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映画3_7.おれの中のルリツグミとおれ『ブコースキー』

 有名な無頼派作家の記録映画である。彼自身が墓石に残した墓碑銘が「ドーント・トライ(おれの真似はするな)」だった。

 映画の冒頭から自作の朗読で、チャールズ・ブコースキーは飲んだくれて荒れ、野次る客に舞台から飛び下りて殴りかかりそうになる。映画の途中では、ガールフレンドをカメラの前で殴り罵倒する。そのくせ、後にその相手リンダ・リー・キングとの結婚式では涙を流すのである。涙といえば、朗読の途中ふいに泣きだし、涙を振り払うと、「場違いなやつを読んじまったぜ」とふてくされるのだ。

 主人公は年齢的には、1950年代のビート世代だったが、1960年代のカウンターカルチャーで知られ始めた。この時代の詩の朗読会は、野次る客にチョークや黒板消しを投げつけ、客席からは缶ビールが飛んできたものだ。知識人が知性より行動を高く勝った激しい時代だった。今ではブコースキーは、ベイエリアに膨大なファンを擁し、むろん全米、いや世界にも読者を広げ、ビート作家の代表ジャック・ケラワック(『路上』)やケン・キージー(『カッコウの巣』)より読まれているという。

 この時代の痕跡は、サンフランシスコのシティ・ライツ書店とその周辺に残っている。この書店は、拙著『アメリカ「60年代」への旅』(朝日選書)の取材で覗いたが、経営者の詩人ラリー・ファレンゲティに会った(彼は映画に登場)。ここの優秀なマネジャー、日系三世のシグ・ムラオにも会ったが、二人は喧嘩別れしていた。二人とも、カウンターカルチャーのヒーローだった。

 やわな生い立ちの人間ばかりが作家になる昨今、ブコースキーは作家になるしかないような生い立ちだった。ニューオリンズの親の家で、父親に剃刀の革砥石で引っぱたかれて育ったのだ(作家は映画でこの家を再訪)。「部屋を動き回るネズミ、ヒトよりこいつらのほうがなじみ易い。こんな具合に邪魔が入らなきゃ、人生絶望、狂っていてもそんなに悪くはない」。この家での孤絶を読んだ詩である。

 ニキビが潰れて、二目と見られない顔になった。学校でのダンスパーティに女生徒を誘えず、ティシューを顔に巻いて目だけ出して迎えに行った。セックス体験はなんと24歳、相手は体重300ポンドの娼婦だった。リンダとの式で泣いたわけが分かるわけだが、その彼女を殴るのである。

 長年、みすぎよすぎで郵便配達をやった。今や有名なアングラ作家になりおおせたブコースキーは、映画ではかつての配達区域を回ってみせる。私の区域にも短気な中年の配達人がいた。明らかに人生に鬱積していた。妻が配達の人たちに時々心付けをしていたせいか、私たちには穏やかだった。映画のこの場面で、主人公とあの人物とが重なった。

 しかし、ブコースキーは身を持ち崩していたわけではない。それが日常だったのだ。作家としては意外に生産的で、しゃべるように爆発的に書いた。悲惨な体験と悲惨な日常は、書くことによってしか乗り越えられない。ハリウッドは、悲惨な人生を彼の脚本で映画にしてくれた(『バーフライ』。ミッキー・ローアク主演)。あれもこれも一種の治療行為だった。おまけに、治療行為がたつきの道でもあったわけだ。朗読も仕事のうちで、飲みながら自作を読めば、一回400か500ドルおあしがもらえる。ギャルもグルーピーでついてくる。女に不自由しなくなったときは、しかし、ブコースキーに言わせれば、「遅すぎた」のである。

 芸は身を助く。ジョン・マーティンという出版業者が、月100ドルのあてがい扶持で創作に専念させてくれ、郵便配達をやめた。身を棄ててこと浮かぶ瀬もあれ。マーティンは、グロテスクな人間コレクションに魅了された一種のグルーピーだったわけだ。

 こうなれば、殺したくなった父親すら、「親父は文学の師匠だった。痛さの意味を叩き込んでくれたもんな」ということになる。

 「おれの心にはルリツグミが一羽いる。おれがきつすぎて何とか逃げたがっている。おれは言う。そこにじっとしてろ。お前を誰にも見られたかないんだ。それでもやつは逃げたがる。仕方なくそいつの上にウィスキーと煙草の煙を流し込む。娼婦やバーテンダーや店員は、絶対、そいつがそこにいることに気づかない」。これが、ブコースキーという作家の、総体的な精神及び肉体インフラのイメージだ。

 酒と煙草? 酒も浴びるほど飲んだが、それと合う小振りなシガレット、マンガロア・ギャニーシュ・ビーディズというインドやパキスタンの貧民が吸うやつを見つけ出して味わっていた。小説や詩以外にも、人生の些事をエンジョイできたわけだ。合掌。
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