本文へジャンプ 越智道雄のページ   文字サイズ コントラスト
映画top

映画9_5.『プライベート・ライアン』

 六〇年代以降、反戦的な戦争映画しか見ることがなかったのに、これはまたなんともまっとうな戦争映画を見せられたものだ。戦争の脅威がイラクなどの<ならずもの国家>やテロリスト始発のものだけに縮小された今日、この映画の意味するものは何なのだろう? スピルバーグは、『シンドラーのリスト』でユダヤ同胞の救いの神となったドイツ人を描いた。この映画にはアパムという平和主義者のユダヤ兵士が登場するが、残りはワスプ、アイリッシュ、イタリア系など非ユダヤ兵士たちだ。彼らを率いるミラー大尉は、ライアン二等兵を見つけだし、帰国命令を伝達する任務を帯びている。アイリッシュのライアン兄弟三人が戦死したため、これ以上の戦死者を一つの家族から出すことを防ぐべく国防総省は末っ子の二等兵士ジェームズ・ライアンに帰国命令を出したのだ。

 ついにライアンが見つかるが、橋の死守を命じられた自分の小部隊を見捨てて帰国することを彼は拒む。ミラー大尉らも小部隊に合流、ドイツの機甲部隊と歩兵50名を廃墟と化した町で迎え撃ち、アパムとライアンと後1名を残して全滅する。一人の兵士を見つけるために膨大な犠牲が出たわけだ。ミラー大尉はライアンに「生きろ」と遺言して息絶える。故郷では高校教師をしていたミラーは、殺戮で険しくなった自分の顔を和らげ、胸を張って妻や家族の許へ帰れるように、人助けであるライアン発見の任務に挺身したのだ。

 一方、平和主義者のアパムは、戦友を射殺されて怒った仲間の兵士らが元凶のドイツ兵士を処刑しようとするのを必死で救った。ところがこの兵士が機甲部隊について引き返し、彼を見逃してくれたミラー大尉に致命傷を負わす。アパムは激怒し、再びこのドイツ兵を捉えたとき、ついに平和主義をかなぐり捨てて相手を射殺するのである。

 スピルバーグは、こういう無名の兵士らの犠牲の上に、ナチスからのユダヤ同胞の救出がなされたことを、遅まきながら多としようとしているのか? それとも反イスラエルを貫徹しようとするイラクやアラブ・テロリストらに対して、再びアメリカ兵士の奮起を促す意図があるのだろうか? イスラエルこそ、紀元前六世紀のユダヤ王国崩壊後実に二千五百余年を経て復活したユダヤ国家なのだ。
一番上へ
Copyright ©2009 Michio Ochi All Rights Reserved. Valid HTML 4.01 Transitional 正当なCSSです!
inserted by FC2 system