映画７＿６．祭人ボビーと祭礼人の２２名『ボビー』

　ボビー・ケネディは実兄の大統領が暗殺されて５年後、１９６８年の大統領予備選最中、この映画の舞台、アンバサダー・ホテルの厨房で射殺された。

　しかし、映画では、実写フィルム以外、ボビーは後ろ姿しか見せない。カメラに全身をさらすのは宿泊客と従業員２２名、逆に暗殺者パレスティナ系のサーハン＝サーハンは彼の役の俳優が一度だけホテルに入ってくる場面が映され、実写フィルムでも映画でもは映らない。

　この設定は、一般のアメリカ人にとって大統領（候補者）とは何者なのかを問うことが映画の主題であることを意味している。

　ケネディ兄弟はアイルランド系カトリックで、この民族集団では兄は史上唯一の大統領だった。プロテスタントの国アメリカでは、＜カトリックは合衆国よりもローマ教皇に忠誠を尽くすのでは？＞という猜疑の目で見られていたのである。だから、わずかな例外を除いて、すべての大統領はＷＡＳＰ、つまり英国系プロテスタンだったし、その例外（例えばアイルランド系のニクスンやレーガン）もプロテスタントだったから、ケネディ以前に暗殺されたのもＷＡＳＰ大統領ばかりだった。従ってアイルランド系カトリックの兄弟がともに合衆国大統領になることに対する根深い反発が存在した（もっとも実行犯は非ＷＡＳＰだった）。もう一人の兄弟テッド（現上院議員）も入れて、ケネディ３兄弟が各８年政権を担当すれば、実に２４年間もアメリカはアイルランド系カトリックに支配されることになると恐れられたのである。

　この映画の監督はヒスパニックで、この民族集団の大半がカトリックであり、映画でも撃たれたボビーを抱え起こす厨房の雑役係はヒスパニックの若者だ。昨年１０月１７日、アメリカの総人口は３億を突破したが、中絶も産児制限もご法度のカトリック、特にヒスパニックの急増ゆえだった。ボビーの血の洗礼を受けたこの若者は、アメリカの未来を引き継ぐ役目を映画では担わされている。

　さて、２２名の登場人物たちは各自の問題を抱えて生きている。雑役の若者は、差別的な厨房支配人、マイノリティ同士で緊張があるアフリカ系のコックなどが気がかりだし、ホテルの支配人は厨房支配人を差別行為ゆえに馘首、起こった相手から報復にホテルの電話交換手との情事をやはりホテルで美容師をしている妻に告げ口されるう、若い白人女性と再婚した初老の金持ちは自分の衰えを気にかけ、ベトナム行きをかわすために便宜上の結婚式をあげる白人青年等々。

　彼らにとっては、ボビーや他の候補者は大統領選挙という「４年毎の王選び祭」の主役にすぎない。柳田国男によれば、彼らは「祭人」、見物する２２名は「祭礼人」である。メディアがなかった昔、この両集団はライヴで合いまみえたが、今ではテレビその他の画像のオンエアで合いまみえるため、祭人の祭礼人に対するインパクトは天文学的に増幅された。しかし、だからこそ祭人とのライヴの出会いには、祭礼人は興奮する。ところが映画では、ライヴのボビーを見たとたん、彼が暗殺されてしまうのだ。

　これは何を意味しているのか？　むろん、この年に大統領になったのは保守反動のニクスンだったから、アメリカは今日の反動的帝国へと急旋回した。ボビーが当選していれば、雑役のヒスパニック青年のように有色人種が多数を占めるアメリカ合衆国へとケネディ兄弟の輝きが受け継がれたかもしれない。

　しかし、太古、人類は祭人を生贄にして五穀豊穣を願った。メディアの肥大成長によって古代の生贄に込められたひたむきな神聖さは消え去り、各自の人生に閉じ込められた祭礼人たちの怨念だけが野放しになり、祭人の生贄へと狂奔する。暗殺ではなくとも、水に落ちた犬は叩けとばかり、かなりの成果をあげた政治家でも袋叩きにしてしまう。日本の政治のパターンを一変させた小泉前首相ですらその被害を受けた。祭人には「贋王」といって、本物の王への神（実は民衆）の嫉妬を逸らすために選ばれ、最後は民衆になぶり殺されてしまう役割をあった。

　もっとも、この映画の監督は初老の金持ち役を演じたマーティン・シーンの息子で、ボビー暗殺をニュースで知って急ぎ父親を起こしに走った。ボビーの熱心な支持者だった父親は、幼い息子の手をしっかり握って暗殺現場へ連れていった。息子にはその記憶が焼きつき、今回の映画となった。映画俳優らがたむろした名物ホテルが老朽化、取り壊される寸前、父親は各所に働きかけて、息子のために必要な内部の撮影許可を取り付けてやった。『ボビー』は、この長く続いた深い哀悼と共感の中から生まれたわけで、生贄や贋王の過酷な側面が和らげられたことはせめてもの救いである。