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映画5_1.「ジョン・ウエインの幽霊とアメリカ」

「ジョン・ウエインの幽霊とアメリカ」老人とフロンティア

ウエインとイーストウッド──「西部」の今日的意味合い

 『グラン・トリノ』の主人公、朝鮮戦争で戦った元フォード自動車工ウォルト・コワルスキーは、オバマはおろか、ヒラリー・クリントンへの投票も忌避した、典型的な北部白人ブルーカラーのカトリックである。ポーランド系だ。白人カトリック教徒は今日、「ホワイト・エスニック」と総称される。そんな彼が、しぶしぶとモン族(ラオスの山岳民族)の隣人一家に心を開いていく過程は、北部ブルーカラーがまずはウェールズ系(準WASP)のヒラリーを「男みたいな女だけど、白人だから」としぶしぶ支持、彼女がオバマに敗れると、金持ち優遇の共和党を代表するマケインを見限ってついにオバマにこれまたしぶしぶ投票した過程と連動する。

 おそらく、二○○八年の大統領選で、最も感動的だったのはコワルスキーのタイプの白人がついにオバマに票を投じたことだったろう(拙著『誰がオバマを選んだのか』NTT出版)。その意味で、この新作はクリント・イーストウッド(一九三○〜/以後CE)の炯眼ぶりが窺える主題選定だった。

 CE自身は、父親がスコッチ=イングリッシュ、母親がオランダ=アイリッシュ系の血が混じるが、先祖を辿れば十七世紀に来米したピューリタンWASPだった(つまり、宗派は会衆派)。CEは、スコッチ=アイリッシュ系のジョン・ウェイン(一九○六〜七九/以後JW)とよく対比されてきた。基軸は「西部劇」である。

 スコッチ=アイリッシュは北アイルランドから移住してきたプロテスタント・ケルトで、マケインはまさにそれだし、今日わずか五百万人程度なのに歴代大統領十三名(近くはニクスン、クリントン)、少しはその血が入っている大統領(近くはブッシュ父子)は十名と、大統領の半数を占める極めて政治的気迫に満ちた民族集団である。上流WASPは、完全な異民族である彼らを蛇蝎のように忌み嫌ってきたのだが、その彼らの特徴については前掲の拙著『誰がオバマを』を参照されたい。

 一九九○年代後半に私が某所で行った「ジョン・ウェインの幽霊とアメリカ」という講演のデータだからいささか古いが、ハリス世論調査では一九九三年と九四年、人気度でCE一位、JWは没後十四年にもかかわらず二位、九五年にはついに逆転、JWが一位、CEが二位になった(得票数では三位のメル・ギブスンの倍、十一位のポール・ニューマンの六倍。ちなみに、アフリカ系では唯一、デンゼル・ワシントンが四位に入っていた)。JWの一位復活は、九五年時点、クリントン政権下ですでにネオコン主導の右傾化が進行中だったことと連動していたのだろう。

 しかし、九五年以前の二十六年間、CEは実に二十一回トップ10入り、十五回トップ4入りしていた。JWは、四九〜七四年の二十六年間、二十五回トップ10を維持、十九回トップ4入りしていた。それだけに九五年のJWの逆転は不気味ではあった。

 さて、西部劇が流行らなくなった今日でも、このエートスはアメリカン・マインドの基軸になっている。というのは、「平等+自由競争=アメリカン・デモクラシー」の等式において、「自由競争」に激しく傾斜した今日のアメリカを生み出したのは「大西部」だったからである。何代も一か所に住み着くことなく、新たな土地へと移住を続ける今日のアメリカ人の運動律と生理は、西部がなければ生まれようがなかった。西部がなければ、アメリカは単なるイギリスもしくはヨーロッパの延長にすぎなかった。まさに、「この国の歴史の本来の眼目は、大西洋岸ではなく、大西部にこそある」(フレデリック・ジャクスン・ターナー)だったのである。だからこそ「アメリカは脱ヨーロッパ運動の帰結」(ルイス・マムフォード)になったのだ。ちなみに、EUこそ、大西洋を渡ることなく断行された「第二次脱ヨーロッパ運動」だった。  前述のJWの一位復活の九五年、ネオコンの台頭による、来るべきブッシュ息子政権の「米一国主義」への準備は、騎兵隊が先住民を殲滅しつつ西進を断行した、いわゆる「明白な運命」の世界規模での再現だったとも言えるだろう。そして、西進衝動の基幹エンジンを構成したのが、前述のスコッチ=アイリッシュで、イギリス移民の最終第四波だったにもかかわらず早くも第七代大統領アンドルー・ジャクスンを生み出し、前述のように歴代大統領十三名、混血も入れれば二十三名の大統領を量産した。そして極左から極右へと激変したネオコンの多くがユダヤ系だったのである。

 ハリウッド(文化中枢)を創出し支配してきた「ロシア・ユダヤ」は、常にワシントンDC(政治中枢)とウォールストリート(経済中枢)の意向におもそりながらも、創作活動に不可欠な全く異質な文化を保持した。しかし、ユダヤ系が多いネオコンへの対応は複雑なものにならざるをえなかった。

 他方、CEはかねがねハリウッド支配層、特にマーケティング部門と衝突したが、むろんその大半がロシア・ユダヤで、CEは自分が彼らの「クラブ」ではアウトサイダーであることが衝突の主因とひがんでいた。従って数少ない非ユダヤ系の間では、密かにWejs(ウェッジズ)というバック・スラング(逆さ言葉)を使っていた。例えば、ユダヤ系重役が「これから相談に行く」と電話があると、非ユダヤ仲間に向かって「ウェッジズが来るってさ」と呟き、ウィンクしてみせたのである。ちなみに音が同じwedge は「楔」を意味するから、CEの企画に邪魔立てする存在だった。

 時代差があるにせよ、ともに非ユダヤのJWとCEのハリウッドとのスタンスが、JWを明確な右傾化、CEを以下に披露する複雑な自律主義へと、押しやったのである。

キッシンジャーまでウエイン気取りで中ソ外交

 CEの西部劇では、例えば『ペイルライダー』(八五)には水圧式の砂金採取場面が出てくる。これは巨大な大砲型の放水機で砂金を含む山を溶かし崩して、含金泥流を流し樋に取り込んで黄金を採取する、強烈に環境破壊的なやり方だった(詳細は拙著『カリフォルニアの黄金』朝日選書)。つまり、JWが代表した「古きよき西部」という欺瞞的伝説を真っ向から覆す意図が、CEの関わる西部劇を貫いていたのである。この傾向は、一九六○年代のカウンターカルチャーという白人中流層の意識革命で顕著になり、JWが代表した西部劇を否定する西部劇(典型が『ソルジャー・ブルー』や『リトル・ビッグマン』/ともに一九七○)の創出に繋がり、ついにはこのジャンルの自滅へと繋がった。

 また『ペイルライダー』の主人公は牧師だが、右手に拳銃、左手に聖書を掲げた「私的制裁者」である点では(西部にはそういう牧師が実在した)、『ダーティ・ハリー』(七一)の系譜に属する。原題の意味は「蒼ざめた馬に乗る者」、すなわち「死神」である。この映画は『シェーン』(五三)のリメイクと言われたが、あの主人公は牧師ではないし、キリスト的要素は少なかったのに対して、CEの出世作『荒野の用心棒』(六四)では「一握りの金」(原題)のために町のギャングを一掃するやり方に明らかにキリストの残影が見られる。ただし、『シェーン』は朝鮮戦争、『用心棒』はヴェトナム戦争という具体的な「外敵」の存在が観客の共感を支える冷戦時代特有の歪みがあった。

 『許されざる者』(九二)では、CEは銃器携帯を禁じるシェリフと対決する点では今日の極右NRA(全米ライフル協会)に味方する右翼だが、娼婦の顔を切り刻んだカウボーイに有利な裁定を下したシェリフの措置に怒った娼婦仲間に雇われた賞金稼ぎという点では、趣が違ってくる。しかも、親友の黒人をシェリフ側に殺害され、相手を皆殺しにした上、最後に暗闇の中から町民に対して、「娼婦と黒人を人間なみに扱え。さもないと再び戻ってきて貴様らを皆殺しにするぞ」と恫喝して去っていく。しかも、稲光の中に星条旗が一瞬浮かびあがる結末は、何を意味しているのか?

 他方、JWは圧倒的にシェリフかシェリフ側の役が多かった。そのくせJWは、黒沢明以上に「天皇」だったジョン・フォード監督には絶対服従、軍役に服したCEに比べて、第二次大戦への関与をあらゆる手を尽くして回避した。思い出すのは、ブッシュも父親(太平洋戦争での正規空軍の戦闘パイロット)のコネで当時は海外派兵がなかった州兵(戦闘パイロット)になったことだ(彼とイェールで同窓だったオリヴァ・ストーンはヴェトナムで辛酸をなめた。おまけに、ブッシュは大統領として州兵を「連邦軍化」、初めて海外、つまりイラクへ派兵した)。

 しかしながら、JWはマッカーサーから「アメリカ兵の模範」と称揚され、全米在郷軍人会はJWに敬礼し、キッシンジャーは「デタント外交」で単身中ソに乗り込むとき「ただ一騎、無法の町に乗り込むJWの気分だった。たぶん、国民も私をその目で見てくれたからこそこの外交戦略は成功した」と告白した。ローリング・ウォークと言われる、両腕を左右にゆっくり振る歩き方を真似した者は多かった(共和党の領袖としてクリントン夫妻をいびり抜いたニュート・ギングリッチ元下院議長、そしてかくいう筆者まで)。この歩き方はマチズモの象徴とされたが、実はJWの身ごなしの優美さの表れだった。彼自身、それを意識していた。『アラモ』(六○)撮影中、JWが「えいくそ、もっと優美(グ レースフル)(ルビ)にやれよ──おれみたいに」と叫んだと、共演のリチャード・ウィドマークが語っている。JWの神格化は、オレンジ郡の空港に彼の巨像が建立される形で極まった(私も「参拝」した)。

 当人は男としての優美さの権化だったから、女性を見下し、有色人種を蔑視した。「黒人が責任を果たせる段階まで教育される──その日までは白人至上主義を信じる」と、ニクスンを推す一九六八年の共和党大会で演説した。

 やっとJWに騙されたと気づく典型は、『七月四日に生まれて』(八九)で「JWのおかげでディックをなくした」とぼやいた主人公ロン・コヴィッチである(ディックとは男性性器)。JWの臆病さが暴かれ出すのは比較的近年のことで、戦役回避だけでなく、赤狩りでも右派が優勢になるまでは沈黙を続けた。初期の赤狩りはユダヤ狩りで、ハリウッドのユダヤ系重役たちがこのせいで逼塞するまではJWのほうが逼塞していたのである(ユダヤ系のキッシンジャーがJWを真似して中ソに乗り込んだのは皮肉だった)。急に強気になったJWは、冷戦支援の『硫黄島の砂』(四九)に始まり、一九六○年代、ついに極右のジョン・バーチ協会に入会、ニクスン支援のため前述の『アラモ』を作った。ハリウッドはついにJWの「アラモの砦」と化したわけだ。

グラン・トリノへの執着と高齢者の侠気の間

 CEは、JWほど明確に保守ではないが、ニクスンもレーガンも『ダーティ・ハリー』その他、CE映画のファンで、CE自身、一九八○年と八四年、レーガンを支持した。ハリーの名台詞、「ゴーアヘッド、メイク・マイ・デイ!」は、レーガンが真似して喝采を浴びた(レーガンは再選に際してはかつて共演したJWの生家訪問で大衆の人気に投じようともした)。この台詞と似ていたのは、ブッシュの「悪のテロリストどもに通告する。来るなら来い(ブリング・イット・オン)(ルビ)」で、ブッシュ再選に立ちふさがったジョン・ケリーも、「来るなら来い」を使ってブッシュを揶揄した。

 しかしCE自身は、「好きな候補者に投票する。どの政党にもつかない」と断言している。さらには、JWの『硫黄島の砂』とCEが監督した『父祖たちの旗』(○六)と『硫黄島からの手紙』(○六)とを並べてみれば、両者の間には作品の質及び描くべき素材への成熟度では天地の隔たりがある。CEはいずれの作品でも弱者の側に立つが、後者などは敵方(栗林忠道中将麾下の日本の防衛部隊)の視点で描く。かつてこのような視点で造られた映画があっただろうか? 映画ではないが、かつて『菊と刀』(四六)でルース・ ベネディクトがとった手法──日本人にしか分からない暗黙の了解事項の摘出くらいしか 類似例が浮かんでこない。

 CEはニクスンから「アメリカ全国会議(NCA)」委員に任命され、一九八○年代後半、自身が住んでいたカーメル市長選に共和党候補として立ち、当選した(筆者も彼の市長時代、カーメルを覗いてみたが、砂あくまで白く、海と空はあくまで青く、ビーチ族は水着姿でもあくまでリッチだった)。それどころか、八○年代前半、CEはランボー型の元グリンベレー中佐ジェームズ・G・ボー・グリッツの使嗾に乗ってラオスその他の米兵捕虜救出という冒険行動に入れ込み、八二年、レーガン大統領に支援を訴えもした。これは明らかにダーティ・ハリー的行動規範の延長だった。従って八五年の『ペイルライダー』の主題との交錯は興味深い。

 九二年の『許されざる者』の時点でCEは、六十二歳、『スペース・カウボーイ』(二○○○)時点で七十歳、この時点で彼は明確に自身の年齢と役柄を平行させ始めた。旧式なソ連時代の人工衛星が地球に落下してくるのを食い止めるのが後者の主人公の役目だが、一九五八年にNASAで宇宙飛行訓練を受けた老人たちにしか旧式な技術が操れないという、日進月歩のハイテクの構造的な欠陥を土台にしてドラマが展開する。時局的には、七十七歳の元宇宙飛行士ジョン・グレン上院議員の再度の宇宙飛翔が引き起こした高齢者の台頭ぶりが背景になった。言うまでもなく、旧式なテクノロジーと老年とが絡み合い、主人公はかつての仲間を招集、世界に「侠気」の手本を示す。

 カウボーイは、現実にはヒスパニックか白人貧困層しかいないアメリカ社会の「絶滅寸前種」で、逆にレーガンやブッシュのようにお飾りでカウボーイを演じる輩で溢れている。それでも「アメリカ的侠気」のシンボルであり続けているのだ(この点、新渡戸稲造や長谷川伸が美化した武士道や任侠道に似ている)。『スペース・カウボーイ』の主人公がバーで若い客に挑む場面は、『グラン・トリノ』でも隣家のモン族の若者を脅迫するモン族若者ギャングと主人公が対決する形で繰り返される。老いたスペース・カウボーイは若い客に通告する。「おれは高齢者保険加盟者だ。ゴーアヘッド、テイク・ユア・ベスト・ショット」。この台詞は、長い長い歳月を隔ててのダーティ・ハリーの台詞の繰り返しだ。高齢者が若者を恐れて意見もできない昨今、高齢者の侠気回復運動でも起こすか。

 CEが、明瞭に右派の標的にされ出したのは、『ミリオンダラー・ベイビー』(二○○五)からで、右派のダースヴェーダー、超人気のラジオ・パースナリティ、ラッシュ・リンボウが、主人公の親友の元黒人ボクサーの安楽死場面を攻撃、右派の大合唱が起きた(その前年のギャラップ調査だと、安楽死は道義的に正しいとする者が五三%、不正とする者四一%)。赤狩り以来、チャールトン・ヘストンその他少数を除いて右派が根絶されたはずのハリウッドが、隠れ右派の巣窟と判明したのは、マイケル・ムアがオスカー受賞演説をブッシュ攻撃に転用したときだったが、『許されざる者』以来、弱者の側に立つ「カウボーイ的侠気」を表に出し始めていたCEは、ムアより手の混んだ形で「高齢者の侠気」を発揮し始めたことになる。

 『ベイビー』の主人公はフランキー・ダンという氏名からアイリッシュ・カトリックで、『グラン・トリノ』の主人公より早くアメリカに渡来した同信の民族集団に属する。『ベイビー』の主題は、高齢者にとっての痛恨事、おのれの人生への後悔である。もはや彼らには、後悔を埋め合わせるだけの時間が残されていない。ボクシング・トレーナーである主人公はかつて敗色濃厚だった親友の黒人ボクサーにタオルを投げ入れるのが遅れて失明させ、引退に追いやる結果になったし、実の娘に幾ら手紙を出しても梨の礫である。他方、福祉依存のだらしない母親、未来がないウェイトレスの境涯に悩む三十台のアイリッシュ女性がいて、彼女は後悔しか残りそうにない人生からの脱出をめざして女性ボクサーになろうとする。彼女のたっての願いにほだされて、フランキーはしぶしぶ彼女の訓練を引き受ける。彼にとっては、彼女は彼の娘の代わりであり、訓練はかなわなかった子育ての遅きに失した代用品となる。

 しかし、後悔を苦み走ったひやかしでやり過ごすフランクとスクラップ(黒人ボクサー)のやりとりは、後悔こそ人生の薬味であることを観客の胸にしみ通らせずにはおかない。おかげでフランクはW・B・イェーツを味わえるし、母語ゲーリック語を習い、年下の神父に教義問答をしかけてひやかすため毎日ミサに通う。そして女性ボクサー、マギー役でオスカーを受賞した女優、ヒラリー・シュワンクはCEにゲーリックで「モイ・クイシュル(マイ・ダーリン、マイ・ブラッド)」と呼びかけるのだ。つまり、マギー役を演じた女優は「精神では実の娘だ」と宣告してくれるのである。

 CEは、この映画のギター曲を自ら作曲した。彼はカリフォルニア・ゴールドラッシュを描いたミュージカル、『幌馬車にペンキを』<六九>で主演、歌唱力を示した。おそらく、天性の優美な身ごなしがJWの魅力の根源だったように、CEには天性のリズム感覚があり、それが彼の魅力を弾ませ続けてきたのだと思われる。

 さて、ポーチで自分を取り残して流れ続けていく世間を眺めてはぼやく『グラン・トリノ』の老人は、世間が思うほど、あるいは一部の高齢者が卑下するほど、「公園ベンチや玄関ポーチに腰掛けている惨めな爺さん婆さん」でもないのである。アメリカには、セントピーターズバーグ(フロリダ)という、「緑のベンチの都市」など、高齢者が独立する場所が多々ある。サンシティ(アリゾナ)などは、五十歳以上でないと受け入れない巨大都市だ。この都市の老人たちの活力には、五十代当時の私も恐れ入った。USスティールの広報担当だった老人などは、サンシティの巨大劇場サンドーム(七千数百名収容)の年間通しての運営を任され、「無給だからこそやり甲斐がある」とニヤリと笑ってみせた。その表情が、今にして思えばCEの不敵なニヤリに似ていたのだ。

 フォードのグラン・トリノは、一九六○年代から七○年代に製造された車種だが、アメリカをまるで代表しない「継子の車」だった(ちなみに、CE自身、黒いピックアップなど地味な車を愛用)。今やアメリカのお荷物となったデトロイトは、いやアメリカ自体のお荷物となり果てた、衰亡の覇権国家アメリカ帝国こそが新たな活路、すなわちフロンティアを切り開くには、「継子」だからこそこの旧式車に愛着棄て堅いコワルスキーの意気地、一九五○年代の旧式な宇宙飛行技術ゆえにアメリカを救えたあの「スペース・カウボーイ」の意気地──この意気地もしくは侠気が、若い世代によって再び掘り起こされる先祖返りによってしか不可能かもしれない。また、それこそが自身の年齢を演じ続けるCEの、自身にも不分明な衝動の出所(でどころ)だと思われるのだ。
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