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映画9_8.償いとアメリカの再生『グラン・トリノ』

 世評の高いクリント・イーストウッドの監督・主演作品。息子や孫を受け入れられない老人が、最初は唾棄していたモン族の隣人一家と次第に心を通わせ、モン族の若者ギャングから彼らを守り抜く手立てを実行に移す。

 その手立てとは、無防備な老人である自分をギャングに射殺させ、彼らを長期刑に追い込むことだった。これは同時に、心が通わなかった息子たちや孫たちに累を及ぼさない手立てでもあった。ギャングを射殺すれば、イーストウッドのおハコ、ダーティ・ハリー型解決法に堕してしまう。

 主人公は自宅を地元カトリック教会に、グラン・トリノと工具類を、彼がギャングから守り抜いたモン族の若者タオに、それぞれ遺贈する。息子らに何も残さないことは、象徴的には今後のアメリカを支えるのは、タオのような有色人種であることを意味する。今世紀半ば前に、アメリカは有色人種が多数派に なる統計予測が出ているのだ。

 主人公にとっては、朝鮮戦争で十三名余の敵を戦闘で殺害し、タオくらいのアジア兵を銃剣で刺殺した記憶が核になっている。これを核として太平楽に平和を享受する実の息子たちとの疎隔、ベトナム戦争で米側に味方し、難民としての辛酸をなめてきた隣家のモン族をギャングから護衛するという対照的な行 動が展開する。

 つまり、償いの問題なのだ。余命がない老人にとって、これは最大の課題となる。主人公の亡妻が若い神父に言い残した、「頑迷な夫に懺悔を」という遺言、そしてこの神父が智天使の童顔であることは、この映画の隈取りを決定している。主人公のとった解決法を、若き神父はある程度察知していたかもしれない。主人公が自動車工として生産したフォードの車でなく、日本車のディーラーをしている実の息子は、アメリカの底力を代表できない。子育てもしくじっている。しかし、タオや彼の賢明な姉スーは、必ずやアメリカの支柱となっていくだろう。主人公の属するポーランド系、映画で主人公と憎まれ口をたたき合う床屋の属するイタリア系その他が、十九世紀末、早くも衰退しかけたWASPのアメリカを支え直したように。

 神父や牧師の存在理由を一例だけあげておく。勤務の関係で両親から遠く離れた息子や娘は、両親に電話しても、この映画の主人公のように、「元気だ。心配するな」としか答えてくれない。そこで神父か牧師に電話、両親の礼拝への出欠状況を訪ねる。欠席が続いていると、神父か牧師がわざわざ両親を訪ねて消息を教えてくれるのだ。主人公の息子らは、神父への電話さえしない。そして、カトリックには、「償い」の問題が大きい。こういう実の息子や孫たちに対しても、償い(累を及ぼさないこと)は先行世代の義務で、同 時に懺悔の意味でもあるのだろう。

 しかし、今後のアメリカの支柱はタオやスーなので、主人公は彼らにアメリカ建て直しの工具類を遺贈するのである。最大の遺贈品、グラン・トリノは欠陥が多く、オールドカーとしての価値は低い。その意味で主人公(そして今日のアメリカ)の相似物だ。タオがこの車(アメリカ)をどう改造できるか?

これがこの映画の余韻となる。
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