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映画4_4.NY80年代の汚職社会『裏切り者』

 ギャングと落書きと不潔さで悪名高かったニューヨークの地下鉄は、1980年代に改装が始まり、89年には落書きが一掃され、今日のように面目を一新した。私もその端境期の1986年と89年に訪れたときは、地下鉄だけでなく、「どうしてあんな高い所に?」と思うほど高いビルの壁面までびっしり覆っていた落書きが89年には完全に消え去っていたことが強烈に記憶に残っている。

 しかし資本投下が増えた分だけ利権が拡大、汚職もはびこる道理で、80年代のニューヨーク市政を担ったユダヤ系のエド・コッチ市長の三期目に汚職が集中した。

 映画『裏切り者』はその時期の同市のクィーンズ区で地下鉄車両修理を請け負う業者と区の役人の癒着が背景になっている。監督・脚本担当のジェームズ・グレイが、業者フランク・ドルキンのモデルにした人物は地下鉄部品納入会社の経理重役だった実父である。当然、監督の思い入れは深く、映画の地下鉄シーンはクィーンズのサニサイド鉄道ヤードが使われた。ちなみにグレイは英語名だが、人種的にはロシア・ユダヤである。

 役人側のモデルは、ユダヤ系の区長で同区民主党委員長のドナルド・メインズだった。グレイが少年時代、「マンハッタンを通っているケーブル鉄道がなぜクィーンズを通らないの?」と父親に聞いたところ、「あのいまいましいドナルド・メインズのせいだ!」と怒鳴られた。ところが汚職が露顕、メインズが1986年3月13日、包丁で心臓を突き刺して自殺して一週間後、ブルックリン/クィーンズ・ケーブル鉄道が走り始めた。この会社はメインズに賄賂を贈らない珍しい会社だったからだ。この挿話からも、メインズの異様な力が窺える(彼は「クィーンズのキング」と呼ばれた)。

 元々、ニューヨークの民主党は本部の建物から「タマニー・ホール」と呼ばれ、汚職の巣窟だった。一番悪名高かったのが、19世紀半ば市政界を牛耳ったウィリアム・M・トゥィードという大男で、当時の金で2億ドルを私し、五番街の邸宅、コネティカットのカントリーハウス、蒸気機関つきの大型ヨットなどを手に入れ、今日のサンタクロースの生みの親トーマス・ナストを初め、政治風刺漫画家の好餌にされた。彼はスコッチ=アイリッシュだったからプロテスタントで準WASP、当時ユダヤ系はもとよりアイルランド系 まで彼に顎で使われていた。

 メインズらは、新左翼やヒッピーが躍り出てくる1965年春、その流れに乗って、このタマニー・ホールに反旗を翻す若手の刷新勢力として仲間を結集した。そのため自殺時点でも大変な人気を博していたが、刷新勢力も次第に腐敗していったのである。自殺したときはまだ52歳だった。私が訪れた86年夏時点でも、彼の余光が残っていた。

 メインズが関与したのは地下鉄ではなく、市の駐車違反局やタクシー関連部局の汚職で、前者では違反を記録する携帯コンピューターの納入業者と市が罰金徴収を委嘱している業者、後者では軽油タクシーの汚染度調査でタクシー会社からの収賄が取り沙汰された。しかし1986年1月、メインズは自ら左の手首と踝を切って自殺未遂、以後は区長と委員長を辞任、査察が迫るとノイローゼが高じて、自宅で自殺した。

 区長と党委員長を兼務することは、国政の場に譬えれば、首相と党総裁の兼務に似ており、異様な権力集中が起こる。にもかかわらず、図太く生き延びられず自殺に追い込まれた繊細さ、これにさらに若き日の刷新派の余光が加わり、「シェークスピア悲劇に酷似」とまで言われる同情と関心を呼んだ(メインズの父親も妻の死後ノイローゼ自殺したので、遺伝因子があったと見られる)。グレイ監督にも、メインズの複雑な人柄の記憶が濃厚に残っており、従って生き延びるためには汚職も辞さないフランク・ドルキン像に実父と メインズの合体した映像が投影された。

 メインズらを追及した連邦検事は、この9月、世界貿易センター・テロの救助を指揮して男を上げたイタリア系の現市長ルドルフ・ジュリアーニだったのも、何かの因縁だろう(イタリア系の最初の市長は、国内線空港に名が残るフィオレロ・ラガーディア<1933年当選>だった)。

 メインズ自殺後、ジュリアーニとともに査察の手を緩めなかったのは、今日も現職であるユダヤ系の地方検事ロバート・M・モーゲンソーだった(彼は映画『NY検事局』の地方検事モーゲンスタインのモデル。この映画に出てくるように、数百名もの検事補その他を率いる)。この二人は、メインズの共犯者でブロンクス区の民主党指導者、ユダヤ系最初の市長エイブ・ビームの助役を務めたスタンリー・フリードマンに矛先を向けた。

 メインズの後継者で今も区長のクレア・シュルマンもユダヤ系で、ニューヨークが「ハイミー・タウン(ユダヤ町)」と蔑称される理由も分かる気がするほど、善悪ともにユダヤ系の天下のようだが、ビームの市長当選が1973年だから、1960年代のメインズら若手の台頭も含めてユダヤ系の盛り上がりが起こり、それがビーム当選、さらには2代目ユダヤ系のコッチ当選へと繋がったわけで、むしろ遅い台頭ぶりだった。しかもWASP市長ジョン・リンジーの赤字財政をユダヤ系に背負わせるべくビームを初当選させたとも言える(ビーム政権下の「1975年の財政危機」で、ニューヨークは破産寸前までいった)。そして権力にありついたばかりの民族集団は真先に汚職に手を出す道理で、コッチがいくら清廉潔白でがんばっても、フリードマンやメインズらが彼の面を汚していったのだ。しかもフリードマンもメインズも、市長を飛び越えて一挙にニューヨーク州知事をめざし、立候補した(落選)。

 多民族社会の縮図ニューヨークでは、「エスニック政治」は不可避で、メインズ同様、反タマニー・ホールで当選したコッチも、ユダヤ系の部下らの連続的汚職で1989年、四期目は落選、初のアフリカ系市長デーヴィッド・ディンキンズの登場となった。このとき、ディンキンズが共和党候補のジュリアーニ現市長を敗ったのも何かの因縁だった。

 ちなみにコッチは多芸多彩で、引退後も自分の君臨した市庁舎などを舞台とするミステリー小説を出版、映画や時局解説のTV番組も持って健在である。
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