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映画2_5.『アンチキリスト像の変貌』

〔十角・七頭のアンチキリストから幼児アンチキリストへ〕

 『オーメン』(76)は、駐英アメリカ大使の幼い一人息子が<アンチキリスト>と判明、大使自身がその殺害を図って逆に命を落とす話である。

 イタリア駐在のアメリカ高等外交官ロバート・ソーンの本当の息子がローマの産院で死産と宣告され、神父のとりなしで外交官は、妻には内緒で、別の赤子を実子としてもらい受ける。この赤子デミアンが、実はサタンが黒犬に生ませたアンチキリストなのだ。ただしそれが分かるのは、かなり後になってからである。外交官は駐英大使に任命され、舞台はロンドンに移る。大使夫妻がつけた乳母(ナニー)(ルビ)に黒犬が催眠術をかけて大使公邸の園遊会の場面で自殺させ、代わってどこからともなく家政婦が派遣されてくる。この家政婦が実はサタンの手先で、黒犬とともに幼児アンチキリストを守り育て、ついには大使夫人を殺害する。一方、大使には謎の神父ブレナンがしきりに黙示録の終末の預言を告げて、デミアンの殺害を使嗾して逆に避雷針で串刺しにされて殺される。この出来事とデミアンが示す不気味な側面に居たたまれなくなった大使は、公務を放擲してローマに飛び、実のわが子が生まれたばかりで殺され不気味な墓地に埋葬されていることを突き止める。母親の墓とされる墓石の下には、黒犬の骨が入っている。そこで大使は、ブレナン神父の勧告に従い、ハルマゲドンの戦場と予告された、イスラエルのメギドに赴き、ブーゲンハーンという考古学者兼予言者からアンチキリストを仕留める古代の短剣七本を受け取ってロンドンへ帰り、デミアンを夫婦で信徒だった監督派教会に連れ込み、短剣で殺害を図って官憲に射殺される。

 さて、アンチキリストはサタン最強の部下だ。ユダヤ−キリスト教の世界観は歴史は善悪の対立で推移し、究極的には善が勝利する構造だから、善の勢力のトップが父−御子キリスト−聖霊の三位、悪の勢力のトップがサタン−アンチキリスト−偽予言者の三位で、アンチキリストがキリストと対比的関係にあることが分かる。

 しかしヨハネの黙示録十三章に登場するアンチキリストは、幼児どころか、そもそも人間の姿をしていない。『わたしはまた、一匹の獣が海の中から上がってくるのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。私が見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口はライオンの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた」。このように、アンチキリストは「獣」とはいっても、幾つもの獣を合体させたヌエの姿をしている。なお、「わたし」とはヨハネ、「竜」とはサタンである。サタンは右の引用の少し前に、やはり七つの頭と十本の角を持つ赤竜として描かれているので、アンチキリストがサタンの威力に近いものを付与されていることが分かる。また「偽予言者」は、「小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた」とあるから、彼もまたサタンの特徴を分かち与えられている。

 そんなわけで、世界史ではアンチキリストは人間に擬せられたときは、ネロ、モハンマド、ローマ教皇(マルティン・ルターによってアンチキリストと弾劾された)、ヒトラー、スターリン、最近ではサダム・フセインなどの成人になぞらえられてきた。『オーメン』のように、幼児に擬せられたのは私の知るかぎり初めてである。

〔幼児アンチキリストと石油危機、ウォーターゲート事件〕

 ネロはキリスト教徒に凄惨な迫害を加えた人物で、有名な666はネロを指す暗号だといわれている(『オーメン』の<幼児アンチキリスト>の右側頭部の頭髪の下には、666が刻印されている)。モハンマドはキリスト教徒の十字軍と壮絶な戦いを繰り広げるイスラム教徒の始祖だった。ヒトラーはナチズムを事ごとにユダヤ−キリスト教に対抗させた指導者で、特にローマン・カトリックの精緻な組織機構を第三帝国の組織化の参考にしようとまでしたが、むろんだからといってカトリックを保護する気は毛頭なかった。彼には、自分がアンチキリストだと認めるような発言があったといわれている。スターリンは、宗教は麻薬だと断じたカール・マルクスの思想を奉じて、冷戦時代の東西対立を引き起こした張本人であるソ連の頭領の中では、最も恐るべき人物だった。サダム・フセインは、ユダヤ−キリスト教圏の反イスラム感情を一手に引き受け、モハンマド以降では何人かいた<イスラム教徒アンチキリスト>の最新版である。ともかくアンチキリストはキリスト教世界を脅かす成人であることが常識になってきた中で、『オーメン』で幼児アンチキリストが登場したことは極めて斬新な印象を与えた。

 幼児である以上、アンチキリストとして本格的な悪の支配を開始するまで長い猶予期間がある。これは幼児キリストが、三十歳になるまで救世主としての機能を休眠状態に置かれていた長い猶予と呼応している。

 『オーメン』が封切られ大ヒットした一九七六年とその前後には、国際的には四年前の米中復交、三年前の石油危機が世界を揺さぶった。アンチキリストに擬せられてしかるべきソ連のブレジネフ書記長は米中復交に対抗すべく、雪解け外交と強行外交を使い分け、七九年にはアフガニスタンに侵攻する。アメリカ国内では、映画封切りのわずか二年前、ニクスン大統領がウォーターゲート事件の泥沼に落ちて米中復交など輝かしい雪解け外交の業績を棒に振って辞任した。さらにアメリカ中流層だけでなく、世界中の中流層が、石油危機以来、陥没を起こし、夫の給料だけでは中流生活の維持が困難になって、妻も働きに出始めていた。中流層の陥没は未だに続いている。

 石油危機の引き金をひいたサウジアラビアのヤマニは、イスラム教徒からアンチキリストを引き出す伝統に合致するはずだが、小物すぎた。ブレジネフもスターリンはおろか、前任者のフルシチョフよりも地味である。雪解け外交と強行外交の使い分けも、彼の輪郭を不鮮明にした。またさすがに、自国の前大統領をアンチキリストに擬すわけにもいかない。しかし石油危機の影響、そしてアメリカ中流層の背骨を支えてきた正直であることという行動規範が前大統領によって微塵に砕かれていたことなどが、ボディブローのように中流層を蝕んでいた。爆発的な脅威はなくても、じりじりと迫ってくる不安は<猶予された恐怖>とでも呼べたかもしれない。

〔『ローズマリーの赤ちゃん』とウーマンリブ〕

 幼児アンチキリストを登場させた『オーメン』の大ヒットは、右の状況と無縁ではないだろう。差し当たり成人のアンチキリストよりも、幼児アンチキリストのほうが、時代のムードに合致し易かったのだ。幼児アンチキリストが登場する度に奏でられるジェリー・ゴールドスミスの音楽は、サタン−アンチキリスト−偽予言者の三位一体が奏でる悪の和音そのものという感じだが、同時に<何か途方もないものが行く手に潜在しているのではないか?>という、一九七六年当時の<猶予された恐怖>を見事に旋律化している。

 幼児アンチキリストのアイデアは、たぶんロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(68)に由来しているのではないか。この映画は、標題のヒロインがサタン崇拝者が集まるマンションの住人になったことから、俳優としての出世に逸る夫がヒロインを崇拝者らに売り渡し、彼女は夢うつつのうちにサタンに犯され、彼の息子、アンチキリストを産む話である。ローズマリーがサタンに犯される場面は、サタンの黒い影だけが性行為のピストン運動を繰り返す。これは聖霊が聖母マリアに「影を投げかけて」イエスを生ませたことに照応している。むろん、ローズマリーの名の中にはマリー(マリア)という聖母の名が含まれている。

 またピストン運動を繰り返すサタンの影を殊更強調し、マリアに覆い被さる聖霊の「影」と対比した点に、ポランスキー監督の意図が明示されている。従って、聖霊によるマリアのレイプを間接的に暗示させるこの場面こそ、ポランスキー監督が冒涜的とされた最大のポイントの一つだろう。カトリックの映画監視団体は、「この映画がキリストの誕生を初めとするキリスト教の重要な教義を倒錯的に用い(中略)嘲笑している」と非難した。「赤ちゃん」は、当然アンチキリストとなる。俳優としての成功を代償に妻を悪魔と彼を崇拝するマンションの住人らに売り渡したローズマリーの夫は、マリアを聖霊に奪われた夫ヨセフに相当する。映画のプロデューサーは、「サタンの僕」呼ばわりされ、「死ね、死ね、死ね」と告げる手紙を受け取った。

 そして最初は、夫の子だと思い、その子を黒ミサの徒党が生贄にしようとしていると勘違いして必死に守ろうとしてきたローズマリーが、悪魔の子と分かっていったんは殺そうとしながら、結局この子をアンチキリストとして育てる<悪の聖母>となる道を選ぶ。

 しかしこの映画の大ヒットは、ポランスキーが意図した、一九六〇年代カウンターカルチャーのキリスト教の処女懐胎などのドグマに対する反発よりも、以下の事情に起因している。『ローズマリーの赤ちゃん』からわずか遅れて爆発するウーマンリブは、「中絶権は妊婦にある」ことを運動綱領の中核に掲げた。当時のアメリカ女性は中絶を禁じられ、中絶が合法的な海外に出て中絶を行えたのは裕福な女性だけで、普通の女性は法の手を恐れながらもぐりの医者にかかり、一生子供を産めない体にされたりしていた。彼女らが中絶権をかちとるのは、一九七三年の最高裁裁定によってである。

〔『オーメン』や『エクソシスト』でなぜカトリックが活躍?〕

 中絶が非合法だった間、アメリカ女性は一九六〇年のピル解禁によって中絶問題を予防的に解決していた。しかし薬害によるサリドマイド児の誕生などから、ピル使用によってやがては産む子供への悪影響を常に恐れていた。七三年の中絶合法化以後は、キリスト教右翼の中絶反対がエスカレートを続け、産婦人科を訪れる夫婦に対する嫌がらせ、産婦人科そのものの爆破や医師の殺害まで起こっている。

 高度管理社会が提供する避妊薬とキリスト教右翼がかきたてる罪意識──双方相まって妊婦たちは自分の子宮から異様な赤子が生まれてくる恐れにとり憑かれ、『ローズマリーの赤ちゃん』は妊婦や若い夫婦を中心に深刻な共感を呼び起こしたのである。

 ところがポランスキーが意図したカウンターカルチャーとの同調は、他ならぬカウンターカルチャーの側から手ひどい形で裏切られた。チャールズ・マンスンの信徒らが彼の使嗾によって、ポランスキーの子を孕んだ女優シャロン・テートを殺害、その腹にフォークを突き立てたのだ。やはり襲撃者らが自分らの悪魔性を棚に上げて、ポランスキーを悪魔、胎児をアンチキリスト、テイトをローズマリーと見なし、アンチキリスト殺害を意図した結果だろう。プロデューサーへの死の予告が、こんな形で実現された。

 ともかくここでアンチキリストを人間の女の子宮を使って産みだす主題が案出されたのに、『オーメン』ではアンチキリスト、デミアン・ソーンは「取り替えっ子」としてこの世に登場するのである。しかも彼は、黒犬の子宮を借りてこの世に生を受けたらしいのだ。七三年の中絶合法化が、人間の女性の子宮からサタンの係累を産みだす冒涜に籠められた女性たちの怒りと恐怖を和らげたのだろうか。

 さらにいえば、『オーメン』より三年早く制作された『エクソシスト』では、イラク北部で出土した古代メソポタミアの有翼の悪魔にとり憑かれた娘を、シングルマザーの有名キャスターがカトリック僧侶の助けを借りて清祓してもらう。『オーメン』シリーズでも、デミアンの抹殺を図るのはカトリックである。これは反体制のカウンターカルチャーが臨界点にきて、それが否定してきた旧体制の巻き返しが始まりつつあった時期に呼応する。『エクソシスト』のシングルマザーは、カウンターカルチャーの生き残りで、彼女が体制に叩きつけた罵言が今度は悪魔に憑かれた娘の口から母親となった彼女に吐き返される皮肉、それになすところなく自分が否定したカトリックに救いの手を求める皮肉が、この映画の大ヒットの背景をなすと考えられる。また『オーメン』シリーズの第三作『最後の闘争』(81)で結成されるカトリック僧侶のアンチキリスト暗殺隊は、カトリックの道徳防衛だけでなく、宗旨はプロテスタントでもレーガンを大統領に当選させる勢いを示したキリスト教右翼の攻撃的な道徳防衛の象徴である。

〔黒犬の子宮を借りて生まれた白人男性のアンチキリスト〕

 黒犬といえば、中世後期にファウスト伝説に初登場した悪魔メフィストフェレスは最初は黒犬として出現する。メフィストフェレスの名は「光を嫌う」というギリシャ語からなるが、彼が黒犬として登場したのは来るべき産業革命の予兆だと解釈されている。とすれば、『オーメン』の黒犬はすでに来てしまった高度管理社会の予兆ということになる。

 ローズマリーの赤ちゃんの姿は映画では私たちには披露されずじまいだったが、原作では金色の瞳、小さな角、そして尻尾を持った白人の赤子である。『オーメン』ではアンチキリストは黒犬を母としながらも白人の子供の姿で現れる。

英国大使と写真家キース・ジェニングズが暴くアンチキリストの母親の墓には山犬の骨が収められているが、これには狼に育てられたローマの建国者兄弟のエコーが感じられる。しかし映画の墓地チェルヴェットはローマ帝国以前、紀元前に栄えたエトルリアの墓地文明の遺産として有名だから、映画のアンチキリストはエトルリア人の宗教を担って登場したことになる。エトルリア人の宗教は、聖パウロらがキリスト教をローマの国教にまで育て上げてからは異端として排除された。エトルリア人は小アジアから移住してきたとされるが、彼らの言語はいかなる言語系統にも属していない点で、謎の民族とされている。 ローマはキリスト教を国教にしたが、バビロニアのバビロンと対比され続けた点で、異端の帝国とも見られていた。ヴァティカンは異端の帝国を監視すべく喉首に差しつけられた、キリスト教団側の短剣だったのだ。もっとも前述のように、宗教改革を起こしたマルティン・ルターは、他ならぬローマ教皇を反キリスト呼ばわりしたのだが。

 『オーメン』でブレナン神父が口にする預言は、以下の通りである。「ユダヤの民がシオンに戻るとき、彗星、空を裂き、神聖ローマ帝国興り、あなたと私は死ぬ。永遠の海より彼は立ち、両岸に軍勢をそろえ、人を相争わせ、人類を滅亡へと導く」。

 「ユダヤの民がシオンに戻るとき」の預言は、一九四八年のイスラエル建国、つまりユダヤ国家の再建ですでに実現している。この実現こそ、終末思想をめざめさせ、特にキリスト教右翼のテレビ説教師らが色めき立ってハルマゲドンの到来を口にしだした。

〔政界にアンチキリストが出現するという預言〕

 「神聖ローマ帝国」は写真家のキース・ジェニングズがECを指す説があるというが、これはハル・リンジーが超ベストセラー『今は亡き大いなる地球』(徳間書店より拙訳)の中で主張したことで、彼はアンチキリストの十本の角を当時のEC諸国を指すと書いている。黙示録には「永遠の海」という記述はないが、悪の都バビロンを象徴する「大淫婦」が座っている「多くの水」は、「さまざまの民族、群衆、国民、言葉の違う民」と解説されている。しかし映画では、写真家が「永遠の海」は政界と解釈されるといい、アンチキリストが政界に出現すると見る。従ってオーメン第三部にあたる『オーメン 最後の闘争』(81)では、アンチキリスト、デミアン・ソーンは合衆国大統領顧問として登場する(もっとも『オーメン』第一部では、ソーン大使が警官に射殺された後、デミアンは大統領の子供にすり替わっているのだが)。

 そしてブレナン神父の預言の最後は、いうまでもなくハルマゲドンの光景である。アンチキリストが合衆国大統領の顧問になれば、大統領に核戦争の赤いボタンを押させるのはわけもないことになるのだ。

 『オーメン2 ダミアン』(78)では、デミアンは義理の叔父(義父ロバート・ソーンの弟)に育てられ、『オーメン 最後の闘争』では義理の叔父から受け継いだ遺産を駆使して慈善活動を展開、同時に大統領の政治顧問としてほしいままに振る舞い、二年後には上院の議席を求めて立候補する気でいる。そして目下のところは、義父の職だった英国大使職と国連ユース会議議長職を同時に大統領からもぎとる。大使職の場合、現職大使を例の黒犬を使って催眠術にかけ、大使自身、記者たちが執務室のドアを開けたとたん、拳銃が発射される仕掛けを作って自殺するように仕向ける劇的な形で奪取するのだ。

 デミアンの右側頭部の髪の下には、6が三角に重なる形で666の刻印がついている。しかも彼は六月六日午前六時の生まれで、誕生まで666尽くしである。なぜかこの刻印は、駐英大使ロバート・ソーンに警告を告げるブレナン神父の右大腿部にもある。

 前述の偽予言者は、イエスの先触れ役バプテスマのヨハネのように、アンチキリストの先触れ役でもあるので、アンチキリストを信奉する者たちの額か右の手に、666と入れ墨か印をつけてやる。「そこでこの刻印のある者でなければ、物を買うことも売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である」(黙示録13─17)。ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語には数字がなく、文字が数字を代行したので、数字は逆に暗号に変わり、666をヘブライ語の文字に戻すと「ネロ皇帝」になるという解釈が一番人口に膾炙している。黙示録が書かれたのは紀元九五年ころ、ネロが自殺したのは紀元六八年だから、もはや暗号は必要なかったと思うのだが。

〔666は「自分を神と称する人間」を意味する〕

 なおリンジーによれば、6は聖書では人間を表し、3は神を指すので、「6を3つ重ねれば、自分を神と称する人間を表す数字になる」。

 リンジーはさらに、刻印がなければ「物を買うことも売ることもできない」状態にしたことを、偽予言者が世界の経済機構を支配し、666の刻印は国民総背番号制とクレジット・カードなどの暗証番号制度でオンライン化していく今日の趨勢を示しているとする。 666の刻印を押されたはずのデミアンの膨大な配下は、『オーメン 最後の闘争』(81)に姿を見せ、偽予言者はデミアンの腹心ディーンとして登場する。この映画では、再び人間の子宮が使われてキリストが再臨するのだが、なんとその子宮はディーンの妻のものなのだ。この再臨のキリストを赤子のうちに抹殺すべく、デミアンは怪しげな谷間に深夜666の刻印を持つはずの信奉者らを大動員し、自分はヘリコプターで飛来、赤子のキリストを殺さなければ自分も含めて全員が滅びると演説をぶつ。もっとも群衆の額をよくよく注視したが、666の刻印は見つからなかった。

 黒犬によるデミアンの受胎がエトルリアの墓地というのは辻褄が合うのだが、なぜ現代のアンチキリストがアメリカではなく英国を舞台に暗躍するのかが、合点がいき難い。アメリカではキリスト教右翼らが、終末思想の最初の敵、マゴグのゴグ、すなわち「悪の帝国」をソ連と見なしてきた。そのソ連が崩壊して以後、アンチキリストが出現、暗躍するのは現代のローマ帝国アメリカ合衆国以外にはありえないはずだ。

 しかも第一作の最後では、デミアンは親友ロバート・ソーンの葬儀に参列した合衆国大統領の子供にすり替わっていたではないか。ところが彼は、第二作ではロバートの弟の養子に戻されてしまう。合衆国大統領の子供がアンチキリストという設定のほうが段違いにスリリングだったはずなのに残念だった。

 むろん『オーメン』製作時点ではソ連は健在だったから、なおのことアンチキリストはソ連の影を背負ってアメリカに出現してしかるべきだった。しかしハルマゲドンで再臨のキリストが戦う「北の王」ゴグは、ハル・リンジーによればソ連東欧連合軍、彼らとともにイスラエルに侵攻する「南の王」はアラブ連合軍、彼らが壊滅した後、二億の大軍を率いてティグリス−ユーフラテス川に迫る「日の出る方角から来る王たち」が中国アジア連合軍、そして最後にEC諸国の列強を率いてイスラエルに侵攻してくるのがアンチキリストとなっている。『オーメン』ではアンチキリストストしか扱わないのだから、舞台はヨーロッパでなければならないことになる。それにしても、世界通貨ユーロを始動させたのは英国ではなく、ヨーロッパ大陸の諸勢力であり、映画の舞台は従って今日のユーロランドの政治首都ブリュッセルか、財政首都フランクフルトでなければならないはずだ。

〔「邪悪なる獣が二千と三十の昼夜に君臨」〕

 そのずれを三作目の製作者も感じたのか、聖書外伝のヘブロン書の以下の引用で英国を舞台にする口実を見つけた。引用はデミアン自身が、腹心のディーンに読み上げる。

 「時は流れる。邪悪なる獣が二千と三十の昼夜に君臨し、下僕たちは主にこう問うだろう。『何故邪悪なる時を許される』。声は主の耳に届き、天使の島より救済者が送られる。聖なる神の小羊が邪悪なる獣と戦い、獣を滅ぼすのだ」。

 「天使の島」の原語がインシュラ・アングロラムで、英国を表すと、デミアンはいうのだが、これでは彼は英国へ滅ぼされにいくようなものではないか。

 ともかくデミアンは三十二歳で英国大使職をもぎとる。「二千と三十の昼夜」というのは七年に相当し、これはアンチキリストの暗躍の日限だが、デミアンが義理の叔父の遺産を駆使し始め、この映画の最後で英国の有名な女性テレビ・キャスターに彼女の一人息子を悪魔の使徒に変え、死に至らしめたことの報復に刺殺されるまでの期間と合致する。

 ちなみにデミアンは、狐狩りの初参加者の頬に獲物の血を塗る習慣を使って、彼の暗殺に失敗した修道僧の血をテレビ・キャスターの息子に塗る形で悪魔の信徒にする。狐狩りという英国貴族のスポーツをこの場面で使うのは、非常に印象的だ。

 狐狩りは同時に、デミアン暗殺の場面にも使われる。暗殺用の短剣は、第一作でロバート・ソーンがイスラエルのメギドの遺跡(ハルマゲドンの現場。ハルマゲドンとは「メギドの丘」の意味)で預言者ブーゲンハーゲンから、アンチキリスト殺しの秘剣として受け取った、変形十字架の形をした短剣七本である。この短剣は、デミアンが義理の叔父の財力でシカゴの地下深く埋めたものを、第三作ではデミアンの暗殺をめざすイタリアのカトリック僧侶団が古美術商のルートをたぐって再発掘させたのである。

 アンチキリストは黒犬の子宮を借りてこの世に登場したが、『最後の闘争』では、前述のように、キリストの再臨が再び人間の女性の子宮を借りて実現する。しかもデミアンの腹心ディーンの妻の腹を借りて、キリストが再臨してくる。偽預言者の妻の子宮を使って御子キリストを再臨させるとは、デミアンの盲点を突いたやり方で、神もなかなか腕達者である。これはフロンジノーネ修道院のスピレトー神父を欺いてアンチキリストをロバート・ソーンの養子(ソーン夫人には実子と思わせた)に取り持たせたサタンのやり口に対する反撃でもあるのだ。

〔メギドの短剣を帯びた修道僧のアンチキリスト暗殺部隊〕

 人間界に神が送った再臨の合図はカシオペア星座の三星が直列する現象で、天文台がキャッチし、直ちにイタリアのスピアコ修道院のデ・パルコ神父に連絡が入る。ノストラダムスを初め、占星術が威力を持ったのは、神の預言は天界からくると信じられていたからだ。オウム真理教の麻原彰晃も、天文図に表れた星の動向を彼なりの予言に利用している。このデ・パルコ神父は、それと知らないうちに悪魔の手先にされ、実子をなくした(実際はサタンに殺された)ロバート・ソーンに事もあろうに赤子のアンチキリストを取り持った責任を痛感、アンチキリスト暗殺に邁進しながら失敗して果てたスピレトー神父の意思を継いで、六人の修道僧を選抜、七本の短剣を帯びて英国に飛ぶ。もっとも六人は惨めな形で返り討ちに合うのだが。

 デミアンも三星直列からキリスト再臨の日時を探知、その日に生まれた男児だけを腹心のディーンを使って抹殺させる。ディーンには無数の手先がいるので、幼児暗殺は着実に進行するが、むろん、これはイエス抹殺を企んで男児全員を殺害させたユダヤの王ヘロデの故事に倣っている。デミアンの狡智は神の狡智を見破り、ディーンに彼自身の赤子の殺害を命じ、背いた彼を黒犬の催眠術にかけられた妻バーバラに殺害させる。  ただ、キリスト再臨に脅え、屋根裏の十字架像に綿々と呪いを口にするデミアンは哀れで、第一、第二作に比べて彼の滅びと敗北が予定された第三作は気が抜ける。

 テレビキャスターのケイト・レノルズとデミアンのセックス場面は、『ローズマリーの赤ちゃん』の悪魔とヒロインのセックス場面よりはるかにリアルで、ケイトの背中には無数の愛咬の跡がつき、これはもう確実に妊娠を予感させるセックスであるだけに、彼女がデミアンの子を生むところから第四作が生まれるのかと期待したが、第四作の筋とは無縁で大いにがっかりした。ジェリー・ゴールドスミスの音楽も第一作より弱い。

 ユダヤ−キリスト教の終末思想については、拙著『<終末思想>はなぜ生まれてくるのか』(大和書房)と共著『新宗教時代5』(大蔵出版)所収の「カルトと終末思想」を参照されたいが、今回ホラー映画特集のアンチキリストものに関わってみて、現実の事件と映画の内容とが不即不離に入り交じる光景に慄然とした。それだけユダヤ−キリスト教圏における終末思想の浸透度の深さを改めて思い知らされる気がした。

〔終末思想の映画と現実における慄然たる混淆〕

 『ローズマリーの赤ちゃん』がユダヤ−キリスト教の終末思想を嘲笑う意図で製作されたのは間違いないが、自身サタンかアンチキリストとしかみえないチャールズ・マンスンがロマン・ポランスキーをサタンと見なし、部下を使嗾してポランスキーの子供を宿した女優シャロン・テイトを殺害させ、その腹部にフォークを突き刺したまま放置させ、アンチキリストを胎児のまま仕留めたことを明示したのは、映画と現実の慄然たる連鎖ぶりを示している。これはイスラム教を冒涜した咎で死刑宣告を受けたサルマン・ラシュディ、現実に殺害された日本人の翻訳者の不運を連想させる。私自身、オウム真理教問題たけなわの時期に、朝日新聞での鼎談でキリスト教右翼に言及すると、猛烈な非難の手紙が、アメリカの教団本部も含めて新聞社と私の勤務先に舞い込んだ。習志野に住む狂信的な牧師夫婦の手紙は特にひどく、日本のキリスト教徒の間でも「ファンダメンタルの人」と呼ばれて敬遠されていると、日本キリスト教団の関係者から聞いた。

 またハルマゲドンでアンチキリストが率いるのはEC諸国だとするハル・リンジーの恣意的な解釈が、『オーメン』でいかにも神秘めかして使われる。そして『オーメン』第一部ではロバート・ソーンはアンチキリストを、第三部ではデミアンが再臨のキリストを、それぞれ子供や赤子のうちに仕留めようと躍起になる。聖書を読むかぎり、再臨のキリストもアンチキリストも、成長した姿で登場することになっている。しかし両者を子供として登場させ、それぞれにナザリーン、デミアンの名を冠したオーメン・シリーズは卓抜なアイデアだった。デミアンの成長には時間がかかるが、ナザリーンなどは先日誕生した朱鷺の雛なみに急速に成長、『最後の闘争』の最後では成人になっている。

 映画と現実の連鎖の最も無残なエピソードは、一九九四年、スイスとカナダで起きた太陽寺院にまつわるものなので、やや詳しく披露しておきたい。  太陽寺院はカナダとスイスに跨がる宗教カルトだった。黒幕のジョセフ・ディ・マンブロ(六十九歳)は詐欺師的事業家として成功していたが、信徒を中流の上から上流に限定した教団を設立、多額の布施を取り立て、教団は裕福だった。彼は小さな旅行代理店社長で教団幹部のドミニク・ベラトン(三十六歳)に生ませた娘エマニュエルを、ドミニクが性交渉なしに生んだ「宇宙の子」と名づけた。処女懐胎の盗用だ。また、その子の神性を高めるべく両性具有と称していた。一説にはイエス・キリストも両性具有といわれ、聖霊は明確に性別がつかない。そしてゲイの権利獲得過程で復活してきた両性具有者への憧憬も入っているかもしれない。古代ギリシャ人は、両性具有者にハーマフロダイト(ヘルメス+アフロディーテ)という美しい名を与えた。

〔現実にカナダで起こった赤子の<アンチキリスト>殺し〕

 さて、ディ・マンブロは、ニッキー・ロビンスンという英国女性信徒を「宇宙の子」の乳母(ナニー)(ルビ)にした。ナニーは英国女性の専売特許で、養成学校もある(ジャックリン・ケネディも子供らに英国女性のナニーをつけた)。『オーメン』では、デミアンのナニーが黒犬の催眠術で首にロープをつけて大使公邸の屋上から飛び下り自殺するけれども、むろん彼女も英国人ナニーである。ディ・マンブロはニッキーがエマニュエルに触るときは汚れを防ぐべくビニールの手袋をつけさせた。私はオウム真理教の施設で、「コスモ・クリーナー」などに「尊師(麻原彰晃)が汚れを払ってくれたものだから部外者は触るな」という表示をよく見かけた。

 ニッキーは結婚していたトニー・デュトワと一緒に入信したが、教団に幻滅、九四年七月、カナダのモントリオール郊外へ逃れ、そこで男児を産み、クリストファ・エマニュエルと名づけた。「宇宙の子」と同名にしたことはもとより、クリストファとは「キリストを担う者」の意味だから、明らかに教団への挑戦である。激怒したディ・マンブロは、「彼らの赤子はアンチキリストだ。今のうちに殺しておかないと、われわれが死後いくべき天国、恒星シリウスへもいけなくなる」とわめき、八月に夫婦を召還した。しかしニッキーらは従わなかったので、情婦ドミニクと男性信徒の二人を「アンチキリスト処刑人」に選び、モントリオールへ派遣した。男性信徒は夫トニーを五十回刺して殺害したが、五十とはシリウスへ旅立つ信徒の数だった。ドミニクはニッキーを八回刺して殺したが、これは教団の掟の数だった。さらに喉を四回刺したが、これはあの世でも子供を産めなくするためである。そして乳房を一回ずつ刺したのは、ニッキーがアンチキリストに授乳したからだった。ついで刺客のどちらかが、赤子を六回刺した。赤子の体内には、二十余の損傷があったが、心臓を刺し貫くために包丁を捩じったためらしかった。儀式的暗殺を終えた二人はそのままスイスに舞い戻り、直ちに教団全体の集団自殺が行われたのである。

 映画のように、メギド発掘の短剣を用意できず、その辺の包丁で儀式殺人を強行せざるをえなかったのは、ディ・マンブロが集団自殺を急いでいたからである。余裕があれば、アーサー王の名剣エクスキャリヴァまで贋造させた彼のことだから、造作もないことだったろう。しかし彼が、デミアンに短剣を振り下ろす寸前に警官に射殺される『オーメン』のグレゴリー・ペックを念頭に浮かべていたことは間違いない。

 ちなみにロバート・ソーンは自分が信徒である監督派教会で子殺しを断行しようとするが、監督派は英国国教会のアメリカ側の呼称で、アメリカの上流階級の宗派だ。

 しかしマンスン同様、ディ・マンブロも、自分こそサタンかアンチキリストにしか見えない男だった。だから二人が、映画の英国大使ロバート・ソーンやデ・カルロ神父とその刺客修道僧らと同じ側に立っていることが奇異な気がするのだ。しかもデミアンは幼児の段階では殺害を免れ、三十二歳という、磔刑に処されたイエスとほぼ同年配で英国のテレビキャスターに刺殺されるのに対して、ポランスキーの子供はシャロン・テイトの胎内で、ニッキーとトニーの子供は赤子の段階で殺されたのである。現実が残虐さの点で映画を追い越したのだ。しかも映画と違って、これらは隠れもない犯罪行為なのである。

 麻原彰晃が下知した儀式殺人は、被害者を「ポアする」と称し、教団に敵対する強大なサタンという扱いをしなかったのは、日本人の精神風土にユダヤ−キリスト教の善悪二勢力の戦いの図式がほとんど浸透していないことの証拠なのだろう。高度管理社会の矛盾に悩む点では日本人も欧米人と同じなのだが、どうも今一つユダヤ−キリスト教のサタン観で矛盾とその解決を短絡させる呼吸が呑み込めないのかもしれない。

 だからこそ、逆に麻原彰晃のような、世界の終末思想をあちこちつまみ食いする教祖の口車に乗せられ易い土壌もあるといえる。翻訳文学の紹介者の口車に乗せられて、現代の苦悩を描く足しにしてきた日本の作家や彼らの読者たちを連想させる。海外文化の受入れと利用の仕方が、いろいろな分野で未熟さが競い合われている気がするのだ。
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