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映画8_5.『華氏911』は何を燃やす温度?

 マイケル・ムア監督は風変わりなタイトルをつけるので、最初に説明しておくと、有名なアメリカ作家レイ・ブラッドベリの『華氏451』が土台になっている。この作品は焚書を行う「高度管理国家」の生活を描いたもので、題名は本が燃えだす温度を表す。

 「華氏911」程度の熱では世界貿易センターは倒壊しないが、この数字はもはやアメリカ史のランドマークになった。また、「USA愛国者法」などによってアメリカ国民を厳しい監視下に置いたブッシュ政権は、国民に「精神的焚書」を迫ったとも言える。

 私たちが長らく世界最強の国家の中枢にいれば、容易に分かることだが、世界の資源は枯渇の先が見えた。ブッシュ一族のように、父子二代、テキサスで石油産業に従事してくればそれは手にとるように分かる。

 いや、日本人でも、産業中枢にいれば、マラッカ海峡とロンボク=マカッサル海峡を封鎖されれば、日本は「産業的血液」、つまり石油を中東から運べず失血死することは最大の恐怖なのだ。しかも、米英など連合国にこの二つを現実に封鎖されたことが、太平洋戦争の引き金になった。日本は何としても、インドネシア(当時は蘭領インド)の石油を抑えないと生き残れなかったのである。

 だから、ブッシュ政権によるイラク侵攻は「陰謀」ですらなく、なりふり構わぬアメリカの生き残り戦略の一環なのだ。

 目下、アメリカはメキシコとカナダの石油で充当できる。しかし、中東やカスピ海、中央アジアの油田を抑えることは、日本や独仏などに自国の国債を買わせ、自国に投資し続けさせるために不可欠なのである。

 なぜなら、アメリカは世界最大の債務超過国で、日欧が資本を引き上げれば倒産するしかないのだ。日欧に離反させないためにこそ、中東その他の石油を抑えるのである。

 また日欧の離反を防ぐべく、世界最強の軍隊(2位から15位までの諸国の国防力を合わせたより巨大)を維持し、70カ国弱に駐屯させているのだ。商店やバーにみかじめ料を要求するやくざの方式と変わらない。

 これが今日の国際情勢全ての震源地的基本構造だ。そして石油ばかりか、地球のあらゆる地下資源、いや、月その他の宇宙資源に対してすら独占戦略を立てたのが「ネオコン」たちだった(2000年、「米国防再建──新世紀のための戦略・兵力・資源」策定)。

 「国防再建」の実態は、例えば、ブッシュ家とビン・ラーディン家がカーライル・グループというアメリカの兵器産業への投資などを通じて密接に繋がっていたことに象徴的に表れている。資源収奪の構造が、こういう形で実体化されているのだ。アメリカ側の頂点(ブッシュ父子)が、サウジ側の頂点(ビン・ラーディン一族)と密接に繋がり、しかも後者の一人がテロリストとしてアメリカに攻撃をしかけたという込み入り方である。

 このことは映画でも中心的な主題だが、マイケル・ムア監督が暴いたというより、知る人ぞ知るで、私も昨夏出した『ブッシュ家とケネディ家』(朝日選書)に書いておいた。

 ムアの衝撃力はそれを映像で紹介した点にあり、サウジを訪問、ビン・ラーディン家や王族と次々に握手するブッシュ父子の実像は圧巻である。しかも、「9.11」当日、カーライル・グループの株主総会がワシントンDCの超高級ホテルで開かれ、ブッシュ父とビン・ラーディン一族が出席、父は世界貿易センター激突前に去り、ビン・ラーディン一族はテレビで見ていたことまで、ムアは披露した。ブッシュ父がヒューストンへ帰る途中の飛行機は、事件で全機強制着陸させられた中の一機で、その映像まで見せてくれる。

 しかも、商業航空機の運行許可が少なかった9月14日以降24日までの間に、ブッシュ政権は6便も出して、在米サウジ人142名を最優先で帰国させ、中でも9月20日には「ビン・ラーディン・フライト」と後に呼ばれる便で一族24名を緊急離脱させている。真犯人と名指した者の同族を慌てて国外へ追い出して口を拭ったわけだ。

 同じ理屈で、カーライル・グループへのビン・ラーディン家の投資も、慌てて引き上げさせたのである。

 「国防再建」策定を指揮したネオコンの総帥、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官は、この映画ではイラク侵攻●告知のテレビ出演前、整髪ができず、櫛に唾をつけて梳いても髪が寝ず、手のひらに唾をはきかけてなでつける滑稽な姿を披露される。

 マイケル・ムア監督は、イラク侵攻声明の本番前、やはり整髪される際に上目遣いにキョトキョト自分の頭へと目を動かすブッシュ大統領の軽薄な映像も披露する。

 人工衛星は、恐るべき「戦略」で世界を動かす要人らの、本番前で油断している滑稽な姿を容赦なく映し出すのだが、ムア監督は実に丹念にその種の映像を入手、自作に実に効果的に挿入し続ける。

 ムア監督は、トリックスター(文化英雄としてのいたずら者)である。彼には何の権力もないのだが、パワーエリートらの滑稽な映像を効果的に羅列することによって、彼らを矮小化する。無力な者が世界最大の権力と闘うには、いたずら者特有の「諷刺」の才能を駆使するしかないのだ。

 しかし、諷刺はばかにならない。日本では知られていないが、全米で超人気の諷刺屋にラジオ・トークショーのホスト、ラッシュ・リンボーがいる。彼は極右で、民主党では右派のクリントン前大統領すら「極左」呼ばわりして叩き続けてきた。今度出て大評判のクリントンの自伝『マイ・ライフ』を『マイ・ ライ』(ぼくの嘘)とこき下ろした。

 1960年代のヒッピー革命を率いた「新左翼」が崩壊して以来、アメリカはリンボーら「新右翼」やネオコンの天下になったが、この風潮を大きくリードしてきたのがリンボーら、「新右翼諷刺屋」だった。クリントンのセックス・スキャンダルを暴きに暴いたのも彼らで、クリントンは彼らに気兼ねして「第三の道」という右傾化政策をとるしかなかった。それでも彼は、みごとにアメリカを赤字から救出したのに、あっという間にブッシュが超赤字に戻してしまった。

 ともかく、時代を動かすには、諷刺屋がたくさんいるほうが勝ちだ。残念ながら、左派にはリンボー級の諷刺屋がいず、右派の諷刺屋どもにやられっ放しだった。ここでやっと、ムアというスーパー級の諷刺屋が左派陣営から登場した。ムアの意義はここにある。

 この映画でもムア監督の鋭さは随所に光るが、圧巻は世界貿易センターへの激突をカード首席補佐官から耳打ちされたブッシュが7分間、何もできない麻痺状態に落ち込む姿を披露する場面だ。場所は実弟ジェブが州知事を務め、自らがインチキでゴアを破ったあのフロリダ、そこの小学校で、『ペットの山羊ちゃん』という童話を生徒らに読んで聞かせていたときのことだ。ムアは、教師が捉えたビデオ映像をみごとに発掘したのである。

 ムアは、国難に際して瞬時に決断を下せない、大統領にあるまじき奇妙な麻痺の表情を執拗に映し続ける──<ローズヴェルトなら、トルーマンなら、ケネディなら、こんな間抜けな顔つきは見せなかったぞ>とでも言わんばかりに。ちなみに、これらはいずれも民主党の果断な大統領たちだった。

 トリックスター・ムアの真骨頂は、「離れ業的待ち伏せ」である。イラク戦線への復帰を拒否する黒人の海兵隊将校とともに、議事堂前で議員らを待ち伏せ、「あんたらの息子や娘をイラクへ出征させたら」と呼びかけて、彼らの目を白黒させる。これはイラクに送られた兵士の大半が貧困ゆえに軍隊しか行き場がない者たちで、議員の子弟のような金持ちの子供らはめったにいないことを暴く。

 トリックスターもいつもいたずらこいているわけではない。パワーエリートという「頂点」に対しては諷刺の矢玉を放ち続ける彼も、アメリカ社会やイラク社会の「底辺」を描くときは深い同情を滲み出させる。その典型が、ライラ・リプスコムの描出だ。

 自分の郷里フリント(ミシガン)は産業の空洞化で工場が軒並み閉鎖、失業率50%(!)、ムアはそこで「貧困からの離脱は軍隊に入り、奨学金で高等教育や職業訓練を受けることだ」と主張する女性、ライラ・リプスコムの悲劇を披露する。当然、彼女はイラク侵攻賛成派だった。

 しかし、長男のイラク戦線での戦死は、彼女を反戦主義者に一変させる。白人女性ライラの夫は黒人で、産業空洞化の最大の犠牲者の民族集団に属している。彼女が夫や家族とともに、長男が戦死直前に寄越した手紙を読み上げ、泣きだすシーンは圧巻である。長男は死ぬ前にこう書いた。「みんながあいつ(ブッシュ)を再選しないように──これは本気だ」。これはアメリカばかりか、イラク、いや世界に対する「遺書」ではないのか。

 しかも産業の空洞化こそ、ブッシュらエリートが自国の総資本を生き延びさせるべく、労賃が安い国々へ工場を移転させた結果起きた。これがグローバライゼーションの実態なのだ。そのせいで失業したライラの息子らが、スラムの人々が、軍隊しか行き場がなくて、戦場へ送られ、イラク人を殺し、自分たちも命を落としている。この悲惨さの構図を見落としてはならない。

 映画には白人の海兵隊募兵係が、スラムの若者を狙って勧誘するシーンが出てくる。これは「貧困募兵」である。

 募兵されたアメリカ貧困層に殺されるイラク貧困層の悲惨からは、アメリカ人はもとより、世界中が目をそらしてきた。数少ない日本人がイラク人を助けにいって人質になると、彼らを非難する声が日本に満ちた。

 深夜、家宅捜索に押し入ってきた米兵に怯えるイラク人の姿を、ムア監督は生々しく描き出す。街路で遊んでいる少年と腕を吹き飛ばされかけて死んだ少年とが、対置される。

 停電だらけで営業できず、金属まじりの水道水で発病する人々、道路脇で手配師からの仕事に群がり、ありつけずに絶望する人々──ブッシュ政権は自ら破壊したイラクのインフラ復興に対して効果的な手は何一つ打とうとしない。この政権はイラク暫定政権にはお目付役をはりつけ、世界最大の大使館によってイラク支配を続行する。

 以上、ブッシュ政権が引き起こした大混乱の構造を容赦なく暴いたムア監督の『華氏911』、多面的に鑑賞して頂く手引きである。
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