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映画4_6.フランク・コステロは実在したーーアイルランドマフィアの原型としてのホワイティ・バルジャーとフランク・コステロ『デパーテッド』

▲「FBI十人の最大のおたずね者」▲

 英語ができたアイルランド系はアメリカでは政治的には同じカトリックのイタリア系を凌駕したものの、暗黒街ではイタリアン・マフィアが主導権を握り続けた。ボストンも例外ではない。

 しかし、ボストンではアイルランド系ギャングが主導権を握った時期があった。それは一九七○年代から八○年代にかけてで、主役はホワイティ・バルジャーだった。

 この映画の主人公、フランク・コステロは七十歳のアイルランド系カトリック、しかも時代は「今から数年前」という設定になっているが、実は三十年も前のバルジャー時代のエコーである。しかし、一九二九年生まれのバルジャーはコステロよりはるかに年上だし、「FBI十人の最大のおたづね者」として世界中を逃げ回る身の上である。

 この映画ではイタリア系のスコーセシ監督は、同胞のギャングはわずかにロードアイランド州都プロヴィデンスから出稼ぎにきたマフィア二人を登場させるだけ、州警察もギャングも徹底的にアイルランド系に絞った。近頃イタリア系の間でマフィア主題の映画に抗議する動きに配慮したせいだろうか?

 コステロという姓は元来イタリア系だが、先祖がイギリスやアイルランドへ移住、その後アメリカやオーストラリアへ移住すると、それぞれイギリス系やアイルランド系になる。オーストラリアの次期首相と嘱望されるピーター・コステロはWASPである。

 もちろん、実在のマフィア・ボス、フランク・コステロはイタリア系だった。マーロン・ブランドーが演じた『ゴッドファーザー』の主人公のかすれ声は、声帯手術によって異様な音声しか出せなかったコステロの声を真似たものである。いずれにしても、スコーセシ監督がこんな紛らわしい氏名を虚構の主人公に使ったのは、映画をアイルランド系に絞ったことへの埋め合わせだったろう。

 だが、今日のボストンでは、アイルランド系、イタリア系ともに中流化、多くは都心から郊外へと去り、都心部で台頭してきつつあるのはイースト・ボストンを中心とするヒスパニック・ギャングである。例えば、「9/11」以降、MS─13(ラ・マラ・サルヴァトルーチャ)というエルサルヴァドル系ギャングとアルカーイダの連携が報道された。

 しかし、イースト・ボストンはケネディ大統領の父方の祖父(市議)の地盤で、その彼も、対岸のノース・エンドが地盤だった大統領の母方の祖父(市長)ともども、ギャングを私兵にして同胞の票を集め、見返りに市の公共事業などを回す「マシーン」と称する絶対不敗の利権構造を作り上げていた。

 ちなみに、百九十を越える民族集団のほぼ全てが同胞を食い物にするギャング組織を持ったが、日系だけが例外で「モデル・マイノリティ」と呼ばれた。彼らは優秀だが、中間管理職までは出世できても、なかなかトップへ上がれない。閣僚も現運輸長官ノーマン・ミネタが初めてのはずだ。ギャング組織内での命懸けの競り合いを省略したことが裏目に出ているのか? 映画では中国系の三合会ギャングがコステロが軍から盗んだPC部品を買い取る強烈な取引場面が出てくる。

 二○○四年、私が民主党の大統領候補だったジョン・ケリーの取材に何度目かにボストンを訪れたとき、ノース・エンドは激烈な再開発によってスラムが取り壊され、優美な都心街区へと変貌を続けていた。その数年前から、初のイタリア系市長がアイルランド系から政治権力も奪取していたのである。

▲「FBIを使いな。火と戦うには火だ」▲

 警察とギャングが双方にスパイを投入する慣習は世界共通だが、携帯電話とPCが囮捜査などを非常に精密化させた。この映画ではその点が強調され、最大のサスペンスを生んでいるが、バルジャー時代には一九八○年代に大根のように巨大な携帯電話が登場したばかりだったから、こうはいかなかった。

 この映画では、コステロがFBIへの情報提供者という設定だが、これもバルジャーを祖型にしている。  ホワイティの呼び名は、プラチナ・ブロンドの髪のせいで、本名はジェームズ。彼と六歳下の実弟ウィリアムは何と州上院議長、後にマサチュセッツ大学長(この弟もさぞ辛い人生だったろう)。  映画では、コステロが少年時代から手塩にかけたコリン・サリヴァンに学資を出して警察学校を出させ、州警察に送り込む設定だが、バルジャーとFBI捜査官、ジョン・コノリーとは同じサウスボストンのスラム育ち、前者の強い勧めで後者がボストン大学を出ると一九五○年代にFBI入局と、酷似した背景である。十一歳年下のコノリーが十代ギャングだったバルジャーにドラッグストアでおごってもらう挿話は、映画でも同じような場面が使われている。

 二人が本格的に結びつくのは一九七五年秋、本局から出たマフィア撲滅の大号令でノース・エンドの・プリンス街98に本部を擁したボストン・マフィアの代貸、ジェナーロ・アンギウロを筆頭とする五兄弟潰しに躍起となっていたFBIボストン支局の焦りが原因だった(ボストン・マフィアのボスはパトリアーカ・ファミリーのフランク・サレム)。アンギウロ兄弟と自動販売機の利権で揉めていたバルジャーに、コノリーはこう言った。「FBIを使いなよ。火と戦うには火が要る」。

 バルジャーにしてみれば、自分たちよりはるかに規模の大きな強敵が排除されれば濡れ手で泡、直ちに話に乗ったのである。その結果、コノリー、彼が巻き込んだ上司ジョン・モリスらは、州警察や連邦麻薬取締局などを欺き続け、おかげで州警察と麻薬取締局はバルジャーの車への盗聴装置取付けを見破られたり、ランキャスター街のバルジャーの本部に手入れ直前にコノリーからリークされ、何度も煮え湯を飲まされることになる(この情景は映画でもコリン・サリヴァンのリークによって再現)。取締当局が複数のアメリカでは、各組織間の政治的駆引きは「流砂」のような罠になりがちだ。

▲「これはビジネス、産業スパイと一緒さ」▲

 州警察も一九八○年からFBIを疑い始めたが、一九九八年まで分からなかった。だからこそ、この映画でも州警察のディグナム巡査部長がFBIの代表に辛く当たるのだ(ちなみにディグナムの毒舌こそ、典型的なボストン英語だ。センターをセンタ、ミスターをミシュタと、歯切れのよさが特徴)。

 ともかく、FBIは一九八○年代、盗聴装置を仕掛けてアンギウロ兄弟をごっそり獄に送り込んだ。ところが、バルジャーの手柄というより、兄弟のあこぎなみかじめ料取立てに怒って密告したあるのみ屋の功績だった(彼は一九八四年、レーガン大統領により恩赦)。むしろ、バルジャーはマフィアより自分が属する<ウィンターヒル・ギャング>(アイルランド系とイタリア系混在)内のライバルを投獄させる密告に熱心だった。コノリーとモリスがそんなバルジャーと縁が切れなかったのは、買収されていたからである。コノリーらは、のみ屋の功績をバルジャーの功績に仕立て直す始末だった。モリスは退職後の一九九八年罪を認め、初めて実態が明るみに出たが、コノリーは一九九○年退職、エジソン社ボストン支社の警備担当幹部に天下った今も「産業スパイと一緒さ。これはビジネスと同じなんだ。第一、本局と司法省の命令だったから無罪だよ」と強弁している。

 この映画では、警察もギャングもアイルランド系だけという感じだが、バルジャーの右腕はイタリア系のスティーヴ・フレミで、再三アンギウロ五兄弟から勧誘されたのにバルジャーと組むほうが有利と見たのだ(映画ではフレンチ役に相当)。事実、アンギウロ五兄弟の縄張りを奪ってからは、博打と借金取立から麻薬売人たちからのみかじめ料の恐喝的徴収で楽な商売に切り替えた(おかげでボストン周辺のコカインは高値になった!)。むろん、支払わなければ虐殺した点では、映画のコステロ一味と同じである。フレミはよちよち歩きの幼女を殺すと親の前ですごんだ(何のことか分からずニコニコ笑う幼女との対照で、開店したばかりの酒店を安値で買いたたかれる両親の恐怖がいかにも鮮烈、映画になる場面だろう)。もっとも、バルジャーはコステロと違って荒技から遠ざかった。美男の彼は、体の線を崩すまいとフィットネス・オタクだった。

 一九九○年、コノリーの退職後、ついに州警はFBIの邪魔を排除、ボストンの連邦検事局と合同でフレミを含めて五十一名のバルジャー一味を逮捕したが、バルジャーだけいち早く姿を隠し、未だに行方が知れない。

 さて、映画の主題は、スコーセシが女性精神科医に相互の組織へ交差的に潜入した二人の青年を愛させる設定から、彼らの自我分裂、ドッペルゲンガー的なアイデンティティの危機にあるのだが、それは割愛する。ただ、コスティガンが、「アイルランド系にだけは精神分析が通じないってフロイトが言ったっけ?」と彼女に聞くところは、彼女がコスティガンに「あなたの傷つき易さがこわい」と告げる箇所(彼は彼女にもらった安定剤を飲み続ける)と、明らかに残虐嗜好の精神異常者コステロとの対比から、一種の逆説になっているのが面白かった。コステロには同時に、古典的な「悪魔」が肉体化されてもいる。悪魔は精神異常者でもあるのだ。もはや精神分析が聞くような相手ではないのである。

 最後に、スコーセシ監督は、この映画のコステロ=フレンチ組をブッシュ=チェーニー組と対比した発言をしている。しかし、映画で州警特別捜査課を率いるエラビー警部は、コステロ一味に対する携帯電話使用の捜査を宣言するのだが、クリスマスの朝、「愛国者法、愛国者法、こいつはいいや!」と小躍りして叫ぶ。これは、「9/11」以降ブッシュ政権が通した「USA愛国者法」によって無断の盗聴も可能とする状況を警察関係者が大歓迎している光景である。となると、州警がブッシュ政権、コステロ一味がイラクかア ルカーイダということになるではないか。
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