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映画3_12.『「アメリカ」と「非アメリカ」の狭間に生きて』

『「アメリカ」と「非アメリカ」の狭間に生きて』──マイノリティが映画で培養した<アメリカン・スピリット>

〔「アメリカの文化的前庭」ハリウッドの二面性〕

 例えばウィリアム・サローヤンの短編小説「笑いじょうごサム」には、語り手サローヤンらアルメニア系の少年を初め、イタリア系、ロシア系、ギリシャ系、そして主人公のサムというユダヤ系など、幾つかの非ワスプ民族集団に属する新聞売り子が登場する。彼らに新聞を渡すバズ・マーティンは、少年たちから「アメリカ人」と呼ばれている。時代は二十世紀初頭、場所はカリフォルニアのフレズノだ。少年たち、いや非ワスプ系全員の目から見て、「アメリカ人」とは「他の民族集団の連中が万事に切れるのに嫉妬して逆に連中を見下す、万事に切れない手合い」だった。バズ・マーティンは、例外的な「アメリカ人」で、少年らを公平に扱った。

 バズ・マーティンが何系かは書かれていないが、あるいは彼も非ワスプかもしれない。つまりこういうことだ。移民三世くらいになると、何系だろうと「アメリカ人」になりおわせる。サローヤンと同じアルメニア系の作家は、ディクラン・クユムジアンという氏名をマイケル・アーレンと英語名に変えた。彼は一世なのに早くも「アメリカ人」になりおわせたのだ。「アメリカ人」とは「生まれながらにして存在」するものというより、「後天的になりおわせるもの」という比率が高い。これはカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、英語圏の新世界、つまり移民国家に共通する特徴である。

 しかし「アメリカ人」になりおわせる者と、自己の民族集団に固執するという条件つきで「アメリカ人」になる者、つまり「何々系アメリカ人」になる者との間には、大きな開きがあった。マイケル・アーレンとウィリアム・サローヤンとの距離である。第二次大戦後しばらくまでは、前者の系譜が圧倒的潮流を形成していた。

 だが一九六〇年代にピークを迎えた公民権運動とカウンターカルチャーが、後者の系譜を急速に表面化させた。公民権運動は主に黒人主導で開始されたが、これが他の民族集団にも波及し、それまでは否定すべきものと見られてきた各自の民族性を、一挙に肯定し始めたのである。これは多民族社会アメリカのイデオロギー面での大地殻変動だった。

 ハリウッドは、前者と後者の系譜を培養するうえで決定的な役割を果たしてきた。ソニー、マツシタがハリウッドの映画会社を買収したとき(本誌拙稿「ハリウッドのユダヤ人と日本人」参照)、アメリカ人たちはこの二社を「わが国の文化的前庭に浸入してきた占領軍」と非難した。

 しかしハリウッドが「(アメリカ)の文化的前庭」という考え方には、二面性がある。周知のようにハリウッドはユダヤ系が創設したからだ。ソニーが買収したコロンビアの創立者ハリー・コーン、マツシタが買収したMCA(ユニヴァーサル)の創立者カール・レムルも、ユダヤ系だった。二十世紀フォックスのウィリアム・フォックス、MGMのルイス・B・メイヤー、ウォーナー・ブラザーズのハリー、アルバート、サム、ジャックのウォーナー兄弟(詳しくは『歴史読本ワールド』一九九一年五月号の拙稿『アメリカのトリ ックスターたち(1)──ハリウッドの映画王ウォーナー兄弟」参照)、巨大映画館チェーン、ローズ・インコーポレーションのマーカス・ロー、いずれもユダヤ系創立者だった。ユナイティッド・アーティスツはイギリス系のチャーリー・チャップリン他が創立し、パラマウントはやはりイギリス系のW・W・ホドキンスン、RKOはアイリッシュのジョーゼフ・P・ケネディ(ケネディ大統領の実父)が創立者だった。しかしそれらの機構を動かしていたのは、やはりユダヤ系だったのだ。ソニーやマツシタが買収した二社も、今後ともやはりユダヤ系によって運営されていくのは変わりないのである。

〔各民族集団を特殊な中間地点で妥協させるユダヤ系の天性〕

 初期の映画産業は、東部財界から浮き草稼業と見られていた。その映画産業の中でも、「特許会社」が成立、ユダヤ系はそれからさえ閉め出されていたので、仕方なく西海岸に避難してきたのである。「特許会社」を牛耳っていたのもワスプではなく、ジェレマイア・J・ケネディのようなアイリッシュだった。 ハリウッドに王国を築いた後ですら、例えばウォーナー兄弟は自分らの本拠の向かい側にあったロサンジェルス・カントリー・クラブへの入会を拒否された。ところが非ユダヤ系のウォーナー・ブラザーズ社員は、そのクラブへ入っていたのである。彼らがクラブにいるときは、兄弟はそこへいかせてもらえず、電話で連絡しあうしかなかった。

 従ってアメリカ人全般がハリウッドを「わが国の文化的前庭」と誇らしげに呼ぶようになるまでには、ユダヤ系が「おたがい相異なった人間同士を特殊な中間地点で妥協させることのできる天性」(アルフレッド・ケイズィン)を駆使して、「ハリウッド製のアメリカ人像」を開発、全米はもとより、全世界に配給し続ける蓄積的成果が必要だった。一九四八年のイスラエル建国までは、祖国喪失の悲哀を味わいつつ世界を放浪、ついにアメリカに避難してきたユダヤ人の経験が、相異なった異民族同士を「特殊な中間地点で妥協させる天性」を身につけさせていたのだ。ケイズィンはこの「中間地点」をニューヨークに指定しているが、ハリウッドこそその場所だったのではないか。

 この「中間地点」で作られた「アメリカ人像」は、「生粋のアメリカ人」の像ではなかった。いや、もともと「生粋のアメリカ人」などいはしなかったのだ。ヘンリー・フォードが自社の中に造った「英語坩堝学校卒業式」では、それぞれ母国の民族衣装をつけたフォード従業員らが一斉に、「坩堝」と書かれた釜の中へ行進しながら入っていき、しばらくしてぱりっとした背広に着替え、星条旗の小旗をふりながら再び舞台に登場してきた。「坩堝」、つまりアメリカが「中間地点」になったのである。アメリカではワスプが「おれたちは生粋のアメリカ人だ」などと肩肘はること自体が、滑稽なのだ。アメリカは全ての人種を「アメリカ人」に変える「中間地点」なのだから。従って「生粋のアメリカ人」は、『笑いじょうごサム』でサローヤンが書いているように、「他の民族集団の連中が万事に切れるのに嫉妬して逆に連中を見下す、万事に切れない手合い」ということになる。実体としてのアメリカ人は、「民族性を背負ったアメリカ人」で、彼らは自分の民族性と幻影としての「生粋のアメリカ人」の狭間で、抜け目なく「切れて」いるのである。

 だからハリウッドは、率先してその「変身の儀式」を演出してみせる必要があった。ユダヤ系の俳優たちが、アルメニア系作家ディクラン・クユムジアンが「アメリカ作家」マイケル・アーレンに変身したように、荒っぽい変身を遂げた。エマニュエル・ゴールデンバーグがエドワード・G・ロビンスンへ、デーヴィッド・ダニエル・カミルスキーがダニー・ケイへ、イズール・ダニエロヴィッチがカーク・ダグラスへ、バーニー・シュウォーツがトニー・カーティスへ、ドリス・カップルホッフがドリス・デイへ、ユダヤ系から「アメリカ人俳優」へと変身した。ユダヤ系の変身は、なにも「主流派アメリカ人」へばかりではない。彼らは同じマイノリティにも変身した。白人が黒人に変装するミンストレル・ショーの主役たちは、大半がユダヤ系だった。もっともこの変身は「ブラックフェース」と呼ばれ、公民権運動以来、黒人差別を助長するものとして、黒人側から激しい糾弾にさらされて芸能界から追放された。日本のサンリオが糾弾された『ちびくろサンボ』の事件はその延長で、二十年も前に追放された亡霊が、日本ではあっけらかんと登場したことは、日本という国における「文化多元主義」の不在ぶりをいかんなく世界に証明した。

〔「古きよき時代のアメリカ人」という正体不明の「アメリカ人」〕

 この変身儀式の結果造られた映画の主人公たちは、民族性不明の「アメリカ人」ばかりだった。いや、ワイアット・アープやドク・ホリデイはワスプだったが、前者を演じたヘンリー・フォンダはイタリア系だったし、後者を演じたカーク・ダグラスはロシア・ユダヤ系だった。いかに映画はあやかしの術とはいえ、そのことを長らく知らずにいた私たちにすれば、知ってからはすんなり映画に溶け込めなくなるのも仕方がない。民族性を曖昧にする長い伝統が、この違和感を生んだわけで、いっそ民族性を前面に押し出した作品を造れば、ワスプ俳優が非ワスプを演じても、違和感は減るだろう。

 先日死んだフランク・キャプラ監督は、シチリア系だったが、『スミス氏都へ行く』や『素晴らしき哉、人生』などは、シチリア系の「シ」の字も出てこない。主要登場人物の大半がワスプで、特に後者の作品の主人公ベイリーの家にいる黒人メイド以外、黒人がまるで登場しないことも、今日から見れば異様である。この映画は第二次大戦終結の年一九四六年の製作だ。私が四十回も見たジョン・フォード監督の映画『荒野の決闘』も確か同年の製作だが、インディアンは酔っぱらって拳銃をぶっぱなす暴漢として登場、フォンダのアープに叩き出された。

 『人生』では、ライオネル・バリモア扮する根性曲がりの金持ちポッターが、スラムの家主として登場するが、そこの住人たちも全て白人なのだ。ジミー・ステュワート扮する良心的建築業者ベイリーは、町の郊外に格安の分譲住宅(トラクト・ハウス)(ルビ)団地を開発、スラムの住人をポッターの魔手から救出する。この郊外分譲住宅ブームは一九五〇年代にピークに達し、都心住まいのワスプ、ケルト系、西欧系、北欧系の白人たちが郊外へ脱出、その跡へ「ホワイト・エスニック」と呼ばれた南欧、東欧系、黒人、ヒスパニックらが入り込んでくるのだ。年を重ねる毎に、スラムから郊外への脱出が続くが、要するにアメリカ社会へ「主流化」するとは、具体的にはまず都心スラム(「イナーシティ・ゲットー」という)定住、そこで金を貯めて郊外分譲住宅地へ移転することだった(本雑拙稿「アメリカを構成する主要民族集団」参照)。むろん郊外分譲住宅の開発業者がベイリーのように良心的で、スラムの家主がポッターのように非道と相場が決まっていたわけではない。しかし後者は今日でも、黒人たちマイノリティに対しても過酷な家主となり、さらにはスラムに日用品の店を開き、市価より高く売りつけている。

 白人の都心スラム脱出は、一律に黒人の流入におびえた結果と見られ、「白人逃亡(ホワイト・フライト)」と呼ばれたが、白人たちも郊外住宅が買えるまでは仕方なくスラムで黒人と共存していたのだ。また一九七〇年代からは、中流化した黒人やヒスパニックの郊外脱出が起こり、前者の場合「黒人逃亡(ブラック・フライト)(ルビ)」と呼ばれている。

 日本の高名な映画評論家が、キャプラが「古きよき時代のアメリカを描いた」と追悼談話で述べていたが、彼の年齢を考慮するにしても、かなりひどい時代錯誤ではあるまいか。それはワスプにとって「古きよき時代のアメリカ」だったのであり、非ワスプの一部にとっては「古き地獄時代のアメリカ」だった。だからこそ、彼の映画からは黒人その他のマイノリティが排除され、登場人物の民族性が完全に消去されているのだ。ベイリーもポッターも一応ワスプの名を持ってはいるものの、「古きよき時代のアメリカ人」という正体不明の存在なのである。

〔最初の民族性葛藤映画『ジャズ・シンガー』〕

 「中間地点」を魔術の種としてきたユダヤ系は当然、映画では自らの民族性を前面に押し出すことには慎重だった。例外はトーキー転換の口火を切ったウォーナー兄弟の『ジャズ・シンガー』(一九二七)で、これはユダヤ教のラビの息子が父親の反対を押し切ってジャズ歌手になる話だった。ジャズは黒人が生み出したもので、マイノリティ同士の連帯が「アメリカ化」に繋がる主題が早くも表れたわけだ。ともかくこの映画は、民族性の葛藤をえぐる映画の系譜を、それが本格化する四十年も前からスタートさせた異例の作品だった。文学は一九五〇年代に至ってやっと、「ユダヤ系アメリカ人作家」の隆盛時代がくる。これは民族的背景不明の「アメリカ人」を量産し続けてきたハリウッドに対する、ユダヤ系作家の民族意識の大爆発だった。そして同時に他の民族集団の読者の間にも、「『中間地点』で捨て去られずに残った民族性こそ、より現実的なアメリカ人像の薬味になっている」という認識が広がってきたためだ。これこそ公民権運動の成果で、「移民は『坩堝』で民族性を溶解させて『アメリカ人』になるのではない。民族性を保持しつつ、アメリカを自分の国として選びとり、クレイムし続けるのだ」という考え方が定着、今日の「文化多元主義」の基礎になった。「アメリカ・クレイム」については、本誌の拙稿「〔『ミス・サイゴン』の陥落〕事件」参照。

 『ジャズ・シンガー』は、六十三年後の一九八〇年ニール・ダイヤモンド主演で再制作された。最初の作品の主演アル・ジョルスンともども、ユダヤ系である。リメイク作品では、主人公ヤッスル・ラビノヴィッチ(ロシア・ユダヤ系)の友人に黒人ジャズマンのババがいて、彼の世話でヤッスルが黒人に扮し、黒人専用のクラブで歌い、ばれて大乱闘になるなど、モダナイズがなされている。もっともミンストレル・ショーでは、ユダヤ系俳優が「ブラックフェース」で黒人に扮する伝統があった。主人公がジャズ・シンガーとして「主流化」、つまり「アメリカナイズ」するときには、ジェス・ロビンと英語名に変える点は、前作と同じだ。五代続いたユダヤ教会の聖歌歌手である父親は、息子が父親の跡をつがず、ロサンジェルスで歌手デビューすることに当然反対である。印象的なのは、その息子が異教徒の女性マリー・ベル(ジェスにデビューの取り持ちをした)と結婚していることが分かったとき、父親が上着を裂いて、ヨーロッパ・ユダヤの言語イディッシュ語で「息子は死んだ!」と泣きながら叫び、よろめきながら去る場面である。上着を裂くのは、棄教など非常事態を目撃したときのユダヤ教徒がとるべき伝統的作法なのだ。

 冒頭に響きわたる『きょうアメリカへきた』(町山さん、正確なタイトルよろしく)は「アメリカ主流化」への宣戦布告だが、ジェスが父親に許しを乞うて歌うユダヤ教の聖歌『コル・ニードレ』は、自分の民族性への回帰を象徴する。それにしても、ユダヤ教徒がめでたいときに踊る「ナギラ・ハーバ」という歌詞で始まるダンス曲は、いつ聞いても陰鬱になる。本来明るいはずの祝歌が、生のリズムといわれる長調ではなく、死のリズムといわれる短調なのだ。黒人クラブでの乱闘で逮捕されたジェスをもらいさげにきた父親が、「ユダヤ人だと苦労も際限がないな(イッツ・ノット・タフ・イナフ・ビーイング・ア・ジュー)(ルビ)」という場面が、この短調のリズムと響きあうのである。 〔「非米性摘発」はなぜ起こるか?〕「非アメリカ」こそ「アメリカ」だと主張すること、つまり民族性を正面に押し出す動きに対しては、当然主流派民族集団が激しいヒステリーを起こした。その最たるものが、一九六〇年代の公民権運動に対するヒステリーだった。しかし移民の母国がアメリカに敵対したときも、主流派民族集団はヒステリーを起こしたのだ。対英独立戦争のときすら、ワスプ二世たちがワスプ一世(新移民)に対してヒステリーを起こしたのである。特に第二次大戦でナチス・ドイツとドイツ系、軍国主義日本と日系という図式が現実化すると、移民国家アメリカは国内に通敵分子を抱えて、激しい猜疑心にとらわれ、アメリカ国民としての「忠誠度」を厳しく審査した。日系、ドイツ系、イタリア系は、「忠誠度」を誇示すべく率先して戦線に赴いた。ドイツ系、イタリア系はヨーロッパ戦線に投入され、母国の軍隊を敵にまわして戦った。ドイツ系作家カート・ヴォネガットなどは、母国兵士と戦っただけでなく、ドレスデンで母国ドイツ軍隊の捕虜になっているとき、自国アメリカの空軍が主体となった連合軍のすさまじい空爆にさられたのである。特に激しい猜疑の対象とされた日系部隊は、ヨーロッパ戦線にしか送られなかった。しかしヴェトナム戦争、そして今回の湾岸戦争では、ふしぎとアジア系やアラブ系に「非米性」非難の矛先が向かなかった。一応は一九六〇年代に始動した「文化多元主義」の成果と見るべきだろう。

 ヒステリーの最たるものは、一九三八年に連邦下院に特別委員会として設置された「非米活動委員会HUAC」である。これは最初アメリカ国内のナチス分子摘発が目的だったが、後に「赤狩り」の牙城になった。「非米性」のポイントは共産主義だったが、実体は多数の民族集団が混在している状況からたちのぼってくる相互不信という亡霊だった。この亡霊にとりつかれ、HUACは一九四七年ハリウッドの「非米性」摘発に狂奔しだした(本誌拙稿「ハリウッドのユダヤ人と日本人」参照)。また一九五〇年代に入ると、ジョーゼフ・マッカーシー連邦上院議員(共和党)の「政府機能審査小委員会」が猛威をふるった。このため一九五〇年代のアメリカ男性はことごとく政治を回避した。文芸評論家すら政治抜きの文芸批評方式「ニュー・クリティシズム」を開発、「純粋な作品批評」の中へ緊急避難した。アメリカ男性も女性もひたすら、『素晴らしき哉、人生』に描かれた例の「郊外分譲住宅」に逼塞し、子造りに励んだ。これがベビーブーマー世代を生む原因になったのだ。一九四五〜六五年に生まれた世代は、実に七千五百万人に達し、彼らの一部がカウンターカルチャーを始動させるのだ。また友人知己の少ない郊外住宅に閉じ込められ、テレビの白痴番組を押しつけられ、ついにはノイローゼになった主婦たちは、精神分析医の厄介になり、これがアメリカ名物になった。しかし彼女らの中から、ウーマン・リブが起こってくるのだ。つまり「赤狩り」が「新左翼」と「ウーマン・リブ」を生んだ。これこそ歴史の皮肉である。

 ペレストロイカで共産主義の恐怖が消えたいまになって、「赤狩り」の映画『真実の瞬間(とき)(ルビ)』が作られたことに、私はとまどいを覚えている。むろん最大の被害を受けたハリウッドが、HUACに膝を屈した懺悔の念をこめてこれを世に送ったことは間違いないだろう。しかし『真実の瞬間』は、事件から実に四十余年をへているのだ。HUACの審査場面は、非公開、公開双方とも演劇的誇張があくどいが、悪名高い「非公開審理による密告強要策」を初めて見て印象的だった。「非米性」は幻想だから、ああいう密告強要によって「敵」を増やし、「非米性」を現実化するしかない。どの権力者も活用してきたやり口だが、HUACの委員やマッカーシーの場合まだ権力への途上にある輩で、「非米性摘発」が彼らの権力掌握の手段にすぎなかったことは、アメリカ、ひいては世界にとって幸いだった。彼らは十五年間荒れ狂ってから淘汰されていくのだ。『真実の瞬間』最後の公開審査場面では、主人公の映画監督が憲法第一修正条項を楯に密告証言を拒否する。後述する『ハドソン河のモスコー』や『アメリカ万歳』では、主流派民族集団が自分らの権益保持のために創出したアメリカ建国の理念を、非主流派民族集団が自分らの権益獲得の方便に利用する。『真実の瞬間』の主人公のモデルはエリア・カザンだといわれているから、単純には非主流派民族集団ユダヤ系による建国理念へのシエア要求ということになる。ユダヤ系にはハリウッドを駆使して、「生粋のアメリカ人」という実体のない幻影を大量生産してきた前科がある。しかしユダヤ系は同時に、トーキー最初のヒット作『ジャズ・シンガー』によって、今日の「民族性を背負ったアメリカ人」の基礎を築いてもいたのだ。「赤狩り」旋風は、ユダヤ系が全米、いや世界に拡散させた「生粋のアメリカ人」という幻影が、化け物となってハリウッドにはね返ってきた典型例だった。建前は「アカ」摘発だったが、本音はハリウッドに跳梁跋扈して「生粋のアメリカ人」像を生産、主流派民族集団の目を欺き、自らはその陰に隠れ潜むと見られたユダヤ系その他の非主流派民族集団退治だったのだろう。そう考えれば、ペレストロイカで最大の仮想敵が崩壊したいま、外にはアラブと日本を、内には「文化多元主義」を楯にとる非主流派民族集団を、それぞれ新たな「非米的仮想敵」に擬するアメリカ保守層の動きを、「ユダヤ系ハリウッド」が敏感にキャッチしたから、『真実の瞬間』が製作されたともいえる。監督のアーウィン・ウィンクラーによれば、この製作に対してハリウッドは諸手をあげて賛同したという。

〔フリーダム・ライドから二十四年をへて製作された『ミシシッピ・バーニング』〕

 民族性を正面に押し出す努力は、公民権運動の中核的な戦略だった。キャプラ作品に描かれた正体不明の「生粋のアメリカ人」を越えて、「民族性を背負ってアメリカ人」となるべく努力している「進行形のアメリカ人」を描けるようになるための陣痛は、『ミシシッピ・バーニング』の主題になった。これは一九六四年、南部のバス座席差別その他を打破すべく「フリーダム・ライド」を敢行した「学生非暴力協力委員会SNCC」などの学生のうち、二名のユダヤ系学生と黒人学生一名が、ミシシッピ州フィラデルフィアの郊外で死体となって発見された事件を描いている。作品は事件から二十四年を経て、ワスプの(要チェック)アラン・パーカー監督によって製作された。ただしこの映画には、南部の差別の分厚い壁を打通したSNCC(スニック)(ルビ)や「人種平等会議CORE」などの活動家らは登場せず、白人暴徒への報復はジーン・ハックマン扮する南部の元シェリフ、アンダースンによってなされる。このためにこの映画は、各方面から非難をあびた。重大な事実誤認は、人種差別主義者には情け無用と決断したアンダースンが、黒人FBI捜査官まで動員して暴徒を脅しあげる場面である。当時FBIには、黒人職員は二名しか雇用されておらず、しかも彼らは運転手とメイドだった。黒人捜査官は存在していなかったのだ。いずれにしても、KKKによる黒人学生虐殺シーンなど、酸鼻を極める描写は迫真的だが、パーカー監督がSNCCの学生たちではなく、ハックマンを主役にしたのは、黒人活動家を主人公にすれば客を呼べないという単純な事実によるものだったのかもしれない。それでも映画は、事件現場フィラデルフィア唯一の映画館では上映されなかった。またミシシッピ州の現職知事は、ワシントンのPR会社を雇ってこの映画による同州のイメージ・ダウン防衛の挙に出た。特に白人として公民権運動の先頭に立ち、幾度も逮捕投獄されたエド・キング牧師(現在ミシシッピ大学社会学助教授兼務)は、南部官憲によって足鎖で重労働に駆り立てられ、その際KKKによって顔を傷つけられただけに、この映画に不満である。「目的は手段を選ばないというこの映画の主題は、私たちが命を的に闘った公民権運動に唾をかけるものだ。またミシシッピの白人全てが人種差別主義者として描かれているのも納得いかない。南部白人にも良心の芽がなければ、南部が過去二十五年になしとげてきた地殻変動的大変革は起こらなかったはずです」。

 ともかくアメリカ社会は、こうして一九六〇年代に民族性抹消から民族性回復への陣痛を通過した。それ以後のアメリカ社会では、各民族集団の母国文化や母国語を尊重し、同時に各民族集団の「社会主流化(メインストリーミング)(ルビ)」を図る「文化多元主義」が、社会全体にわたって実践されてきた。何よりもユダヤ系自身、一九四八年にイスラエルが建国されて以来、徐々に「中間的天性」を放棄していった。彼らもまた、他の民族集団以上に自分らの民族性を強調しだしたのである。映画もその過程で、(1)移民(アメリカを自国として選び、クレイムすること)、(2)共存、(3)民族性固執(共存拒否)、(4)アメリカナイゼーションなどの主題を描く作品を大量に生産し始めた。

〔「おやすみなさい、マイ・アメリカン・ファミリー」〕

 (1)の主題を描いた傑作には、『ボーン・イン・イーストL.A.』と『ハドソン河のモスコー』がある。何よりもアメリカ人になるためには、アメリカへやっこないと話にならない。その意味で「移民」は最もアメリカ的主題だといえる。

 『ボーン・イン・イーストL.A.』は、祖父の代からアメリカ市民である主人公ルディ・ロブレス(チーチ・マリン主演)が、不法入国者(モヤードス)(ルビ)狩りで間違われ、スペイン語もできないのにメキシコへ「強制送還」されて、「祖国」アメリカへ戻るべく辛酸をなめる姿を、痛烈な皮肉とともにとことんコミカルに描いたものである。これは「アメリカ人になる」ことの困難さと不安定さを如実に捉えている。何世代アメリカ人であっても、安心できないのだ。日系は二世、場合によっては三世まで市民権を剥奪され、財産を奪われて、収容所へ閉じ込められた。私自身一九八二年、エルパソで国境のリオグランデ川近くをうろついていると、中年の白人男性から「何人(なにじん)(ルビ)か?」と訊かれ、「ウェットバックと間違われるぞ」と注意された。むろん旅券を所持していたから、ルディのような芽には逢わなかっただろうが、思わず車のほうへ足早にひき返したものだ。ウェットバックとは、モヤードスのことである。

 この映画では、エルパソではなく、カリフォルニア最南端チュラ・ビスタと向かい合うメキシコ都市ティファナが舞台になっている。当然、強制送還されるバスの内部、モヤードスたちの恐怖の的である「移民帰化局(ラ・ミグラ)(ルビ)」の様子、「コヨーテ」と呼ばれる越境手伝い屋たちの生態が、詳細に描かれている。ルディがコヨーテのボス、ジミー(アメリカから逃亡してきた白人。町山さん、俳優名は?)に越境費用を払うため、英語はおろかスペイン語もできないインディアンや中国系の若者たちに、アメリカ国内に入ってから警官をけむに巻く方法を教えるシーン、首尾よくルディとロサンジェルスに入った彼らが教わった方法を実行して窮地を逃れる場面には、抱腹絶倒した。さらにルディがドイツ人観光客相手に歌う『ロザムンダ』は、彼が軍隊でドイツに駐屯していたとき覚えたといっているが、実は「テックス=メックス」ではないのか(本誌拙稿「アメリカを構成する主要民族集団」参照)。私はエルパソと対岸の都市シウダド・フアレスは二回いったが、まだティファナへはいっていないので、今度はぜひいってみたい。

 『ハドソン川のモスコー』は、ソ連のサーカス楽団のサックス奏者、ユダヤ系のウラジーミル・イワノフ(ロビン・ウィリアムズ主演)がニューヨーク公演を機会に亡命する話である。作品の出来ばえは相当なもので、ソ連の沈滞した生活の雰囲気とニューヨークの活力との対比がよく出ている。ニューヨークのブルーミンデイル百貨店での亡命劇は、ほどのよい喜劇性がリアリティを高めて秀逸である。ウラジーミルは黒人の警備員ライオネル・ウィザスプーンに助けられ、ハーレムにある彼の家に匿われる。ウラジーミルが黒人のウィザスプーン一家に、「おやすみなさい、マイ・アメリカン・ファミリー」と呼びかける箇所は、思わず目頭が熱くなった。日本人家族も最近の状況では亡命者からこう呼びかけられてもおかしくないはずなのに、日本ではこのシーンは考えられない。日本人は自分の家へ亡命者を迎えたりしないからだ。

 ウラジーミルはモスクワ時代から黒人音楽に憧れ、特に『A列車で行こう』が好きで、「黒人は美しい」と思い続けてきた。コメディアンだった祖父は、共産政権下でも可能なかぎり自由人として生きてきた点で、ウラジーミルには「アメリカ黒人」と重なる存在だった。最も不自由だった黒人が、彼においてはアメリカそのものに見えていたのだ。その彼が「マイ・アメリカン・ファミリー」と呼びかけた笑顔は、ロビン・ウィリアムズの最高の演技の一つだった。また亡命後に祖父の訃報を聞いた彼が、『A列車で行こう』を捧げる場面も、モスクワとニューヨークの対比を甦らせて秀逸だった。そして憧れてきた黒人演奏家の前でサックスを吹いて、自分に幻滅、相手(要チェック)から「黒人のソウルが二、三か月で身につくと思うか」と訊き返されてしょげ返る場面もよかった。

 ウラジーミルの弁護士オーランド・ラミレスはカストロに追われ、マイアミまでゴム・ボートで辿り着いたキューバ系で、同じ亡命者である。新しいアメリカの恋人はイタリア系だし、ニュースキャスターには中国系女性が登場する。市民権取得前のロシア人でなくなることへの葛藤とアメリカ的欺瞞性への幻滅、それを越えて市民権取得のため「独立宣言」を暗唱するウラジーミルの姿には、「移民」の原像がすけてみえる気がした。

〔非主流派の子弟にアメリカを演じる訓練を提供する芸能高校〕

 (2)の「共存」の主題は、ウラジーミルが何年も後に、あるいは彼の子供らが遭遇する問題で、「移民」よりはるかに複雑かつ深刻である。この主題は、各民族集団が共通の目的の下に共存する様子を描いた作品(『フェーム』、『グローリー』、『アニマル・ハウス』)、異民族集団同士の通婚を主題にした作品(『追憶』、『ジャングル・フィーヴァー』)、通婚の結果生まれた混血児と異民族集団の親との関係を描いた作品(『ハロー、ダディ』)など多様な展開を見せている。

 『フェーム』は、ニューヨーク、ブロードウエイのすぐそばに実在する「芸能人養成ハイスクール(略称PA)」が舞台である。もっとも撮影には別の学校が使われている。それにしてもこういう公立学校が登場するのは、いかにも「実験国家」アメリカらしい。主役の八名の少年少女たちは、プエルトリコ系、ユダヤ系二名、黒人二名、黒人とヒスパニックの混血、イタリア系、アイリッシュなど多様な民族集団の出身である。いずれも一、二の例外を除いて極めて貧しい家の子供らだ。その彼らにとっては、芸能界に乗り出すことが彼らの「社会主流化」なのである。ブロードウエイはすぐそばなのだ。この八名を演じた若者たちの中にも、PA出身者がいる。

 八名がたがいに肌の色を越えてカップルになりあう姿は、「共存」を地でいくものだ。そして彼らが耐え抜く厳しいレッスンは、将来「アメリカ」を演じるための訓練である。四年間の在学期間を終えての「卒業公演」は、各部門の生徒が一堂に会する一大オーケストラになる。PAこそ「アメリカ化のマシーン」であり、卒業公演は生徒らが生涯にわたって演じ続ける「アメリカン・オーケストラ」の皮切りであり、ひいては全米で展開されつつある「民族性に依拠したアメリカナイゼーション」の象徴になっている。

 『グローリー』は、合衆国史上初の黒人部隊が南北戦争で全滅するまでを描いたものだ。この黒人たちは、「共存」への約束を信じて志願したが、その遺思は百年後にようやく実を結び始めるのである。

 『アニマル・ハウス』は、ある大学でワスプ・西欧系友愛会(フラターニティ)(ルビ)と東欧系友愛会の対立を描いた喜劇だ。あのジョン・ベルーシ(アルバニア系)は、ポーランド系に扮して大活躍する。これは「共存」より「対決」だが、差別される東欧系の大学側の圧迫をはね返す活力こそ、本格的共存の前提条件なのである。

 『追憶』はユダヤ系女性とアイリッシュ男性(町山さん、レッドフォードの役名「ハヴル・ガードナー」はイギリス名ではないかと心配。「アイリッシュ」との言及は映画では気づかず。解説をお調べ下さい。よろしく)、目下めざましく台頭中の黒人製作映画の代表格、スパイク・リー監督の『ジャングル・フィーヴァー』は黒人男性とイタリア系女性との、人種横断的恋愛が主題である。これは最も微妙かつ危険な「共存」関係であり、今後とも、最もアメリカ的な主題として追求され続けるだろう。特に後者の場合、あの「陣痛期」一九六〇年代に、スタンリー・クレーマー監督が『招かれざる客』でこの主題を扱い、KKKなどの猛烈な反発に逢った。

 一九九〇年時点で全米の黒人・白人の夫婦数は、二十一万一千組、つまり千組に四組の比率だという。リー監督のこの作品では、黒人男性が「ハーレム出身の設計士」という典型的な黒人新中流層に設定され、イタリア系女性は彼の秘書である。元来男性中心社会では、強い民族集団の男性が弱い民族集団の女性をほしいままにした。黒人奴隷制の長期化は、黒人の労働力の必要性の他に、白人男性による黒人女性強姦が法的に糾弾されない便利さも大きな原因だった。従ってこの主題は、そういう陰湿な次元から掘り起こされなければ、きれいごとに終わる。リー監督はむろん、そこから掘り起こしにかかっている。そしてこれは黒人監督にしかやれないことなのだ。主役の黒人男性が「設計士」であることは、「文化多元主義的アメリカ」における「人種横断カップル」という最も深刻な領域への「カルチャー培養と設計」を、勇敢な黒人有識者が敢行できるという意気込みが感じられる。

 黒人と白人の人種横断恋愛の結果生まれた混血児の運命は、従来過酷だった。兄弟同士ではっきり黒人と白人に分かれたときは、過酷さは一層痛烈になった。黒人作家(町山さん、後で入れます)の短編小説『パシング』は、「白人」として生きる(パシングという)べく母親や弟妹と分かれた主人公が、街頭で彼らとすれ違ったとき、無視せざるをえなくて、その後母親に送った苦渋に満ちた弁解の手紙の形をとっている。『ハロー、ダディ』は、ユダヤ系の氏名をワスプ風に改名、ワスプの大実業家に見込まれ、相手の娘と政略結婚した男性と、彼がかつて愛した黒人女性との間にできた肌の黒い息子との反発と和解の悲喜劇である。父親が最後に一切を投げうち、息子と暮らす結末、息子が父親と同じ名門大学、しかも医学部に奨学金がもらえるほどの秀才と判明するなど、どうかなと思うところもあるが、この深刻な主題がこういう軽妙なタッチで描かれる時代に、アメリカはついに到達したのだという感慨が背景になって、私としては感銘を受けた映画だった。

〔ワスプのために掲げた理念が全ての民族集団からクレイムされている〕

 「アメリカは有名な独立宣言を初め、数々の偉大な理念を掲げながら、その理念を一部の主流派民族集団だけに享受させた」、こう非難する傾向はつとに一般化している。しかしアメリカは、特に南北戦争や公民権運動によって、その理念を徐々に他の非主流派民族集団にも拡大してきた。つまり本当に全ての民族集団に公平にパイを分けようとし始めたのだ。その結果、現在のアメリカは金詰まりになった。一部のアメリカ人は昔から、「なんで『建国の父』どもは、あんなとほうもない『理念』をぶっ建てやがったんだ」とぼやき続けてきた。アメリカは湾岸戦争の戦費を日本に要求したが、本当は「文化多元主義政策」にかかる膨大な費用を、日本に請求したいのだ。アメリカを自国の莫大な消費市場と化している日本企業、それを指導する日本政府としては、この要求をすでにひしひしと感じている。昨今では日本の外務省が、急速にアメリカのマイノリティ民族集団のデータ収拾に乗り出し、日本企業がマイノリティ雇用に応分の犠牲を払うほぞを固めつつある。私のところにも、インディアン居留地に日系企業の工場を建てる妥当性の調査について打針がきている。

 私も「建国の父」たちの「理念好き」は一面ふしぎな気もする。それが後世、手枷足枷となって子孫たちをがんじがらめにすることになるのだ。しかし彼らは、母国イギリスの階級社会で中産階級に憧れ続け、新天地でしかその憧れを実現できないと覚悟して、全員が中流化すべくアメリカに渡ったのだ。だからあれは「理念」ではなく、「公平な欲望充足の申合せ」だったと、私は考えている。とりあえずあのとき居あわせた民族集団だけで、公平にパイを分かつ申合せを取り決めたのが、独立宣言や合衆国憲法なのだ。私は世界各国の憲法には暗いが、合衆国憲法に「修正条項」がやたら多いのは、常日頃気になってはいる。移民国家では、いつどんな民族集団が入ってくるか分からない。万事はその時点時点で「とりあえず」申合せするしかないのだ。それが修正条項の多さの原因である。

 『ハドソン河のモスコー』では、主人公ウラジーミルが市民権獲得のため独立宣言を暗唱する場面が出てくるが、この場面は右の文脈で見なければならない。同時にあれは、ウラジーミルにとっては「ソ連からの独立宣言」でもあるのだ。『アメリカ万歳』という喜劇では、しがない「カクテル・ウエイトレス」が、ひょんなことからペルシャ湾岸の「石油小国」の首長を暗殺から救い、一挙に時のヒロインになる。ところがこの首長国に軍事基地を築きたい時の合衆国政権は、彼女を首長の何番目かの妻にしようと当人に内緒で密かに画策、最後に騙されたと知った彼女が独立宣言の趣旨を楯に政権を操作する者たちの不正を暴く。彼女の反抗の拠点は、勤め先のクラブで、ここにはあらゆる人種(日本人までいる)、ゲイ、暴走族などが屯しており、首長をここへ案内した彼女は全員で乱痴気騒ぎをくり広げる。これは『フェーム』の卒業公演を卑俗化した、非主流派の狂宴なのだ。またこのクラブVS合衆国政権の対立図式は、『アニマル・ハウス』の東欧系友愛会VS大学当局及びワスプ・西欧系友愛会の対立図式に照応している。いずれも一九六〇年代の公民権運動やカウンターカルチャー爆発までは下積みだった者たち、つまり新しい「文化多元的アメリカ」を代表する者たちが、旧来のアメリカ、つまり例の高名な映画評論家流にいえば「古きよき時代のアメリカ」に固執する手合いをこてんぱんにやっつける図式である。そして『アメリカ万歳』のヒロインは、中東の上流女性を案内して、合衆国独立宣言のオリジナルを読むのだ。この瞬間、かつてはワスプの中流化を保障する申合せにすぎなかったものが、一挙にあらゆる民族集団、そして彼女と中東上流夫人らも属する世界の女性たちにも、公平なパイの配分を保障する宣言に変貌するのである。

 このヒロインのように「無知な女」が、主に多数の民族集団が共存する軍隊生活とユダヤ系の男性との交渉を通してアメリカが保障した自分の権利にめざめていく主題は、『プライヴェート・ベンジャミン』にも見られる。

 『ロッキーIV』では、イタリア系のロッキーと黒人ボクサーの友情は実に浅薄で、黒人監督なら到底こんな描き方はがまんならないだろう。黒人歌手ジェームズ・ブラウンが『ウィア・リヴィング・イン・アメリカ』を歌っているが、感動はまるでない。ここには白人側がご都合主義で提示する「偽の共存」がある。その典型例としては一見の価値があるだろう。この映画の偽物ぶりは、さらに黒人ボクサーの仇を打つべくモスクワに乗り込んだロッキーが、なんとゴルバチョフの代わりにペレストロイカを始動させ、ソ連書記長や首相まで拍手を送るというばかさかげんも極まれりという結末で一層徹底される。アメリカの理念のソ連への拡大は、昨今の状況を予測した形になったが、娯楽作品にも一片の真実がなければどうしようもない。スタローンが最近どういう映画を作るか悩んでいるということだが、そのニュースだけに期待を繋ごう。
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