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映画3_6.<アメリカのマイノリティたちを描いた映画>「アエラムック」

 マイノリティという言葉は、かつては「非WASP」総体を指していた。しかし白人の非WASPが主流化、ユダヤ系や「ホワイト・エスニック」(主にカトリックと正教徒)と呼ばれだすと、マイノリティは有色人種(アフリカ系、ヒスパニック、アジア太平洋系)を指す言葉に変わった。

 字数の関係で、ここではマイノリティを今日的な意味に限定する。

 私は学生に多民族社会アメリカのダイナミズムを俯瞰してもらうためには、まず『遙かなる大地へ』(九二)の最後のクライマックスを見せることにしている。アメリカ最後のフロンティア争奪戦、一八九○年代のオクラホマ・ランド・ラッシュである。インディアンから強奪した土地を区画、白人入植者の群れをスタートラインに並ばせ、号砲(文字通り大砲)一発、一斉にお目当ての区画へと「ラッシュ」させる。当然バッティングが起こり、殺し合う。ラッシュの後には、累々たる馬の死骸、決闘で殺されたり負傷した者、ぶ っ壊れた馬車などが散乱していた。

 スタートラインは同じだが、結果は不平等──これがアメリカン・デモクラシーの神髄である。しかし、有色人種はインディアンも含めて、スタートラインから閉め出された。公民権運動は、有色人種、女性、障害者、ゲイらが、「このスタートラインにわれわれも並ばせろ」と要求する運動だった。その成果は、主にアファーマティヴ・アクションという、彼らの進学・雇用・昇格・ビジネス契約面での優遇措置によって実体化した。

 次に学生にみせる映画は、その成果を描いた『希望の街』(九一)である。舞台はシンシナチを想定した架空の都市だが、すでにアフリカ系市長が登場、今は引退している。都心スラムに集中したアフリカ系やヒスパニックは、早くも一九六○年代から全米の大都市で市長を当選させてきたのだ。また、映画にはアフリカ系の大学教授、ヒスパニックの教育委員も登場、両民族集団の中流化ぶりが示される。しかし同胞の多くはスラムにいるので、二人はそこの子供らの教育予算獲得をめざして増税案を出すが、WASPや非WASPの委員らから否決される。現在の市長はアイルランド系で、彼に仕えてきたのがイタリア系の秘書、建築業者である彼の兄もアイルランド系の金持ちの子分だった。イタリア系は、同じカトリックの誼で英語の達者なアイルランド系に引き立てられてきたのだ。こんな具合に、この映画ほど、今日の多民族社会アメリカを的確に描いた作品は少ない。

 さて、二十一世紀半ばには、アメリカ人四人に一人がヒスパニックになると言われている。なぜか? カトリックの彼らは子だくさんだし、慢性的な経済不況の中南米から続々と「エル・ノルテ(北部)」、つまりアメリカ合衆国へ、合法・非合法で入国してくるからである。映画としては、『ミ・ファミーリア』(九五)、『ボーン・イン・イーストLA』(八七)などである。前者は家族のサーガ、後者は喜劇として、不法入国を描く。

 メキシコ国境からは、ドラッグも入ってくる。ドラッグだけが中南米の最優秀輸出品なのだ。軍隊すらギャングの向こうを張って、農民にコカを栽培させ、ドラッグ取引に関与する。警察はギャングに買収されている。メキシコの麻薬担当刑事の苦闘を描いた『トラフィック』(○○)は、「南北問題」の縮図である。

 貧しい間、全ての民族集団の中にはギャングとして同胞から金を脅し取って一種の民族資本を蓄積する輩がいる。イタリア系のマフィアがその典型だったが、ヒスパニックのマフィア「ラ・エメ」は『アメリカン・ミー』(九二)、『ブラッド・イン、ブラッド・アウト』(九三)、アフリカ系の若者ギャングは『カラーズ』(八八)、『ボーイズ・ン・ザ・フッド』(九一)などに描かれる。

 逆に献身的な教師のおかげで若者ギャングから立ち直って、全米一むつかしい微積分テストに合格者を輩出したイーストLAの高校生たちの感動的な物語『落ちこぼれの天使たち』(八八)もある。これは実話で、この教師ハイメ・エスカランテには私も会い、伝記を翻訳したが、何と彼自身、ボリヴィアでは若者ギャングだったのである。

 さて、差別という微妙な問題は、深刻な悲劇として描くと、重すぎて誰も見ようとしない。そこで喜劇で描くとヒットする。その典型が『ハロー、ダディ』(??)だった。あるユダヤ系の男性がWASP名に変名、WASP財閥の令嬢と結婚、出世街道を歩んでいる。その彼の許へ、学生運動時代の恋人だったアフリカ系女子学生との間に生まれた息子と名乗るアフリカ系の青年が登場する。いかにも深刻な状況設定だが、これがもう大笑いの喜劇なのだ。差別を喜劇として描く、日本での相似物は、やっと一九九○年代に登場し 『月はどっちに出ている』(??)である。

 デンジル・ワシントンは、実に多様な役どころを演じてきたが、悪役だけはまだだった。差別されてきたアフリカ系に悪役を演じさせるのは具合が悪かったからだ。アフリカ系は優秀で、カッコよくないと、差別していると受け取られる。『トレーニング・デイ』(○一)で、ワシントンは初めて悪徳警部を演じた。それだけ、アフリカ系の主流化が進み、悪役をやらせてもアフリカ系観客から差別だという声が上がらなくなってきたのだ。

 アフリカ系の映画人らは、ハリウッドで評価される前は、自分たちが見るための映画を自分たちの手で制作してきた。スパイク・リーらも、アフリカ系専用映画の伝統から育ってきた。これらの映画では、同胞を悪役やトリックスターとして喜劇的に描くのは当たり前だった。その傑作の一つが、メルビン・ヴァン・ピーブルズ制作・監督・主演の『スィートスィートバック』(七一)である。ところがハリウッドではこの伝統が隠され、優秀でカッコいいアフリカ系だけが活躍する映画に豹変してしまったのだ。だめなアフリカ系を描くと差別と受け取られるという恐れが、ハリウッド側に生じたからである。

 差別をアフリカ系など具体的な民族集団を通してではなく、抽象的に描くのも、ハリウッドの差別糾弾回避策だった。人間との共存に苦しむ異星人をマイノリティとして描いた『エイリアン・ネーション』(八八)は、このジャンルの典型だった。SF映画では、自在に異星人を活躍させ、差別にさらさせることができるので、ひとつの便法だった。

 同時に、善悪とりどりの異星人が登場、「異星間共和国連邦」を形成する『スターウォーズ』は、国際連合を中心に世界のあらゆる人種が一堂に集う現実の光景の反映だった。逆に、連邦議会を乗っ取り、「悪の帝国」に変えていこうとするパルパティーン(後のダース・シディアス)一味は、白人中心の世界観を象徴しているかもしれない。

 白人側の回心を描くのは、『アメリカン・ヒストリーX』(??)である。敬愛していた消防士の父親から刷り込まれた差別観ゆえに、KKKになった白人青年が、刑務所でアフリカ系受刑者に助けられて目覚めるのだが、時すでに遅く、高校でアフリカ系教師から出された課題として映画の題名のレポートを書くことによってすでに父親が差別観の元凶だと気づいていた青年の弟はアフリカ系の同級生に射殺された。この「X」は、アメリカ史の呪いだが、同時に救いでもある。

 白人の回心が喜劇として描かれた典型は、『ミスター・ソウルマン』(八六)だ。前述のアファーマティヴ・アクションを利用、薬品で肌を黒く染めてアフリカ系学生のための奨学金を受けた白人学生が、本来その奨学金を受けてしかるべきだったアフリカ系女子学生と恋仲になって、懲罰覚悟で事実を大学当局に告白したのである。これも『ハロー、ダディ』の系譜の一変形である。

 『チョコレート』(○一)では、ポーランド系男性(前述のホワイト・エスニックで、彼らもまた差別されてきた)とアフリカ系女性の関係を描いたが、差別がより多く(白人)男性支配社会に淵源する以上、アフリカ系男性と白人女性の関わりを掘り下げることが肝要である。その意味で、『招かれざる客』(六七)から『ジャングル・フィーヴァ』(九一)に至るマイノリティ男性と白人女性の関係を描いた映画の系譜は、O・J・シンプスンが起こした現実の白人女性殺しともどももっと掘り下げられなければならない。奴隷制時代の南部では、自分らの受けてきた差別をアフリカ系が受けてきた差別と重ね合わせる白人女性らの日記が多数残されている。

 『アイ・アム・サム』(○一)では、障害者の聖性が描かれる。しかし、現実の障害者らは、自分たちが聖者として描かれることに激しい違和感を覚えるだろう。主人公が懸命にスターバックスのウェイター役を務めるのも、人間社会が「一人前」の基準を自分にまで拡大してくれることを願えばこそだ。

 にもかかわらず、私たちには苦労もなくやれる事柄にあれだけの苦労をしなければならない姿には、思わず襟を正させるものがある。「障害者」という保護者意識丸出しの言葉と「聖者」という祭り上げてしまう言葉、この全く異質な二語の間にこそ、この主人公の真実があるのだ。

 以上、差別の現実のパターンは実に多様である。これらの映画は、いずれもそれらのパターンを、単なる映画の筋立てとしてではなく、現実世界のものとして作中に投影しているのである。

〔3本〕

──『荒野の決闘』(原題『マイ・ダーリン・クレメンタイン』。ビデオなどなかった高校から大学時代、クレメンタイン・カーター役のキャシー・ダウンズに行かれ、合計40回見た。おかげで英語が上達した)、『リオグランデの砦』(『子鹿物語』の子役から青年に成長したクロード・ジャーマン二世に行かれ、20数回見た。あんな美声年になりたかった!)、『落ちこぼれの天使たち』または『ミ・ファミーリャ』(ヒスパニック映画はそれはもうシンパティコ!)。

〔プロフィール〕

──明治大学教授。1936年。今治市(愛媛県)。広島大学大学院文学研究科博士課程。主著『アメリカ「60年代」への旅』『カリフォルニアの黄金』(以上、朝日選書)『ワスプ(WASP)』(中公新書)『幻想の郊外──反都市論』(青土社)。近刊『ケネディとブッシュ』(仮題。朝日選書)『日米関係の人物史』(仮題。中公新書ラクレ)。
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