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映画

映画2_3.『キーピング・ザ・フェイス』

『キーピング・ザ・フェイス』の背景/映画『キーピング・ザ・フェイス』

 この映画のように、少年少女時代に血縁もない男の子二人と女の子一人が兄弟姉妹ように友だち同士という組合せは、それ自体がメルヘン的である。

 兄弟がいなかった私自身、兄と妹がほしかったので、そういう取り合わせを夢想し、小説に書いたことがある(『遺贈された生活』昭和四十五年度太宰治賞次席)。

 しかし映画の三人組は、いかにも多民族社会アメリカらしく、女の子アナ・ライリー一人に男の子ブライアン・フィンがアイルンド系カトリック、もう一人の男の子ジェイク・シュラムがユダヤ教徒である。 プロテスタントが主流のアメリカでは、カトリックもユダヤ教も傍流で、「カトリッと犬はお断り」の看板がレーガン元大統領の少年時代まで、「ユダヤ教徒と犬はお断りの看板はもっと遅くまで、「黒人と犬はおり」はつい一九六○年代まで、普通だった。ちなみにレーガンの両親は父がカトリック母がワスプだったので、兄をカトリック、弟の彼をプロテスタントにしたのである。

 同じキリスト教でも、プロテスタントは「自力本願」、カトリックは「他力本願」で、自己に厳しすぎて人間性が失われがちなプテスタント社会に柔軟性を回復させる要素がカトリック文化だった。映画でも神父となったブライアンが懺悔聴聞の任務を果たしているように、カトリックは人間精神を善悪混沌たるジャングルと見なし、「その自分丸ごとで神にすがれ」と説いたが、その実行面が懺悔(告解)だったのである。ブライアンがスペイン語で懺悔に応じるように、ニューヨークにはプエルトリコ系のカトリック信徒が多い。同じカトリックでも、アイルランド系、南ドイツから移住してきたドイツ系、東欧・南欧系、そして中南米系と多種多様だ。

 また、アナがジェイクとの関係を懺悔したことは、ブライアンにとっては神父の機能を破壊するほどの衝撃となる。

 一方、ユダヤ教徒はカトリックより痛烈な差別にさらされてきたために一層深く信仰にすがり、またこの宗教には数百もの戒律があるために、自らの内面監視ではプロテスタンティズムを凌ぎ、それがユダヤ教徒の頭脳を一層明晰にし、彼らの成功を助けた(ジェイクの家系も三代にわたって投資銀行業)。しかしプロテスタントのように国家権力に与らず、それから疎外され続けてきた苦労が、結果的にユダヤ教徒の精神の幅を押し広げる結果になったのである。

 しかし今日、プロテスタンティズム、カトリシズム、ユダヤ教は、アメリカ精神の三本柱として相互に有効に影響し合っている。

 もっともジェイクの母親が長男イーサンがカトリック女性と結婚したことから息子を否定してきたように、被差別度の高かったユヤ教徒のほうが信仰に固執した。「ジューイッシュ・マザー」という言葉があるようにユダヤ教徒の母親は子供らの信仰護持にあられもなく介入、アメリカナイズしたい息子を手こずらせてきた。ジェイクが信仰を棄てアナとの結婚に踏み切れないのも、兄のと同じ苦しみを再び母親に味わわせられない思いが強いブレーキになっているのだ。

 映画ではコミカルに扱われているが、声わりした少年の成人式バーミツヴァは十三歳で受ける大事な儀式である。女の子のバトミツヴァは、ユダヤ式クリスマスのハヌカーと同じく、二十世紀のアメリカで創始されように、アメリカは全ての宗教の「中間地帯」となった。映画の最後でカトリックもダヤ教徒も共に集えるカラオケ会場をブラアンとジェイクが、ヴェトナム難民のドン(彼も同胞もカトリック)と開くのは、「中間地帯」としてのアメリカの縮図である。

 カトリックの禁欲の戒律は聖職者だけに課せられるもので、これはプロテスタントの牧師にもユダヤ教のラビにもない。実際は神父にも隠れた妻がいるのが普通で、パーティへ彼女を呼ばないと神父はご機嫌斜めになるだが、この映画ではチェコから逃れてきた神父が若き日の女性経験を口にし、しかし四年も神の道一筋にきたこと、それでも聖職の道も俗人信徒の道もそれぞれに厳しいと、理解のあるところを示すに止まる。

幼なじみの中でアナだけが宗教とは無縁の企業診断士になるが、思えば企業の欠点を暴き、競争力を高める彼女の仕事は彼女を企社会の「ラビ」たらしめているのかもしれない。カリフォルニアで訓練を受けた点も、古い由競争の舞台だった東海岸より西海岸こそIT革命という新しい自由競争の総本山なのだ。ジェイクとの恋に敗れていったんは西海岸の栄達をめざした彼女を、ブライアンではなくジェイクが引き戻したことは、アメリカ社会におけるユダヤ教の何物かを象徴しているような気がしないでもない。

 それにしてもユダヤ教会の豪華さは、この宗教のアメリカにおける成功をうかがわせに十分だ。ジェイクが贖罪の日、異教徒との関係を告白する前、信徒が集う大会堂で響く歌コル・ニードレは、許しを乞うユダ教の神歌である。ヨーロッパでホロコースにさらされたユダヤ教徒は、ホロコースト博物館をその現場でもイスラエルでもないアメリカ(ワシントンDC)に建造したことも、アメリカでの「成功」への感謝の表れなのだ。

 印象に残る二つのエピソードは、ブライアンが苦悩のあまり泥酔、「懺悔」した相手がシーク教徒の血が二分の一、イスラム教徒の血が四分の一、祖母がアイルランド系の尼僧で、しかも現在サイエントロジーの本を読んでいるバーテンで、彼が聴聞僧としてブライアンに許しを与えること、もう一つはためらうジェイクに「歩くな」の信号を指して、「ここはニューヨークだ。信号なんか無視して突っ走れ、幸せになれ!」と叫び、意を決したジェイクがアナの会社へ走り出すこと、この二つのエピソードは、宗教的にも多民族社会であるアメリカと、宗教相互の壁を突き抜けて前進すアメリカの有効な「無謀さ」をいかんなく表していると思えるのだ。
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