本文へジャンプ 越智道雄のページ   文字サイズ コントラスト
映画top

映画5_6.『西部の娘』「移民」の歴史と今日──母国と寄留国とのはざまで

■「移住」とは何か? 「移民」とは何者か?■

 かつてヨーロッパ人にとって、移住とは「脱ヨーロッパ現象」で、その方向はアメリカだった。従って「アメリカは脱ヨーロッパ現象の成果として出現した」(米の文明評論家ルイス・マムフォード)。ならば、私たちアジア人にとってはアメリカ移住は「脱アジア現象」だ。「旧世界」から「新世界」へ──これが移住のヴェクトルということになる。

 しかし、中南米という「新世界」からも移民は押し寄せる。2006年10月17日、アメリカ総人口は3億人を突破したが、中南米から押し寄せたヒスパニックが原因だ。

 移民の原動力は、母国で入手できない経済チャンスを新世界で掴むことにある。

 アメリカ側からすれば、真先に移住して中流化したイギリス系は、下層労働力の不足から新たにアイルランド系移民を受け入れ、その彼らも中流化、再び下層労働力が不足、またぞろヨーロッパ系新移民を受け入れる──このパターンを繰り返すうちにアメリカはいつの間にか多民族社会に変貌した。1960年代半ば以降ではアジア系、今日では、ヒスパニックが下層労働力として猛烈に受け入れられているのである。

 このパターンは、日本でもここ20年余続き、主に日系南米人、一部アジアと中東からの移民を受け入れて、下層労働力を補っている。ただし、在日外国人はわずか200万人強で、まだ多民族社会とは言えない。

 グローバライゼーションの今日移住先はアメリカばかりとは限らない。安価な労働力+ハイテク技術+膨大な消費市場の三拍子そろった地域に世界中の資本が流れ込む。従って、移住もその地域へ向けて集中する。

 だから、ボーダーレスな今日、こう言われ始めた。「もはや民族国家は衰退するしかない。いや、民族国家という概念はたかだか17世紀後半に発生したにすぎず、民族が国家を形成する生き方は人々が思い込んでいるほど古いものではない。地球資源の枯渇が見え始めた今日、個々に国軍を擁して資源の分捕り合戦で戦争しいがみ合う余裕はなく、民族国家を解体して、乏しい資源の分配機構としての『世界統一政府』を設立すべきだ。EUやNAFTAはその先駆けだ」と。

■「文化多元主義」と「紛い物文化」■

 この激烈な運動律の只中で、移民たちは逆に捨ててきた母国に心情的に固執する。それどころか、「母国」がなかった移民たちですらアメリカで「母国」を幻想的に創り出す。例えば、イタリアという統一国家がなかった当時ですら、ナポリやシチリアから移住してきた人々は自分たちを「イタリア系アメリカ人」と呼んだ。アフリカは今でも統一国家ではないし、アメリカに連れてこられた黒人奴隷の大半が西アフリカ出身だが、彼らは自らを「アフリカ系アメリカ人」と呼ぶ。アメリカでは、「民族性」が再生されるのだ。

 これは、アメリカでしばらく暮らすだけで直ちに思い知らされる。例えば、私は日本にいる間、「日本人」と意識することはほとんどなく、強いて言えば「人間」だと思って生きてこられた。これは在日外国人わずか200万人余の日本が、民族軋轢の比較的少ない国だったからだ。ところが、海外へ出たとたん、否応なしに「日本人」というレッテルを押しつけられ、そのレッテルに金縛りにされた。アメリカのように190余の民族集団がひしめき合う只中では、レッテルを貼り合う以外、整理がつかないのである。

 つまり、多民族社会では、人々は日々、「国内の国境」を越えないと生活できない。例えば、こんな具合だ。メルボルンはアテネの次にギリシャ系が多い都市だが、そこに住むある少女は、家を出て通学路に入る前に、「ここから私はオーストラリア人よ」と自分に言い聞かせ、学校では「オーストラリア人」を演じて、下校時点で家への小路に入るとき、「ここからは私はギリシャ人よ」と言い聞かせて安堵した。

 しかし、ギリシャ文化はオーストラリア文化に、食べ物、衣装、芸術、文学、そして強烈な政治活動その他で新しい要素を付け加えて、内容を豊かにした。190余の民族集団がそれぞれの母国文化を寄留国の文化に付け加えれば、その相乗作用は計り知れないものがある。母国文化の移植可能性というこの明るい側面を推進してきたのが、「文化多元主義(マルタイカルチュラリズム)(ルビ)」である。これは英系と仏系の確執に悩んできたカナダが開発した文化政策だが、アメリカやオーストラリアもこれを受け入れてきた。

 だが、混淆文化は母国文化とは似ても似つかぬ「紛い物文化」になる。私がアクロン(オハイオ州北東部)で「北京/東京」という店に入ると、右が日本料理コーナー、左が中華料理コーナーで、店主は韓国系だった。この店で東洋情緒に浸れるのは日中韓以外からの移民か代々のアメリカ人で、日中韓系移民は誰もが疎外感を味わう。海外文化の移植は日本人のお家芸だが、日本に移植されたフランス文化を見たフランス人は、あまりの「紛い物」ぶりに笑うしかあるまい。しかし、それを「アチャラカもの」と呼んできた日本人 も、「紛い物」は百も承知だったのだ。

■永遠のディアスポラ(離散)としての人間■

 今回のオペラ『西部の娘』という題名にあるように、アメリカ西部に移民を含めたあらゆる職業階層の人々を引き寄せたのは、1849年のカリフォルニア・ゴールドラッシュだった。当時、東西大陸横断鉄道やパナマ運河はまだ未完成で、大半の人々が安価に入手したおんぼろ船で南米大陸最南端を回って太平洋に出てサンフランシスコから産金地帯シエラ・ネバダへ入り込んだ(詳細は拙著『カリフォルニアの黄金』朝日選書参照)。

 黄金の激烈な吸引力は、今日のグローバリズムの吸引力の先駆けだった。「西部」とは、アメリカ国内でも長らく「開運の方角」であり続けた。東部で行き詰まれば、直ちに西部をめざした。つまり、肝心のアメリカ人ですら自国内で「西部」へと「移住」したのである。名保安官ワイアット・アープは、安く農場を買って値が上がると、それを売って再び西進、安価な土地を入手、価格上昇で転売転売を繰り返して西へと突き進みつつ蓄財した。この運動律に、アメリカ人は「明白な運命」という厳かな呼称を与えたが、要はイン ディアンを征服しながらの突進だった。

 グローバリズムの突進にも、この荒々しさがつきまとう。押し寄せる移民に対しては寄留国の国民たちの猜疑の目と排除の動きが激化、移民側は到底、この寄留国を第二の母国と見る気になれない。『西部の娘』では、主役のミニーとジョンスンだけがシエラ・ネバダを出ていけるが、他の「移民」たちはそこに残るしかない。この残存者たちこそ、今日の多民族社会アメリカの礎だ。彼らは一世、二世、三世と、痛烈な疎外感と差別に打ち勝ち、ついにアメリカ人になりおおせた。

 初期のアメリカ移民は、成功して母国に錦を飾れた者もいた。帰国率の高さでは仏系が高いのも、母国文化への執着の強さと成功率の高さを窺わせた。しかし、19世紀以降、帰国組が減ったのは、アメリカが繁栄できたからだ。しかし、1970年代の2度の石油危機以降、この国の地盤沈下が下げ止まらず、今ではトップ5%(1500万人)に国富の60%が集中、残りの2億8500万人が国富40%を奪い合う悲惨な格差社会になった。つまり、第三世界に近づいたのである。21世紀半ばに4人に1人がヒスパニックになる、つまり1億人近くが彼らになる試算が出ている。そうなれば、アメリカ人の下層はグローバリズムの荒々しい流れに乗って世界の富が集中するアメリカ以外の地域への移住を余儀なくされ始めるだろう。つまりかつての「脱ヨーロッパ現象」や「脱アジア現象」と入れ代わって、「脱アメリカ現象」が始まる。日本でも格差社会が話題になり始めた以上、再び日本がかつての移民量産国家へと転落する兆しが出てきたと言える。

 かくして、「移民」と「移住」という状態が世界中で人々の常態となりゆく以上、このオペラが描く主題は、永遠のデラシネ(母国喪失者)、永遠のディアスポラ(離散)としての人間のありようということになるのだろうか。
一番上へ
Copyright ©2009 Michio Ochi All Rights Reserved. Valid HTML 4.01 Transitional 正当なCSSです!
inserted by FC2 system