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デルフォイ神域

越智道雄

 なるほど。民主政と覇権国家は元来折りあわないと誰もが思い込んできた常識が覆されますね。日本人は、軍国主義という覇権主義に彼我の膨大な人命を犠牲にしました。ところが、肝心の民主主義にはほぼ一名も犠牲にしなかった。ここのところは、ルース・ベネディクトが『菊と刀』(1946)で日本人の最大の弱点として指摘しておりますね。日本人は軍国主義が失敗で、世界に対して大恥をかいたから、今度はたなぼたの民主主義で世界に対して大恥をすすごうとした。「恥の文化」というわけです。しかし、命を間違った大義にかけたとはいえ、軍国主義がだめなら、今度は民主主義だというのでは、日本の民主政には大義としての重みはいつまでもついてこない。では、日本人には優位原理がなく、とにかく生き延びるという相対的な部族文化しかないのでは?というわけです。彼女は、それも日本に「罪の文化」がないからだとまで言い出します。この点はいずれ詳しく触れたいです。

 アメリカ側のアテナイとの照応として、独立戦争(彼らはアメリカン・レヴォリューションと誇らかに呼んでいる)が合衆国の民主政に大義としての焼きを入れる光景についてはすぐ触れるとして、もう少しファランクスの戦闘方法の実像、そしてクレイステネスの改革と民主政の因果関係に分かり易く触れて頂けませんか? またクレイステネスの人物像が分かれば、アテナイの民主政が彼に具象化されます。

 それから同日3方面作戦は、アラブ連合(エジプトとシリア)とヨルダンから、西、北、東の三方から攻め寄せられたとき、わずか六日で撃退したイスラエルを想起させますね。1967年の<六日戦争>、第3次中等戦争。政治形態としては、民主政のイスラエルが独裁政の3国を相手にしたわけでしたが、こんなジョークが生まれました。「神は六日間で世界を造り、七日目に休まれた。イスラエルは六日間で戦いに勝利し、七日目に休戦した」。また、ナセル大統領は、国連に対してこう愚痴った。「これは不公平だ。イスラエルにはユダヤ系が200万人もいるのに、こっちには一人もいない」(これもむろんジョーク。200万は当時のイスラエル人口)。必死のアテナイが救国の戦法を民主政の渦中から産み出したように、イスラエルはジェット戦闘機1機を1日に4回出撃させる高速再装備・再装填システムと戦闘パイロットの交代要員をそろえ、間断なく出撃させたので、敵側にはイスラエルの空軍力が4倍に見え、米英空軍が支援していると勘違いしました。敵側は1機は1日1回の出撃がやっと。ところが、イスラエル空軍は、敵の滑走路をズタズタにする爆弾を先に投下、スクランブルできない敵機を据え物撃ちで仕留めました。

 3方面の敵を同日に撃退したときの指揮官はどんな人物でしたか? マラトンの戦いでは、イスラエルのダヤンのような総司令官はいたのですか?(09/9/29)

向山宏

 私の研究対象は<クレイステネス改革>(紀元前508/7年)と呼ばれるアテナイの部族改革(血縁の四部族制を地縁の10部族に再編成)ですが、いまだに正体不明の改革です。しかし、(1)この改革がスパルタ軍の侵入の危機を背景に実施されたこと、(2)重装歩兵民主政の基盤を準備したこと、この2点では内外の学会の合意を得ています。

 重装歩兵は丸いホプロン楯(直径90センチ)で身を守るので、ホプリテス(複数形でホプリタイ)と呼ばれます。楯の中央にある皮輪に左腕を通して肘を固定し,楯の周縁部にある皮輪を掌で握って操作しますので、左半身は防御できますが、右半身はむき出しです。そこで空いている楯の左半分で左隣の兵の右半分を防御し、自分は右隣の兵の楯の左半分で防御してもらいます。

 楯の構造から横一列に密集して始めて防御機能を発揮できる密集隊ですが、右端の兵のみは右半身がむき出しです。ここに最強の兵を配置し、これを名誉ある<右翼>とします。この横列(スティコス)の背後には、同じような隊列がつづき、この縦列(ジュゴン、普通は8層)は最前線が死傷し疲労した時には順次交代して前線に繰り出します。

 僅か90センチほどの丸楯ですから上・下半身の防備が必要で、顔面を覆う兜、肩を覆う胴鎧、腰当て、脛当てなども必要です。これを青銅製で賄うと相当な重さになります。経費も貴族階層しか負担できません。最低水準の装備でも農民級の財産(年収200−300メディムノスの穀量、10−15klくらいか)が必要で、武具一式は自弁とされました。

 攻撃は楯と楯の隙間から長さ5−7ペキュス(肘から先の長さ、2メートル半くらい)の長槍をアンダーハンドに構えて突き出す単調なものです。勝敗は訓練と忍耐と結束のほか密集隊の規模(スティコスの長さ、ジュゴンの深さ)が重要になります。つまり、横列が長いと敵をとり囲んで3面から攻撃でき、持久戦になると縦列の層の厚さが有効になります。すると青銅製の重装備で固める貴族たちの密集隊も規模拡大を迫られ、富裕な平民を取り込み、しだいに両者の比重が逆転すると貴族政は寡頭政に変質していきます。密集隊の中で90センチ幅の空間を死守する点で、貴族と平民と役割に差はないからです。ステレ1で述べましたように、改革時の対外軍事危機の中でこの密集隊にさらに劣悪な装備の民衆が加わり、ファランクスは飛躍的に拡大され、多数の民衆が重装歩兵と認知されることで(寡頭政から)重装歩兵民主政への道が開かれます。

 改革に名を残したクレイステネスの人物像はほとんど不明です。その名門富豪のアルクメオン家はデルフォイ神殿と関係が深く、地震で倒壊した神殿の再建請負、神聖戦争への出陣、神殿での接待を通じて小アジアのリュディア王の庇護をうけるなど、海外での活躍が顕著です。最盛期の都市国家シュキオンで絶大な権力を振るった僭主クレイステネスとの関係もその一つで、その娘アガリステを娶った父との間に生まれたのが同名のクレイステネスです。祖父クレイステネスはシュキオンで、孫のクレイステネスはアテナイで部族改革を実施します。(向山宏・09/9/29)
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