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映画4_1.カポネ、コステロの大先輩たちーーニューヨークに狂い咲いた徒花『ギャング・オヴ・ニューヨーク』

〔なぜアメリカは先進国最高の犯罪社会?〕

 多民族社会だけに、アメリカのギャングは民族集団別に発生、いわば新天地での初発の民族資本形成の手段となった。例えばイタリア系は、パドローネという手配師が同胞のピンハネをやることから19世紀末ころには後のマフィアの組織化へと進んだ。

 本国にヤクザのお手本がありながらギャング組織を作らなかったのが日系で、以後、「モデル・マイノリティ」と揶揄され、何が何でもアメリカで成功するぞという気迫に乏しいと見られ、中間管理職までは行くのだが、それ以上への出世例が少ない。

 ともかく各民族集団のギャング集団が恐喝、売春、麻薬、賭博などの非合法産業の総合的経営(組織犯罪)へと拡大、その一部がマネーロンダリングで合法産業へ資本投下を始めるのは、主に第二次大戦以後の現象だ。

 犯罪が初発の民族資本形成となる以上、160をゆうに越える民族集団が集まったアメリカは、先進諸国最大の犯罪社会を生んだ。同時に憲法修正第二条項(自衛権)によって合法的銃器だけで、今日、二億数千万丁と言われる銃社会になったことが、犯罪率の上昇を加速させた。そして今では、最も割りを食ってきた黒人とヒスパニックの犯罪率が最高となり(例えば総人口12%の黒人の入獄率が50%弱)、皮肉かつ悲惨にも、そういう形で少数派民族集団が多数派民族集団の積年の差別に対して落とし前をつけつつある。

〔エスニック政治とエスニック・ギャング〕

 さて、映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』では、ラッキー・ルシアーノ、フランク・コステロ、メイヤー・ランスキーら、すでに私たちにもお馴染みのニューヨーク・ギャングらの大先輩らの活躍が描かれる。

 大西洋側の移民の門戸ニューヨークは、当然、犯罪社会アメリカの縮図となった。ストリート・ギャングの登場は最も早く、18世紀末である。ギルド外の職人や徒弟らの徒党が酒場に屯し、酒場の主人が市会議員などになる手伝いをして見返りを得るパターンは、全米共通だった(ケネディ大統領の祖父も酒場経営からボストン市議に転じた)。

 ケネディ一族はカトリックのアイルランド系だが、1840年代、アイルランド系の大量移住でプロテスタントのイギリス系ギャングとの対立抗争が始まった(ちなみにキリスト教の場合、民族よりもプロテスタントかカトリック及び正教徒の違いのほうが重要)。ニューヨークの場合、民主党の政治クラブ、タマニー・ホールがアイルランド系その他の移民を、ホィッグ党、「ノウ・ナッシン(わしゃ知らん)党」、共和党など一連の英系政党及び秘密結社が英系市民を、それぞれ政治基盤としたので、両ギャングの抗争が政党間の抗争と連動した。両ギャングは、それぞれの政党の違法な票集めや敵候補優位の投票所襲撃その他の選挙違反の実行部隊だった(この映画でも少し描かれている)。

 ギャングらは同時に消防士でもあった(これも映画に出てくる)。「9.11」で大活躍した消防士らの先祖はギャングだったわけで、今でも消防士と警官はアイルランド系が多い。ちなみに警官をカップと呼ぶのは、彼らが制服につけていた銅(コパー)のボタンに由来する。

 このギャング抗争で有名なのが、この映画〔『ギャング・オブ・ニューヨーク』〕〔削除〕に描かれる、英系の「ネイティヴ・アメリカンズ(生まれながらのアメリカ人)」と、アイルランド系の「デッド・ラビッツ(死んだウサギ)」の抗争だった。

 「死んだウサギ」という奇妙な組織名は、これが「三文の値打ちもないもの」の意味から「あらくれ者」の意に転じた俗語に由来する。彼らの突撃隊長(スラッガー)は、杭に突き刺した死んだウサギを掲げて突進した。映画では冒頭の場面で、戦列の二番目に死んだウサギを突き刺した杭を掲げた男が出てくる。

 ファイヴ・ポインツ(チャイナタウン南)を縄張りにしたデッド・ラビッツより有名だったのが、「バワリー・ブオイズ(ボーイズ)」で(彼らも映画に通行人として登場)、むろんバワリー(ソーホーの東南)が縄張りだった。バワリーは後にブロードウエイに繁栄を奪われるまでは、バワリー劇場を中心とするマンハッタン最大の歓楽街だったので、ここのならず者たちは長い揉み上げ、どはでな服装、独特の抑揚が特徴で、特にその英語はニューヨーク弁の典型とされた。1840年代にアイルランド系が入ってきて、英系との抗争が日常化していく。さらにはアイルランド系主体に転じたバワリー・ブオイズとデッド・ラビッツは、前者が英系主体だった当時以上に激しく対決した。同一民族集団同士で連携するとは限らないのだ。映画でも、首領をビル・ザ・ブッチャーに殺されたデッド・ラビッツのアイルランド・メンバーが、ブッチャーの子分に鞍替えして、アムステルダム・ヴァロン率いるアイルランド・ギャングと同胞同士で敵対している。

 アイルランド系の台頭を象徴したのは、やはり映画のクライマックスとなる「徴兵暴動」(1863年7月13日〜16日)だった。南北戦争のためにアメリカ史上初めて強行された徴兵は、300ドル出せばそれを免れるなどの金持ち優遇措置及び黒人奴隷解放に自分らの命を投げ出させられることに反発した、主にアイルランド系によって引き起こされ、黒人11名を含む死者105名を出す、未だに全米史上最大の暴動となった。共和党のリンカーン大統領は戒厳令の代わりに、タマニー・ホールのボス、ウィリアム・トゥイード(映画ではジム・ブロードベントが扮す)に纏め役を依頼、やっと徴兵が可能になった。こうして南北戦争以後、民族集団別のギャングはタマニー・ホールの政治ボスとの癒着が構造化されていく。また「搾取工場」で資本蓄積を図る「民族資本家」か労組か、金次第でどちらにでも雇われ、雇い主の敵方を襲撃するギャングもパターン化した(その典型がユダヤ系のシュタルケス)。

 トゥイードの八面六臂の悪徳政治家人生については、残念ながら紙数がないので割愛する。タマニー・ホールも、最初はトゥイードのような英系がボスに納まり、英系とアイルランド系ギャングを使い分けたが、アイルランド系はついに1872年、ジョン・ケリーがタマニー・ホールの覇権を奪い、以後10年連続、この民族集団の政治家がボスの座を独占する。20世紀に入ってイタリア系やユダヤ系の市長が登場したとき、タマニー・ホールは消滅した。

〔映画のギャングと現実のギャングの関係〕

 映画では、デカプリオ扮するデッド・ラビッツのアムスタダム・ヴァロンの挿話はフィクションである。彼が対決するネイティヴ・アメリカンズのビル・ザ・ブッチャー・カッティング(ダニエル・デイ=ルイス)、モンク(ブレンダン・グリースン)、ジョニー・シロッコ(ヘンリー・トーマス)は、実在のギャング、ビル・ザ・ブッチャー・プール、モンク・イーストマン、ジャック・シロッコと名が似ている。もっともこの三人の活躍の時期は、デッド・ラビッツなどが消えた後なので、やはりフィクションである。しかも巨大なこん棒に殺した敵の数を刻むので悪名高かったユダヤ系のモンク・イーストマンが映画ではアイルランド系のモンク・マッギンになっている。

 実在の英系ギャングで、ネイティヴ・アメリカンズのメンバーだったビル・ザ・ブッチャーは肉屋でボクサー、肉切り包丁での殺しでは右に出る者がなく、20フィートの距離で包丁を相手の急所に命中させ、「肉切り屋(ブッチャー)」の二つ名で呼ばれた。映画のカッティングが彼をモデルにしていること間違いないが、本物が殺害されたのは一八八五年春と、映画より八年余も早い。彼と対決したアイルランド系ギャングはタマニー・ホール・メンバーでボクサー、ジョン・モリシーだったが、結局、ビル・ザ・ブッチャーは自らコテンパンにのした、やはりタマニー側ボクサー、ルー・ベイカー(英系)に殺された。もっとも心臓に二発撃ち込まれながらもビルは立ち上がり、逃げる相手に肉切り包丁を投げつけ、なおも14日間死なずにいるという凄味を見せた(この凄味は映画のビルにもさらに誇張されて描かれている)。

 モリシーもビルも、たがいにの縄張りの警備と相手方の縄張り襲撃と同じく、各自の親分である政治家の地盤の投票所を守り、「リピーター」と呼ばれる同一人に何度も投票させ(映画にも少し描かれる)、同時に敵方優位の投票所を襲撃した。

 モンク・イーストマンは1873年生まれのユダヤ系で、活躍時期は1890年代から1900年代だった。親がペット・ショップを経営していたのでペット好きだったが、出入りとなるとブラックジャック、こん棒、メリケン、拳銃、何でもござれだったが、こん棒が一番有名だった。売春、賭博(スタスという賭トランプ)、スリ、強盗、そしてタマニー・ホールの政治ゴロ。この最後の仕事ゆえに、逮捕されても政治家がすぐもらい下げてくれた。子分は200を越えた。轟々たる世論の非難で政治家の庇護を失い入所、その間に組織が壊滅すると、第一次大戦に志願、ドイツの機関銃座を粉砕するなど大いに武勲を立てた。

 境界線のバワリーを巡って彼と激しく対決したのが、ファイヴ・ポインツ組のポール・ケリーだったが、彼は本名パオロ・ヴァカレリというイタリア系だった。19世紀も押し詰まるころには、ユダヤ系やイタリア系が台頭してきたのだ。彼がケリーというアイルランド名を名乗ったのは、同じカトリックとしてアイルランド系の子分として渡世に入ったからだった。政治ゴロもアイルランド名で暖簾分けに預かり、立候補した。シナトラの父親はボクサーとしてはマーティン・オブライアンとアイルランド名を名乗った。

 ケリーは学もあり、あらゆる社会階層を泳ぐことができた。物言いは穏やかだったが、組員1500名を擁し、やはりタマニー・ホールの庇護下に何度もモンクらと抗争を繰り返して、ついには相手との殴り合いで決着をつけることになり、二時間闘って引き分けた。モンクは密造酒取締官に射殺されたが、ケリーは畳の上で大往生を遂げた。

 ケリーの後に、子分のジョー・トリノ、そしてモンクの縄張りは同じユダヤ系のビッグ・ジャック・セーリグとイタリア系のジャック・シロッコらに分割される。次いでアル・カポネ、ラッキー・ルシアーノ、フランク・コステロら、イタリア系ギャングの時代、そしてメイヤー・ランスキーやバグジー・シーゲルらユダヤ系ギャングの時代になっていき、逆にアイルランド系ギャングはヘルズキチン(タイムズスクエアの北西)などに閉じ込められていくのだ。それは1933年のイタリア系市長フィオレロ・ラグァーディア(市の空港に名を残す)の登場と時期が重なるが、ユダヤ系市長エイブ・ビームの登場(1973年)とはかなりずれている。しかしエスニック・ギャングとエスニック政治の連携は、今日まで連綿と続いてきたのである。映画ではチャイナタウンは描かれるものの、中国系ギャングについては、残念ながら全く描かれていない。

年表

  • 1789年  タマニー・ホール結成
  • 1825年  「四十人の盗賊」(ファイヴ・ポインツにできたニューヨーク最初のギャング団) ケリオニアンズ(反イギリス系のアイルラ ンド系ギャング)
  • 1830年  ファイヴ・ポインツ・ギャング(デッド・ラビッツ、プラグ・アグリーズ<山高帽醜男組>、チチェスターズ他2集団が有名)vsバワリー・ギャングズ(バワリー・ブオイズ、アメリカン・ガーズ、トルー・ブルー・アメリカンズ<山高帽が売り>他3集団が有名)
  • 1834年  ネイティヴ・アメリカンズ(ホィッグ党。今日の共和党)vsロコフォコス(平等権党。反タマニー・ホールの民主党分派)
  • 1840年  ウォーターフロント・ギャング(イースト・リヴァ河口沿岸。デイブレイク・ボーイズ他5団体が抗争)
  • 1857年 タマニー・ホールのトゥイード・リング(一味)」のボス政治(1871年まで)
  • 1863年 徴兵暴動
  • 1866年 ワイオス(チチェスターズから派生した大ギャング団)
  • 1868年 ヘルズ・キチン・ギャング(ウェストサイド)
  • 1870年 ハートリー・モブ、モラシズ(糖蜜)・モブ、ダッチ・モブ、ガス・ハウス・モブ
  • 1890年 イーストマン組vsファイヴ・ポインターズ ゴーファーズ(地リス組。ヘルズ・キチン)  ハドスン・ダスターズ
  • 1899年 トング戦争(中国系ギャングの内部抗争)
  • 1900年 ジャック・セーリグ、ジャック・シロッコ、チック・トリッカーの三国志時代(1912年、セーリグ射殺)
  • 1910年 ゴーファーズ三分裂(オーエン・「殺し屋」・マドンの台頭)
  • 1911年 カーバーン(車庫)ギャング このころラッキー・ルシアーノ、ファイヴ・ポインツ・ギャングの組員に
  • 1913年 ドゥービー(居眠り)・ベニー・フェインの台頭──傘下にジェイコブ・オージェン(リトル・オージー)組
  • 1915年 アル・カポネ、ファイヴ・ポインツ・ギャングの1人、フランキー・イェールの子分に
  • 1920年 フランク・コステロ台頭
  • 1927年、リトル・オージー射殺(ガードマンがレッグズ・ダイアモンド)
  • 1930年 メイヤー・ランスキー&バグジー・シーゲル台頭
  • 1931年 レッグズ・ダイヤモンド、ダッチ・シュルツの手下に射殺さる。
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