」と呼ばれる、真ん中が吹き抜け、高さ五〜六階のもので、マンハッタンの移民区ローワー・イースト・サイドに昔から残っている典型的なテネ メント・ハウス(アパート)である。

 もっともアイルランド系移民が集中するのはウェストサイドの一角、ヘルズ・キチンで、ジム・シェリダン監督一家が移住後住み着いたのはここだった。ここはまた、ニューヨーク・ギャングでは特異な威力を発揮してきたアイルランド系ギャングの巣窟でもある。

 アイルランド系は圧倒的多数がカトリックで、母国をエリザベス一世に植民地化され、貧困ゆえに大挙アメリカへ移住、WASP(イギリス系プロテスタント)にここでも差別され、相手と闘いながら、ついに同胞のケネディを大統領に押し上げた。今日、人口ではWASPを追い越し、ドイツ系に次いで二位、母国アイルランドよりはるかに多い。土地を買うだけの金があったドイツ系に比べ、貧乏なアイルランド系は都会で暮らすしかなく、この映画でもアパート入口のホームレスが言うように、「警官はみんなアイルランド系だ」という時期があった。「9.11」で活躍した消防士も、アイルランド系が多い。

〔「ET=エイリアン=マテオ」の三位一体〕

 姉がクリスティ(キリストの)、妹がアリエル(空気の精)だから、二人は天使の機能を与えられている(事実、カトリック学校では姉が森の精、妹が天使に仮装する)。

 死亡した息子フランキーは、家族にのしかかる苦しみだが、同時に守り神でもある。だからクリスティは、この「一家の大移住」で彼の霊に三つの願いをかける。一つは米国境の無事通過、二つ目は妹がほしがるETのぬいぐるみを父親が賭けたゲームの勝利、三つ目はフランキーの生まれ変わりである未熟児の弟のサバイバルへの切なる願いである。

 二つ目の願いの隠された意味はこみいっている。ETはエイリアン(異星人)だが、アメリカ社会の現実のエイリアン(異国人・のけ者)は黒人である。家族の部屋の一階下に住む無名の黒人画家、マテオは玄関の扉に「ノック無用」とペンキで書きなぐり、アパート中でエイリアン視されている。にもかかわらず彼と親しくなったアリエルに、マテオは自ら、「ぼくはETだ、エイリアンだ」と告げるのである。

 映画『ET』(1982)を見て、そのぬいぐるみをほしがるアリエルのために店で買えば30ドルほどのET玩具にジョニーは、家賃の蓄えまではたいてゲームで勝ち取る。このこと自体が、「ET=エイリアン=マテオ」は大きなリスクなしには勝ち取れない何かであることを示している。この「何か」とは何か?

〔アイルランドの呪文とアメリカの呪文〕

 ぬいぐるみを衆人環視の中で勝ち取った後、ジョニーはふいに『ジャックと豆の木』の巨人のように、「フィー・ファイ・フォー・ファム!」(とって食うぞ)と叫びだす。アパートに戻ると、彼は目隠しをして同じ叫び声をあげ、「アイルランド女の血の匂いがするぞ!」とどなりながら子供らを捕まえようとする。妻のサラはぬいぐるみ獲得ゲームの勝利で夫の中にめざめた何かを感じ取り、娘らを遊びに出させて、確実に妊娠を予感させるセックスに入る。

 その最中、マテオは自らを閉じ込めた自室で荒れ狂う。まるで縁もゆかりもないサリヴァン一家とマテオの間に交わされる最初のテレパシーである。新しい生命の誕生は、天地が鳴動する大動乱が前提になるのだ。

 「とって食うぞ」はジョニーがアイルランドから持ってきた呪文で、これが新しい生命誕生のきっかけとなる。

 一方、ハロウィーンは元来、アイルランド人やスコットランド人などケルト民族の慣習なのだが、映画でも分かるように、クリスティらはこの慣習を知らず、アメリカ始発と思っている。大西洋を挟むと、長い歳月の間にはこういうずれが起こるのだ。サンタクロースなどもオランダ始発だが、結局アメリカで発達、今日の姿になった。

 従って、サリヴァン一家とマテオを結びつけるのはアメリカ化したハロウィーンで、子供らが怪物に変装して各戸の玄関で叫ぶ「トリック・オア・トリート!」(お菓子くれなきゃいたずらするぞ)は、逆にアメリカの呪文となる。つまり、アメリカの「扉」を叩く呪文なのだ。アパートの誰もが姉妹の呪文に応えず、「エイリアン」のマテオだけが応えて、「ノック無用」の扉を開き、姉妹を迎え入れる。こうしてみると、ハロウィーンによって連結された「ET=エイリアン=マテオ」は、サリヴァン一家には「アメリカナイゼーション」の「護符」に相当する。

〔死にゆく「マセラ」の呪文が生命を呼び覚ます〕

 アメリカナイゼーションは今日、軽蔑的にしか使われないが、アメリカに移住し、アメリカ人となる決意をした人間や家族にとっては、これは生存の新たな形を獲得する切実な「儀式」となるのである。

 マテオは、フランキーの死を克服できないジョニーに、「フランキーはどんな存在だったか?」と聞く。ジョニーは「戦士だった」と答える。マテオはジョニーに、母国アフリカの言葉で「フランキーはマセラ(別の世界へ行くことを恐れない者)だ」と告げる。エイズを病むマテオ自身、自らをマセラと見なして自分を励ますのだ。ここで、彼とフランキーが重なり合う。

 サリヴァン一家はアイルランドから持参した呪文だけでは、フランキーの死の呪縛を越えて、アメリカ人にはなれない。また、アメリカの呪文だけでも目的は遂げられない。では、後は何が足りないのか?

 衰弱したマテオがアパートの階段から転落したとき、彼は階段から落ちたフランキーを追体験している。その彼を蘇生させようと、姉妹はフランキーを蘇生させた心臓部の強打とキスして心臓の鼓動をポンプのように引き起こそうとした、かつての行動を繰り返す。

 母体と胎児、どちらも危機に瀕するリスクを冒して、サラは分娩を敢行する。彼女にとって、生まれてくる胎児はフランキーの生まれ変わりなのだ。リスクに尻込みすれば、フランキーの死という痛恨事を克服できない。

 しかし新生児には輸血が不可欠で、血液型が同じクリスティが献血する。そのとき、マテオにキスして感染したはずのエイズのことが懸念事項になるが、フランキーを蘇生させたのと同じ行為でマテオを蘇生させた以上、この献血が赤子に本来の生命を吹き込むと、クリティは確信する。しかし、せっかくの輸血の後でも、赤子は泣き声をあげない。

 「マセラ」としてあの世へ向かいつつあるマテオは、死の床で死力を振り絞って母国アフリカの呪文を唱えだす。驚くべし、究極のテレパシーによって、赤子はついに力強く泣き声をあげた。赤子はフランキーだけではなく、マテオの生まれ変わりでもあったのだ。

〔「移住」を成功させる一大シンフォニーとは?〕

 つまり、まるで縁もゆかりもないマテオの母国の呪文が、サリヴァン一家の「大移住」を完了させた。世界中から癒しがたい辛い過去を抱えてアメリカに移住してきた移民たちは、アメリカの現在だけを生きるのではない。彼らの母国の呪文が彼らを支えるだけでなく、それが赤の他人をもアメリカ人になるという一点において相互に支え合うのである。

 サリヴァン一家は血縁同士だが、マテオは局外者だ。その彼が、自分の苦しみを通して一家に血縁以上の関わりを持つ。「ET=エイリアン=マテオ」枢軸が一家の「移住」完了の決め手となったのは、非血縁の枢軸が血縁同士の一家と合体したからである。この合体こそ、アメリカ人となることを相互に認め会う「同意」なのだ。

 「移住」は、「血筋(ディセント)」と「合意(コンセント)」の合体があって初めて完了する。これこそが移民国家アメリカに鳴り響いてきた、160を越える民族集団から成り立つ多民族社会、その膨大な民族的因縁が奏で続けてきた一大シンフォニーなのだ。この映画のユニークさは、それを抽象概念ではなく、最小限度の登場人物の絡みで具体化してみせた点にある。

 この機微がまるで分からないアメリカ人の典型は、ジョニーのタクシーに乗った、ラップに凝る白人客だろう。何でも黒人の真似をしたがる白人を「ブラック・ワナビー」というが、彼らは外面だけでしか黒人の深淵が分からない。ジョニーがこの客を放り出すのは、直観的に相手の奇形性に気づいたからだ。

 この客は何代目のアメリカ人か不明だが、「移住」に失敗した部類に入る。サリヴァン一家が住むアパートの入口で野宿するホームレス乞食もそうだが、少なくとも彼はジョニーに貧困者用の食券を渡して日頃の施しのお返しにしようとする。

 クリスティが歌う「デスペラードー」は元来、「無法者」の意味だが、この映画では「移住に挫折した(または、挫折しかけている)者」を指している。彼女がアイルランドから持ち込んだ、フランキーの映像を収め、アメリカの映像を収め続けてきたキャムコーダーこそ、「大移住」の成功に至る要因を的確に記録した武器でありアーカイヴである。

 「9.11」では、誰もが「デスペラードー」になりかけた。これは積年の過酷なアメリカ外交、特に過剰なイスラエル寄り外交が招いた惨禍だったが、移住してきた者たちにとっては、「移住の挫折」を意味した。だとすれば、あの生まれ変わりの未熟児は、挫折しかけた「移住」の象徴、その赤子を蘇生させた一家やマテオの営為は、「9.11」に対する抵抗を連想させずにはおかないだろう。それは前述の、多民族社会ならではの民族集団同士の因縁をプラスの一大シンフォニーに変えるための抵抗でもあるはずだ。
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