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映画9_1.『神は許してもランボー=アメリカは許さない』と言わせたハリウッド映画の傲慢『地獄の默黙示録』『ランボーIII』『コラテラル・ダメージ』『ブラック・ホーク・ダウン』

〔なぜ「九.一一」前に戦争映画が量産?〕

 「アメリカン・アロガンス(傲慢さ)」という英語が決まり文句になって久しい。この傲慢さの仕組みを一言で言うと、自由競争のあこぎさを民主主義(かつては反共主義が一枚噛んでいた)という言葉で糊塗し、自国企業の多国籍化を世銀&IMF&WTOで保障するだけでなく、自国の軍事面での世界展開よっても保障することである。

 ここではそれが戦争映画でどう描かれてきたかを扱うのだが、今回取り上げる映画では、この傲慢さを正面切って取り上げた作品は『地獄の黙示録』だけ、後はほぼ全て筋立て自体が傲慢さの表れというしろものだ。

 さらにハリウッド自体が小型のアメリカン・アロガンスを発動、世界の映画館で上映される映画の八割強がハリウッド映画である。韓国やフランスはハリウッド映画に輸入制限を課すことでこの傲慢さに抵抗しているが、日本は無条件降伏の状態だ。

 『プライヴィト・ライアン』(第二次大戦)以来、『13デイズ』(キューバ・ミサイル危機)、『スリー・キングズ』(湾岸戦争)、『ビハインド・エネミー・ラインズ』(ボスニア内戦)、『我ら兵士たち』(ヴェトナム戦争)、『コラテラル・ダメージ』(コロンビア麻薬戦争)、『ブラック・ホーク・ダウン』(ソマリア内戦)、『パール・ハーバー』(太平洋戦争)などの戦争映画を、ハリウッドは「九.一一」前に制作していた。

 「九.一一」から二カ月後、ブッシュ政権の政治参謀カール・ローヴはハリウッドの大物たちと会談、「テロ戦争」への映画界の協力を要請した。『コラテラル・ダメージ』が「九.一一」に部分的に似た内容なので封切りを自粛していたのに、急遽、今年初め封切りに変わったのは、ローヴ=ハリウッド会談で、「この映画は『九.一一』に酷似しているからこそ、自粛は無用、封切れ」とローヴが答えたからだろう。

 石油閥の政権であるブッシュ政権は危険が大きいペルシャ湾を見限り、新たに中央アジアの油田からアフガニスタン及びパキスタン経由、インド洋に出る石油パイプラインの建設を業界と推進していた。そしてタリバンとパイプライン建設の交渉が決裂することを見越して、「九.一一」前からアフガニスタン戦争を準備していた。だからこそ、あれだけ素早く侵攻できたのである。

 従って冒頭の一連の戦争映画は、きな臭い戦争の臭気をハリウッド幹部らがかぎつけていたからこそ前もって制作されたと思われる。だから『13デイズ』と『スリー・キングズ』以外、全ての映画がブッシュ政権が喜びそうな戦意高揚映画なのだ。

〔キルゴア大佐とカーツ大佐の違いは?〕

 石油パイプライン新設のための戦争準備などは傲慢さの極みだが、「九.一一」よりずっと以前の傲慢さの典型としては、今回は『地獄の黙示録』と『ランボーIII 』に絞りたい。この二作には、アメリカ人 に 内在化された傲慢さが描かれる。

 『地獄の黙示録』は、ヴェトナム戦争で軍上層部に背いて密林の未開部族を使って敵味方の区別なく殺戮を続けるカーツ大佐の暗殺任務につくウィラード大尉の報告だが、印象に残る外在的な傲慢さは、キルゴア大佐が体現していた。彼はサーフィン狂で、ヴェトコンを恐れずにサーフィンに打ち込めるように、海岸の密林をナパームで焼き尽くさせる。その際、大佐は襲撃ヘリ部隊にワーグナーの『ワルキューレの飛翔』を最大音量でかけ放させ、「空からの死」と悦に入る。そして「朝かぐナパームの臭いは格別だ」とのたまうのだ。民間人も一緒に焼き殺しながら、大佐は部下にすくみ上がったヴェトナム人らに向かって、「われわれはきみらを助けにきたんだ」とアナウンスさせるのである。ここには自分の趣味のために最新兵器による殺戮を断行、それを民主主義のためと糊塗するアメリカン・アロガンスの真骨頂が見られる。

 大尉の暗殺部隊はカーツの根拠地に向かってメコン川(映画ではヌン川)を逆上る途中、未だに居すわっているフランス人植民者らに歓待されるが、土地(植民地)に固執するフランスと、反共主義というイデオロギーだけでヴェトナムに固執するアメリカの違いが浮き彫りにされ、後者の狂った傲慢さが一層鮮明に浮かび上がる。強奪した土地に執着するほうが、同じ悪でも人間味があるのだ。

 カーツ大佐の根拠地は密林の中の寺院で、周囲には殺戮した敵味方の死体がごろごろしている。これはアメリカの狂気の傲慢さを先鋭化した縮図だ。アメリカは民間人まで殺戮しながら「きみらを助けにきた」とアナウンスさせたキルゴア同様、民主主義を錦の御旗にしつつ、大量殺戮を続けてきた。カーツ大佐は、殺戮からその偽善を切り捨てたゆえに、軍上層部は彼を殺すしかないのだ。

〔ランボー──米国体に内在化された傲慢さ〕

 『地獄の黙示録』とは比べ物にならない駄作『ランボーIII 』では、主人公はいつも任務に自分を駆り出すトラウトマン大佐からこう言われる。「石の中にはすでにみごとな彫像が孕まれていて、彫り師は彫像の周囲の石を削り落とすだけだ。あんたはその彫像で、われわれは周りの石を削り落としただけだ」と告げる。この「彫像」こそアメリカン・アロガンスそのものの象徴なのだ。「周りの石を削り落とすだけ」で、アメリカは自らの傲慢さを発動できる。それはアメリカという国体(ボディ・ポリティク)(ルビ)に内在しているのだ。

 侵攻したソ連軍と戦うアフガニスタンのムジャヒディーンを助けるべく潜入した大佐が敵に捕らわれ、ランボーは直ちに駆けつけ、ソ連兵士を殺しまくる(物好きによれば、映画の中で百五十人は殺した)。

 スタローンも言うことを聞かないスタッフを殺し(馘首)回ったのに、封切ったとたん、ソ連がアフガニスタンを撤退、ゴルバチョフのペレストロイカになってこの映画は一挙にアナクロになった。しかし最大の皮肉は、今回ブッシュ政権はランボーが守ってやったアフガン人ムジャヒディーン相手の戦争になったことだ。しかもスタローンは目下、ランボーがタリバンと戦う映画を制作中というから、前回守ってやったビン・ラーディンやオマルを今度は敵にするわけで、これはアメリカン・アロガンス自体の滑稽さだろう。

 『パール・ハーバー』の封切りは以下の点で象徴的だった。つまり、ローズヴェルト大統領がわざと日本海軍と航空部隊に真珠湾を奇襲させ、国内の反戦気分を一掃、一挙に参戦に踏み切らせたという怪説との関連においてである。これは、ブッシュ政権がアルカーイダのメンバーを泳がせておいた事実から、わざと中枢テロを引き起こさせることで、アフガニスタン戦争に踏み切れる世論を醸成したという怪説が出てきたことに呼応する。これらの怪説が事実とすれば、これまたアメリカン・アロガンスの極致となる。

〔戦意高揚映画とブッシュ政権の二人三脚〕

 『コラテラル・ダメージ』は主人公の消防士がコロンビアのテロリストに巻き添えで妻子を殺され、ランボーなみの「ワンマン・アーミー」方式で単身コロンビアに「侵攻」、報復を果たす点では、「アメリカの裏庭」として見下し、収奪してきた中南米に対するアメリカの傲慢さを描いたものだが、今回の中枢テロとアフガニスタン戦争を正確になぞる結果になった。いずれ、『ランボーIV』がこれに続くだろう。中枢テロの直後、ブッシュと共和党予備選を争ったマケイン上院議員は、「神は許してもランボーは許さない」というランボーの台詞を借りて、「神は許してもアメリカは許さない」とのたもうた。これまたアメリカ=ランボーの図式を国民が受け入れていることの証拠である。

 また『ダメージ』は、麻薬戦争でパナマに侵攻、ノリエガ将軍を拉致したブッシュ父政権の傲慢さと重なり合う。『ブラック・ホーク・ダウン』は、クリントン政権時代、ソマリアのアイディード将軍の拉致を図って侵攻、撃墜されたブラック・ホーク・ヘリ搭乗の米兵の惨状を描いた(当時、CNNは街路を引きずり回される米兵の死体の映像を紹介、アメリカ人に衝撃を与えた)。これは傲慢さとは無縁と思われるのだが、殺された米兵は十八名なのに対して、ソマリア側の死者は数百名に及んだ。そしてこれがクリントン政権の失点だったせいか、チェーニー副大統領、ラムズフェルド国防長官らブッシュ政権の最高幹部らは挙ってこの映画を絶賛した。

 戦意高揚映画の制作が続くかぎり、ブッシュ政権の好戦的姿勢も継続するが、両者がこけたとき、次はどんなアメリカン・アロガンスが登場してくるだろうか?
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